死生学と応用倫理 第1部 「いのちの始まりと死生観」 開催趣旨

東京大学文学部および大学院人文社会系研究科では、2001年より応用倫理プロジェクト(責任者:竹内整一[倫理学])を、また2002年より21世紀COEプログラム「死生学の構築」(責任者:島薗進[宗教学])を立ち上げ、社会の新しいニーズに応じた人文学や社会科学・行動科学の展開に取り組んでおります。

この2つの企てはそれぞれに大きな広がりをもっており、また、たがいに深い関連をもっていることは言うまでもありません。生命倫理問題や死の看取りの問題は両者がともに関わり合う領域の中心に位置しています。

そこでこの度、両プロジェクトの合同により、シンポジウム「死生学と応用倫理」を行うことになりました。高まりつつある医療やケアの現場のニーズを意識し、生命倫理の問題や、死と誕生の意味への新たな問いかけなどにつき、論じ合おうというものです。

「死生学の構築」プロジェクトでは、当然のことながら「死生観」を問い直すという課題が重要な位置を占めています。これは文化的な差異や文化の歴史的変化に注目するものです。一方、「応用倫理」においては、新しい技術や生活様式に直面しつつ、文化的な差異を超えた原理を問うたり、差異を超えて合意に達するための方途を問うという課題が重要です。

この度のシンポジウム「死生学と応用倫理」は、文化の差異や変化に着目しつつ、現場のニーズに応える知の産出を目指すもので、生命の発生と死、すなわち「いのちの始まり」と「いのちの終わり」に焦点を当てています。

第1部では、生殖技術やクローン技術や再生医療の急速な発展を踏まえ、胎児や胚や生殖細胞をめぐる生命倫理問題が論題となります。欧米ではすでに長期にわたり、人工妊娠中絶をめぐり、「いのちの始まり」についての議論がなされてきていますが、行き詰まりの様相を深めています。1978年の「試験管ベビー」の誕生以来、重みを増してきた生殖補助医療をめぐる議論は、不妊治療の普及によって次第に身近なものになり、多くの議論が積み重ねられてきています。一方、1990年代の後半になって、クローン羊ドリーの誕生やヒトES細胞の樹立がなしとげられ、人の発生過程に介入して医療の飛躍的拡充を得ようとする展望が広がってきています。これらはいずれも、生まれいずるいのちへの科学技術の介入に関わります。人のいのちの始まりをどこまで制御してよいのか、とまどいと不安が広がっており、この会議はそれらに応えるべく、新たな知の展開を図ろうとするものです。

第2部では、とりあえずは医療技術の進歩にともなって立ち現れてきた死の問題、すなわち脳死・臓器移植における死の定義の問題や、ホスピスや緩和医療などへの関心などを踏まえつつ、現代人にとっての死の意味をあらためて問おうとするものです。たとえば日本では1977年に、病院で死ぬ人と自宅で死ぬ人の割合がひっくり返って以来、現在ではほとんどの人が病院で死を迎えるようになってきています。それはかつてなかった医療技術の享受を意味すると同時に、比喩的にいえば「畳の上で死ぬ」という、尋常な死を死ぬことのできなくなってしまった、かつてない事態の到来をも意味しています。安楽死や尊厳死が新たに問い直されるようになってきたのも、人間らしい死に方への切実な欲求と関わっていると思われます。新しい死のあり方が避けられないなかで、私たちは古来の変わらない死のかたち・死の謎を見定める必要があります。ここでは、このような問題をすぐれて現代的問いとして総合的、他分野交流的に考えてみようと思います。

ぜひ活発な討議にご参加下さり、「死生学と応用倫理」の発展・充実にご貢献下さい。