大宮勘一郎(ドイツ語ドイツ文学研究室)

レオ・シュトラウス(Leo Strauss, 1899-1973)は、毀誉褒貶の激しい政治哲学者である。ユダヤ人として帝政下のドイツに生まれ、帝政崩壊と相前後して哲学を学びはじめ、1932年からパリ、ケンブリッジで研究を重ね、ドイツに戻ることなく38年にアメリカへ渡った。49年、新人文主義を掲げるシカゴ大学に招かれ、終生取り組んだのは、西欧哲学を政治哲学として再生させるという課題であった。50年代末にシュトラウジアンと呼ばれる学派が形成され、これが新保守主義(ネオコン)の母体となった。2000年代、二世ブッシュ政権下における「テロとの戦争」などの外交政策に強い影響力を及ぼしたこの勢力に対する評価が、その首魁と目されたシュトラウスの学者としての位置づけにも影を落とす。自閉的エリート主義と表裏なす独善的な正義の押し付け、といった批判は彼自身とその学説にも向けられる。

必ずしも不当無実とは言えないこうした批判を一旦措いたうえで、シュトラウスの論考「迫害と著述の技法」について考えてみたい。渡米直後1939年の準備草稿を経て41年、雑誌「ソーシャル・リサーチ」に掲載されたもので、52年には他の関連する論考三編とともに同名の単行本として出版され、今日ではこちらが底本とされるが、41年版からの変更は僅かである。

1933年パリ発のある書簡においてシュトラウスは、今日ドイツ語で書くことは「さながら災い」、としながらも、学術言語としてのドイツ語への執着を語っている。それを捨てきれぬままケンブリッジでホッブズ論を(!)ドイツ語で書いていたシュトラウスだが、渡米が転機となった。「迫害−」は彼が英語で公刊した最初期の著作である。故国の政情は悪化し、アメリカで糊口を凌がねばならぬとすれば、英語への転向は当然ともいえよう。しかし、書字言語の変更には、そのような消極的理由のみならず、後述するように「迫害−」の主題と深く関わる積極的な意味合いもあった。

第一章冒頭近くを引いてみよう。

「人々の多数をなす階層、恐らくは若い世代の大多数は、政府によって推奨される見解を、即座にではないにせよ暫くすると真実として受け容れてしまう。彼らはいかにして説得されるのか? 時間という要因はどこで係わってくるのか? 彼らは強制によって説得されているのではない。強制が納得を生むことはないのだから。強制はただ異論を封殺することによって納得に道を拓くだけである。思想の自由と呼ばれるものは、大抵の場合、公的に自説を開陳する弁論家や著述家など少数者の主張するいくつかの異なった見解からの単なる選択にすぎない。この選択が阻まれてしまえば、多数にとって唯一可能な知的独立も、唯一政治的に重要な思想の自由も破壊されている。」

これに従うなら、公権力による迫害は、異端学説それ自体の禁圧というよりもむしろ、多数の人々から選択の余地を効率的に奪うために不可欠なものである。選択肢がなくなれば彼らは、異論は存在せず、権力の与える唯一の教説が間違いであるはずがない、と早晩考えるようになるからである。こうして迫害の第一局面は完了する。しかし、とシュトラウスは続ける。選択肢はない、というお仕着せに従わない真の独立した思考の持ち主は必ず少数存在し、彼らは政府の推奨する見解を受け容れるようにはならない、と。第一の迫害は独立した思考そのものを妨害することはできず、その表現を根絶することもできない。とはいえシュトラウスは、少数者の勇気や意志の力、あるいは人類の進歩による自由の実現などに素朴な信を託すのではない。まさにここで、第二局面の迫害に対する警戒と工夫の必要性を指摘するのである。この局面においてこうした少数者を迫害するのは、もはや政府ではなく、政府公認の見解を奉じる多数の人々なのだ、と。思想の選択肢がないことに慣れてしまった彼らこそは、識字化され啓蒙されていれば尚更のこと、異端の思想を敵視するのだからである。「著述の技法」とは、これに対する備えであり、歴史上も実践されてきた知恵であるとされる。ここに、優れた思想家の著作は、公権力よりはむしろ啓蒙された平均的多数による迫害を避けるために、正統とされる思想に従って著された公教的exotericテクストの中に秘教的esotericな真理を匿っている、という著名なテーゼが立てられる。そのようなテクストは読者に「行間を読む」ことを求める、と続く。(第二章は、西欧近代におけるこの技法の劣化没落を批判的に描き出しており、興味深いのだが、紹介は割愛する。)

1939~41年に成立したテクストが、ファシズム陣営崩壊後の52年に、ほぼそのまま刊行されている理由もまた、ここで明らかになる。「迫害−」が念頭に置いているのは、ファシズム国家だけではない。歴史上多様な形でなされてきた迫害は、体制如何によらず繰り返され、特に第二局面の迫害は、アメリカも含む民主政国家においてもまた(あるいは、そこおいてこそ)行われうる、ということになるだろう。

「(秘教的内実を匿う)公教的文献は、人格者であれば誰でも公言しないであろう基本的真実があると前提している。というのもそれらの真実は、多数の人々に害を与えるであろうし、そしてその人々が今度は、不快な真実を語った者を当然ながら傷つけようとしがちだからである。換言すれば、公教的文献は、研究の自由、および研究のあらゆる結果を公刊する自由は基本権として保障されてはいない、と前提している。するとこうした文献は実質的に、自由の制限された社会に関するものであることになる。」

「迫害−」は読む者の心をざわつかせる。今日のネットワーク空間を彷徨えば実感できるように、知性の高低に関わらず誰もが潜在的には「多数」の一員である。この内なる「多数」こそが警戒を要する。「多数」とは何より権力の源泉なのであり、同化を求めるその力に抗するのは難しい。「著述の技法」に気づき、「行間」すなわち徴候を読解できる真の知性を持ちうる者であっても、外からも内からも攻撃を受ける。おのれの知性と弁舌にそこそこの自負がある者ほど、テクストの公教的表層をすらすらと読み解いた挙句、少数を迫害する側に回る危険は高かろう。知の公開性や自由な意見表明の機会の拡充は、迫害が生じる危険を飛躍的に増大させもする。「自由の制限された社会」は、我々のロードスでもある。

シュトラウスは、「行間を読む」技法を教育する必要を訴えつつ、この論考を締めくくっている。では、教育すべき少数者はいかにして立ち止まるのだろうか。

「プラトンの『饗宴』において、遠慮会釈ないギリシャの遠慮会釈ない申し子たるアルキビアデスは、ソクラテスとその語りをさる彫刻に擬えている。その外見は極めて醜いが、内側にこの上なく美しい聖なる姿を匿っているものである。過去の偉大な著作家の作品は、外側から見ても極めて美しい。そして、にもかかわらずその可視的な美しさは、ただ極めて時間がかかり、決して容易ではないが、それでも常に愉悦に満ちた作業の後にのみ示現するあの秘匿された宝に比べれば、醜悪以外の何物でもない。この、常に困難で、常に愉悦に満ちた作業こそが、私の思うところでは、哲学者たちが教育へと誘い勧めた際に念頭にあったものである。教育こそがあの切迫した問い、すなわち、弾圧ではない秩序と放埓ではない自由とをいかに調停するか、という、すぐれて政治的な問いに対する唯一の答えである、と彼らは感じていたのだ。」

ソクラテスの語りに込められた美に気づき、心惹かれたアルキビアデスは、容姿は醜怪と伝わるこの哲学者の傍にとどまり、聞き惚れる。

これは恋の瞬間である。著述の技法とは、そのまま若者の恋心を掻き立てる技法、すなわち真理への誘惑の技法でもある。(ジャック・ラカンなら「アガルマ=輝かしい美」の作用を語るだろう。)不意で微かな美の現れに心惹かれ、その先の隠れた真理に恋し、それを極めようとする営みをシュトラウスは哲学と呼ぶが、これをより広く人文学と言い換えてもよい。人文学が誘いかけるのは恋に躓くことのできる者であり、それが教えようとするのはこの躓きに始まる快楽である。エリート主義の誹りとは裏腹に、シュトラウスは第一義的には、恋を擁護しているのだ。それが人文学固有の自由権かつ生存権をなすからである。人文学の生存=実存が危機に晒されるなか、彼は哲学の始まりを反復し、その始まりの恋とともに人文学を救出しようとする。

読者を文字通り躓かせそうな硬質の英語で書かれたシュトラウスのテクストの下層には、紛れもなくドイツ語によるドイツ的思考がある。そのドイツ語もまた、古典古代やユダヤ、イスラムの思考を裏側から伝えよこす。こうした言語的重層性それ自体が「著述の技法」を実践しつつ語っているのである。浅薄な母語礼賛の対極をなす、人文的思慮ゆえの母語封印の技法であろう。もちろん英語第一主義とも取り違えてはならない。

日本国憲法第23条が自由を保障するのは、多数の権力に囲繞されつつもその統制を免れる特別な制度としてのアカデミズム=学問共同体であり、そこで少数者が研究し教育する学問である。人文学は、その躓きも恋も快楽も含め、単なる私事ではない。シュトラウスの言葉を借りれば、秩序と自由の間で揺れ動きつつ、「権力」「損得」とは別の仕方で両者を架橋する方途を、性急を排して模索しているのである。ゆえに貴重な営為として護られてきたのだ。「権力」と「権威」の分立という古来の知恵に従って、前者に助言を与える役割を、人文学が遂に免じられるなら、我々は多数として、これも彼の譬えだが、『ガリヴァー旅行記』が描くフウイヌム国のヤフーたちのような「仕合わせ」を得ることになるだろう。敵愾心と我欲に旺盛な彼らは、恋を知らないのである。

(2020年11月7日文学部ラボより)