生命科学とスピリチュアリティ 生命倫理への新しいアプローチ 開催趣旨

生命科学が急速に発展し、医療や食生活を初めとして、日常生活のすみずみに先端的な科学やテクノロジーの影響が及ぶようになっている。ここでは医学を中心に考えていきたいが、20世紀の最後の数年の間にクローン羊ドリーの誕生、人の胚からES細胞(万能細胞)を取り出し培養する技術の開発、人ゲノムの分子配列の読みとりの終了など、新しい生命科学と医療技術の発展を可能にさせ、人間の生活のあり方を大きく変えるかもしれない重大な革新がなしとげられた。

だが、そのことを喜んでばかりはいられない。これらの発展は、これまで治らなかった病気や障害を治るようにしてくれるかもしれないが、他方、人間が人間であることの条件を変えてしまうかもしれないからだ。すでに1970年代の末に、体外受精が可能になったことから、生殖技術の飛躍的な革新が起こったが、そこでも何をどこまで認めるのかについて多くの難しい問題が生じており、未だに論争がたえない。精子や卵子の提供や売買、借り腹・代理母、ひいては受精卵の段階で産むかどうかを判断する着床前診断などをめぐる生命倫理問題である。

1990年代以降に日程の上ってきたクローン技術、ES細胞の研究利用、遺伝子診断・治療などは、それらに輪をかけて一段と難しい生命倫理問題を数々生じさせている。たとえば、クローン技術を用いてクローン胚をつくり、そこからES細胞を取り出したり、遺伝子診断・治療の研究を進めていけば、多くの病気が治るかもしれない。そこから当人の遺伝子をもった臓器を創り出したり、障害者が生まれないように、また親の希望にかなった子どもが生まれるように、さまざまな操作を加えることができるかもしれない。

こうした重大な生命倫理問題について、従来、生命の尊厳を掲げて慎重論を唱えてきたのは、カトリック教会など、いくつかの宗教教団の勢力だった。だが、特定宗教の教義に基づく慎重論は、その教義を信ずるメンバーではない人たちに対しては十分な説得力をもたない。現在、求められているのは、特定の宗教に基づくのではない論拠に基づく慎重論の構築だろう。だが、それは合理的な論拠に基づくとともに、「いのち」や「死生」(生死)についてのスピリチュアルな要素を含んだ感じ方、考え方に基づくものとならざるをえないだろう。環境問題において、スピリチュアルな次元を含んだディープ・エコロジーの観点が形成されてきたように、生命倫理の分野でも、スピリチュアリティを視野に入れた議論が必要とされる段階に至っているのではなかろうか。

このワークショップは、生命科学者であると同時に哲学や神学に造詣が深く、二つの領域にまたがるような研究を進めてきたウィリアム・ハールバット教授の問題提起を踏まえながら、生命科学や医療に取り組む研究者・臨床家と、宗教やスピリチュアリティについて考え、教えてきた研究者・実践者が、以上のような最新の論題に取り組み、展望を示す機会としたい。(島薗進)