佐川英治(東洋史)

中国を最初に訪れたのは大学3年生だった1988年のことで、それから早くも20年以上が過ぎた。とても実感はないが、あの頃の倍以上生きたわけである。いまでこそ中国史の研究を仕事としているが、大学に入るまではほとんど歴史小説の舞台として知るだけで、漠然としたロマンチックなイメージしかもっていなかった。今では想像するのも難しいが、当時はまだ中国自身が物不足に苦しんでいた時代で、日本に中国製品など入ってこなかったし、中国人も私が生まれ育った岡山の田舎では決して出会うことのない存在だった。とにかく現代中国は全く未知の世界であった。

夏休みを利用して高校時代の友人と二人で大阪から鑑真号という、今から考えればかなり不吉な名前の船に乗り、2泊3日をかけて上海に渡った。上海に着いたとたんにポカンとしていた私は「待ってました」とばかりにカモにされ、幾らかのお金を巻き上げられた。大した金額ではなかったが、かなりショックであった。当時は中国を個人で旅行することはまだ冒険といえた時代で、『地球の歩き方』の情報が本当に命綱としての重みをもっていたような時代である。いまでは不夜城と化した上海の夜の街も当時は真っ暗で、それから一月各地を旅行したが、夜遊びをしたという経験は記憶にない。まずなかったはずである。それが90年代に入って中国は驚異的な高度成長の時代に入り、いまや中国製品は我々の身の回りを埋め尽くし、労働力さえも中国人に依存するようになった。数年前、十分辺鄙な田舎といってよい実家の近くで、自転車に乗った五六人の中国人の若い女の子の集団に出くわしてびっくりしたことがある。なんでも峠の向こうの町工場には多くの中国人青年が研修生として来ていて、休日になると仲間同士でサイクリングに来たりすることがあるそうだ。そう教えてくれた父親の口調は、今更珍しくもないといった風で、それがまた私を驚かせた。

当時の日本人にはまだ日本は先進国で中国は発展途上国という見下ろす意識があったし、貿易摩擦もなくて今日のような中国アレルギーはなかった。ただし、旅先のドミトリーなどで日本人同士出会えば、店員が釣り銭を投げて返すだの、トイレのドアがないだのといった当時の中国の「奇習」の話を酒の肴にしては盛り上がった。それも今は昔の話になったが、今でもめざとく観察すれば、「遅れた」習慣はいくらも見つけることができる。最近も中国の某都市で開かれた学会のあとの打ち上げで日本人の若い人たちと飲んでいたらその手の話で盛り上がった。しかし、今ではさすがに輪に入って楽しめないというか、むしろいたたまれない気持ちに沈んだ。この20年間に学んだことの一つは、中国のことを他人事として笑えるほど彼我の差はないということである。

88年というと、かつては天安門事件の前の年と説明すればたいていのひとが当時の中国をイメージできたのであるが、いまの大学生はまだ生まれてすらおらず話に困る。それはともかく、当時の私と同世代の旅行者たちが―用もないのにわざわざ行くぐらいであるからみなそれなりに中国に関心をもっていた人たちだったはずであるが―実際に中国に行ってみて抱く印象は、大きく分ければ、失望してやっぱり中国はダメだと見下すか、それよりももう少し複雑な感情を抱くかであったように思う。前者のタイプがよく中国人に対して下した結論は不潔だというもので、これは当時の現実からみれば否定しようのない事実であった。トイレの一件もそうだが、夏だったし、当時の未発達な交通のせいでバスや列車に詰め込まれると確かに汗臭く、臭いに酔いそうになることがあった。しかし、少なくとも、それが民族性などというものではなかったことは、その後の経済発展のなかで瞬く間にトイレが整備され、浴室のある現代住宅が普及し、人々から体臭が消えたことで明らかである。その一方で、都市は大量の水を消費するようになり、華北の雨の少ない地方では水不足が深刻な課題になっている。その責任を生活用水に帰すのは妥当ではないのかも知れないが、都市と地方とが水を奪い合う現実が生まれていることも事実である。要するに、当時の、あるいは今の中国の人々が置かれた状況を理解するには、歴史や経済、政治や環境に対する理解が不可欠であって、そのような理解があってはじめて国民性や民族性(私自身はそのようなものが存在するとは思っていないが)を論ずることが可能になるのであろう。

さて、そういうわけで、私は現地に行きさえすればその国が理解できるとは思わないが、一方で百聞は一見にしかずということもある。では、目の前の事実から直ちに判断を下すか、あるいはもう少し慎重になるかといった違いはどこから生まれてくるのであろうか。自分が後者であったという前提で話をするのはそれこそためらいを感じるが、それはさておき、事実を解釈する際に動員される言語や歴史や文化の知識の多寡というのは、それなりに大きな意味をもつのではないかと思う。これらのいわゆる教養が我々にもたらしてくれる利益の一つは、安易に論断することへのためらいであり、ためらうがゆえに我々に選択の余地を残すことである。私にしてみれば、そのときのためらいのおかげで中国というテーマを選択する余地が残ったわけである。