33 フィレンツェ教育研究センター
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  活動の概要
 (1) フィレンツェ教育研究センターの概要
  東京大学フィレンツェ教育研究センター(Centro Studi e Ricerche dell’Università di Tokyo in Firenze)は、東京大学がヨーロッパに設ける最初の海外学術交流拠点として、イタリア・フィレンツェの旧市街(ボニファーチョ・ルーピ通り35番地)に、1999年3月に発足した。
  フィレンツェはいうまでもなく、西欧近代の幕開けとなったルネサンスの中心都市であり、豊富な文化遺産を今日に伝える町である。この町はまた、フィレンツェ大学のほか、国立中央図書館をはじめとする重要な図書館、研究所、アカデミーなどの教育研究機関を数多く擁し、また市内や近郊にイタリア以外の国々の大学・研究所の施設が集中するヨーロッパ有数の学術都市でもある。なかでもアメリカはハーヴァード大学をはじめ、数十の大学が分校や研究施設を有し、活発な教育・研究活動を展開している。
     東京大学教育研究センターも、それらフィレンツェに集まる研究教育機関に伍して、国際的な学術交流を通じて東京大学における教育・研究の質を高め、その成果を直接国外に発信する拠点として発足した。そうした設立趣旨に沿って、本センターでは次のような活動を行ってきた。
  1)フィレンツェまたはイタリアにある大学、研究所、学術団体、美術館などと東京大学との学術交流を推進する。
  2)シンポジウム、研究会、講演会、展覧会などの現地における実現を推進する。
  3)本学教員・学生、あるいは他の研究者がフィレンツェまたはイタリアで学術交流、研究、調査、教育を行う際の拠点を提供する。
  4)イタリアや広くヨーロッパの文化・社会に関心をもつ本学の教職員・学生・関係者のために研修の拠点を提供する。
  センターの運営は、人文社会系研究科長のもとに置かれた東京大学フィレンツェ教育研究センター運営委員会が担当し、2001年8月からはフィレンツェで在外研究中の土肥秀行・同研究科助手(当時)がセンターに常駐し、現地での管理・運営にあたってきた。ただし、2004年8月以降、センター発足時より活動の本拠地として借り上げていた民間アパートの居室を撤退し、フィレンツェ大学文学部内に事務機能のみを移転させたことに伴い、上記活動のうち、3)および4)は中断されることとなった。
    2004年度よりフィレンツェ大学日本文学科主任の鷺山郁子氏をセンター顧問に迎え、事務機能の移転後も、上記1)および2)の活動は継続したが、主として財政上の困難から、2006年7月末日をもって閉鎖された。
  センターの7年余りにわたる活動記録は、東京大学文学部・大学院人文社会系研究科ホームページhttp://www.l.u-tokyo.ac.jp内の「研究室・施設」該当ページに記載されている。

(2) 2005年9月~2006年7月活動の概要
1)学術交流
本学と学術交流協定を締結しているフィレンツェ大学、日本美術品の収集などで知られるスティッベルト美術館、近年アジア研究部門の設置されたヴュッスー資料館、フィレンツェで積極的に文化活動を展開しているデル・ビアンコ財団などとの交流を推進した。また、2005年9月22日~24日ヴュッスー資料館で開催された「イタリア日本学会第29回年次大会」(イタリア日本学会主催)への協力を行った。
2)シンポジウム等
以下に示すシンポジウム・討論会などを主として土肥助手(当時)の企画により開催し、研究者から一般聴衆まで多くの参加者を得た。
・ 2005年12月9日 会場:フィレンツェ市 "Area N.O." Natura Cultura
シンポジウム「オリエントからオリエント・エキスプレスへ - 中国・日本・イギリス・イタリアの推理小説について」
後援:フィレンツェ大学日本語日本文学科
発表:
土肥秀行(東京大学、司会)「文学のジャンルとしての推理小説の機能」
ルーカ・スティルペ(フィレンツェ大学)「法の学び場 中世中国の推理小説の教育的機能」
スーザン・ペイン(フィレンツェ大学)「ホームズからヘヴルスへ イギリス推理小説の捜査官」
