去る3月2日〜3月18日まで、「中東社会史班」から派遣され、エジプト・
アラブ共和国へ出張した。その目的は、(1)中東社会史に関する資料の閲
覧・蒐集、(2)中東社会史研究のフィールドワーク、(3)中東社会史班へ
研究協力してくれる現地研究者との面談、に大別できる。
 
 (1)中東社会史に関する資料の閲覧・蒐集については、本年も連日、エ
ジプト国立文書館(Dar al-Watha' iq al-Qawmiyya)へ通い、オスマン
朝期以降のシャリーア法廷台帳やワクフ文書を調・閲覧し、必要部分を複
写した。なかでも、エジプト「死者の街」と称される広大な墓地区とワクフ(寄
進財)との関係について、多くの新資料を発掘できた。また、市内の諸書店か
ら中東社会史に関する資料を購入した。さらに、日帰りでアレキサンドリアへ
赴き、Janaklis地区のDar al-Thaqafa al-Diniyya書店を訪ねて中東
社会史関連資料を求め、アレクサンドリア大図書館地階の写本博物館で、
関連の写本を閲覧、関係者と懇談した。アレキサンドリアの旧アブー・アルア
ッバース・ムルスィー・モスク所蔵の写本群が、カイロのサイエダ・ザイナブ(ワ
クフ省)へ移されたことも知った。
 
 (2)エジプト最大の皮
し業地区、オールド・カイロの同地区へ通った。過
去19年間のうちに何度も調査したことはあるが、渡埃直前とこれまでの現地と
のやり取りで整えてきた手筈が崩れたため、またパイプを再構築しながら、同地
S氏の工場における
し作業の諸工程、この副産物であるゼラチン生産、な
どについて調査と画像資料撮影を行った。S氏(親方・社長)や他や従業
員、また他工場をリタイアした従業員からから聞き取りも行った(御協力に感
謝致します)。カイロに展開する伝統産業の今日的状況を再認識することが
できた。今回強く感じたのは、しばしば指摘された児童労働の問題よりも、労働
環境や廃液処理の問題であった。また、政府は現在同産業の移転を強い
ているが、これも多くの問題をはらんでいる。
 また、死者の街に居住するS氏と同地の現状について今年も面談し、エジ
プト最大の金曜市の墓地区における拡大ぶりも踏査した。また、旧知の墓掘
りM氏からもライフヒストリーの一端を聞き取りした。他日には、カイロ市を脾睨
するムカッタム山の崖を登攀して、墓地区の近年の展開を調べた。さらに、オ
ールド・カイロ地区へも頻繁に通い、庶民生活の実態とその変化、エジプト
社会の現況について意見交換した。ちょうどコプト・キリスト教の先代総主教
キュリロス6世のイード(生誕=追悼際)に当たり、ここ20年で肥大化してきた
同イードの拡大ぶり(とそれに呼応する建築物に対する許認可)に驚かされ
るとともに、いろいろ考えさせられた。新しき伝統の創造である。
 その他、ワフド党の結党88周年・新聞発刊20周年大会にも参加し、党
首講演や公演(歌手ハキーム)を傍聴した。
 
 (3)中東社会史班へ研究協力してくれる現地研究者として、アフマド・ザ
ーイド氏(カイロ大学文学部長・社会学科教授)、カルマ・サーミー氏(アイ
ン・シャムス大学教授)、イサーム・イーサーウィ氏(カイロ大学文学部講師)
、ムハンマド・アフィーフィー氏(カイロ大学文学部教授)、ユースフ・ザイダー
ン氏(アレキサンドリア大学教授)、I・アブーガーズィー氏(エジプト高等文
化審議会)、他と懇談した。
出張報告: