三浦 俊彦(美学芸術学)

「美学」をやりたいと早くから触れ回っていながら芸術史には興味がなかった私は、「美学」と「美術史」の研究室が分かれているという理由で東京大学を選び、美学芸術学専修課程に進みました。3年生の春から猛然と卒論の準備を開始。すでに英米系の分析哲学にかぶれており、分析美学の定評ある大著を論じようと意気込んだのです。

 しかし英語のテキストは、一度読んだ箇所を確認するさい、斜め読みができません。時間がないのにこれじゃダメだ……。そこで急がば回れ、腹をくくって600頁ほどある原文をすべて日本語に訳してしまったのです。関連論文も訳していきましたから、18ヶ月ほどかけて計700頁以上、レポート用紙に2千枚ほど訳したでしょうか。自分の訳文を読み返しながらノートを作り、なんとか卒論をまとめました。

 まっしぐらに力一杯やるのがかえって一番ラクなのだ、と実感しましたが、準備作業の翻訳にエネルギーを使いすぎたせいで、肝心の卒論の出来はまったく未熟、我ながら泣けてくる……まさに本末転倒になってしまいました。

 分析美学なるものが、期待していたものとは違ったことへの失望も小さくありませんでした。当時の私が分析美学に抱いていたイメージは、(分析哲学の一部門であるからには)論理実証主義のように記号論理学をバリバリ使う感じだったのです。美や芸術といった人間臭い分野でそんなことがなされているならさぞ面白かろうと。しかし現実はそうロマンチックではなかったわけです。

 それに加えて、ドレスコードが……。当時の美学芸術学研究室は、大学院生は背広・ネクタイ着用、という決まりがあり、「う~ん……、一事が万事というか……」次第に心が離れ、大学院は駒場の比較文学比較文化に進みました。スタッフに哲学や論理学の教授が大勢おられた看板に惹かれて。

 ところがこれ、私の事前調査不足でした。進学した年に制度が変わり(総合文化研究科発足)、比較の哲学部門は消滅。覇権を保持したのは、具体的個別的な解釈三昧を謳歌し、一般理論など気取る輩は即追放、という学風。「あれ? なんか違う……」ここでもまた勘違い癖が祟って、当初は途方に暮れました。しかし気を取り直し、「ならば哲学者の人生を芸術作品に見立てて批評してやろうじゃないか」。分析哲学の始祖・バートランド・ラッセルの人物研究に乗り出しました。冷徹な数学基礎論に没頭していた哲学者が、第一次世界大戦によって俗情の煉獄へ叩き落とされ、晩年の反核平和運動へなだれ込んでゆく有様、これが調べてみると圧倒的に面白かったのです。いわばドン・キホーテとファウストという真逆の二大人格を一身に体現したこんな人がいたのかと。

 人生という自然現象をいかに芸術視するかという、いわば〈ファウンドアートの創作〉が大学院時代の私の研究であったと言えるでしょう。「やっぱり人文科学の醍醐味は個別研究だなあ!」すっかり改宗した私は、世の事象を何でもかんでも「美的観点からとらえ直す」という流儀を身につけました。

 そんなこんなで私の研究生活が軌道に乗ったのは、分析哲学界隈にラッセルという異形の文学的キャラクターが居てくれたおかげですが、私がもともとラッセルに心酔したのは受験生時代、現代国語の模試だったか入試過去問だったか、『哲学入門』の一節にいたく感動したのがきっかけです。そのラッセルの「記述理論」に端を発する言語分析を、芸術学や倫理学に応用しようとすれば、様相論理学というものを学ばねばなりません。

 様相論理学の教科書を、演習問題解きながら何冊も読んでいくうちに、私は「可能世界」という概念に魅せられていきました。その便利さ、問題解決力もさることながら、美的な雰囲気に酔ったのです。厳格な数学的論理学の世界で、「実現可能だった別の世界」というSFチックな道具が活躍していることに、場違いの美、異化の興趣というか、人文科学・自然科学・形式科学の不可分性というか、学術の相互参照的ループ構造を見る思いがしたのでした。そんな原体験があったので、ファウンドアート創作への寄り道も束の間、「やはり個別研究じゃ限界があるわ……」すぐに哲学的思弁へ引き返すことになりました。

 「可能世界論」は、現実世界と並立する無数の諸世界を設定しますが、この現実世界の中にも無数の下位世界を認定する物理学モデルがあって、「マルチバース(多宇宙)」と呼ばれます。可能世界論を追っていると、マルチバースが気になってくるのは必然でした。

 マルチバースの中からランダムに一種類の宇宙を選び出すと、知的生命の誕生を許す物理定数の組み合わせになっている確率は極小です。しかし実際にこの宇宙はその組み合わせを有している。この「微調整(ファインチューニング)」は一見、驚くべき奇跡ですが、〈私が存在する〉という条件のもとでは、微調整が起きている確率は1です。無数の宇宙の中には稀に、物理学が知的生命によって編み出される宇宙もあり、そんな例外的な宇宙においては、必ず低確率の微調整が観測されざるをえない――それだけのこと。物理学がアクセスし定式化できる対象は普遍法則でもなければ典型的な時空でもなく、あくまでローカルな特殊環境でしかない、と。この環境科学的物理学観は「人間原理」と呼ばれます。

 人間原理によると、物理学の内容は生物学が規定し、生物学の内容は心理学が規定し、さらにそれは社会学が……というふうに、いわゆる上部構造が下部構造を規定するかのような逆転の論理が成り立ってしまう。「美」「芸術」のような、最上部の、装飾的な揺らぎと思われたものこそが、全実在の実相を解き明かすカギとなるのです!

 ファインチューニングは、宇宙を美的観点から捉える見方でした。なので、美学を中核に据える学問観を導くのは当然と言えます。人間原理をベースにすれば、現代アートの奇怪な展開(既製品の便器が20世紀最高の芸術作品だったり!)をはじめ諸々の文化現象が説明できる、という構想が、目下の我が研究の基本方針になっています。

 そういえば、私が卒論のためガムシャラに訳した大著の著者モンロー・ビアズリーには、「美的観点」というタイトルの有名な論文があるのでした。昨年、大学院の授業で久しぶりにそれを読み、懐かしい思いをしました。「美的観点」が書かれたのは、美的観点へ私を覚醒させたラッセルの没年。ふむ。微調整というほどではないが、すべてが微妙にもつれ合っているものだなあ……。