鷺山郁子(フィレンツェ大学)「理性の病理 日本の現代推理小説」
レンツォ・クレマンテ(パヴィア大学)「イタリア推理小説の流れ」
全体討論
・2006年3月28日 会場:フィレンツェ市 “Area N.O.” Natura Cultura
討論会「東京大学フィレンツェ教育研究センター紀要『日伊文化Cultura Italo-Giapponese』第2号発刊を記念して」
参加:マッシモ・モーリ(詩人)、マルコ・マッツィ、トンマーゾ・リーザ(フィレンツェ大学)、土肥秀行(東京大学)
討論会の終わりにM.マッツィ作、M.モーリ出演、映画Niente da vedere, niente da nascondere(部分)を上映。
・ 2006年4月11日 会場:フィレンツェ市 "Area N.O." Natura Cultura
朗読会「吉増剛造、マリリヤをむかえて」
参加:マッシモ・モーリ(詩人)、鷺山郁子(フィレンツェ大学)、マルコ・マッツィ、土肥秀行(東京大学)
・ 2006年5月12日 会場:フィレンツェ市スティッベルト美術館
能楽シンポジウム「花伝、心より心に伝ふる花」
共催:スティッベルト美術館、ボローニャ市シンバレン文化協会
後援:駐イタリア日本大使館、フィレンツェ大学日本語日本文学科
プログラム:
(午前の部)
挨拶:中村雄二(駐イタリア日本大使)、キルステン・アッシェングリーン(スティッベルト美術館館長)
演舞:モニック・アルノー(金剛流シテ、師範代) 仕舞「高砂」
司会:鷺山郁子(フィレンツェ大学)
西野春雄(法政大学) 「現代に蘇る古典:復曲能と再創造」
引き続き「雪鬼」ビデオ上映
ボナヴェントゥーラ・ルペルティ(ヴェネツィア大学)「能における引用と能からの引用」
演舞:モニック・アルノー 舞囃子「山姥」
(午後の部)
司会:ボナヴェントゥーラ・ルペルティ
鷺山郁子「源氏に取材した能:六条御息所について」
マッテオ・カザーリ(ボローニャ大学)「伝統のかわらぬ活力」
モニック・アルノー「能面に仕えて」
3)紀要
センターの活動をイタリア内外に知らせるセンター紀要として2004年5月に創刊された『Cultura Italo-Giapponese(日伊文化研究)』の第2号を2006年2月に、同第3号を2006年7月に刊行した(刊行元はFirenze: Franco Cesati Editore)。センターが開催した講演会・シンポジウムの原稿を中心にイタリア語による論考をそれぞれ4篇収め、日本語による要約を付している。なおまた、第3号(最終号)巻末には、7年余りに及ぶセンターの活動記録を年譜形式で掲載している(長神悟・土肥秀行編)。
4)終わりに
1999年3月の開設から2006年7月の閉鎖にいたる7年余りの間、センターが主催ないし共催した、あるいは協力・参加したシンポジウム・講演会・研究会等の催しは大小55種にのぼる(詳細は上述ホームページ内の記述を参照されたい)。
また、センターの専有施設がボニファーチョ・ルーピ通りに設けられていた1999年3月から2004年7月までの5年5ヶ月の間、本学教職員・学生150名を含め、総計ではおよそ2000名(のべ人数)がセンターを利用している(宿泊者・催しへの参加者を含む。これも詳しくは上述ホームページ内の記述を参照)。
さらにまた、センター事務機能がフィレンツェ大学内に移転した2004年8月以後、2006年7月のセンター閉鎖にいたる2年間にセンターが実施した催しには、総計約1700名(のべ人数)の参加者があった。
 こうしたセンターの活動を通じて、文学部・大学院人文社会系研究科を中心とする東京大学とフィレンツェ大学等のイタリアの教育研究機関との学術交流が推進されたほか、各種催しに参加した現地の多数の学生・一般市民のあいだに東京大学の存在が広く知られるにいたった。
 センターの活動がさらに深く現地に根を下ろそうとしていたときに閉鎖を余儀なくされたのは残念であったが、センターはその限られた期間での活動を通じ、東京大学海外学術交流拠点としての役割を全うしたと考えられる。




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