本研究は、生物学、認知科学の知見を用いた宗教についての理論を指す「科学的宗教理論」を対象とし、20世紀末から21世紀にかけて科学的宗教理論が宗教学の分野に現れたことが、理論的・社会的・宗教的にいかなる意味を持っているのかを解明することを目的とする。科学的宗教理論における「科学的」の語は客観的に規定される意味での科学ではなく、自らが科学であることを強調しているという意味で用いる。

 そのような研究が必要な理由は、日本と北米における宗教学の20世紀末以降の研究状況を分析すれば明らかになる。双方の地域においてミルチャ・エリアーデの宗教学は大きな影響を有していたが、1980年代になると彼への批判が行われ始め、それは宗教学のアイデンティティをめぐる議論に発展していった。その過程で、「科学」のみが客観的な知を生みうるとするモダニストと、いかなる研究にもそれに携わる人間の社会的・政治的状況が反映されているとみなすポストモダニストの姿勢が現れ、両者の間で議論が行われてきたが、こうした北米の状況に対して、日本ではほとんどポストモダニストの側の研究のみが受容されることとなった。モダニストは科学的宗教理論を推進してきたが、そうした状況ゆえに日本では科学的宗教理論への理解と受容が不足することとなった。

 そうした現状において、本研究は科学的宗教理論に対し、(1)それらが依拠している諸分野の発展や理論を把握することによって、科学的宗教理論の十全な理解を試み(第1章・第2章)、(2)いかなる点において双方が対立するのかを明確化するために、6つの論点に分けて科学的宗教理論に対する批判を検討し(第3章)、(3)科学的宗教理論の社会的背景として、それを取り巻く科学と宗教の関係についての言説が及ぼしている影響を明らかにすることを試みた(第4章・第5章)。

 第1章では進化生物学の視点に依拠した宗教理論の発展過程を扱った。20世紀半ばに成立した生物学における現代総合説は、その見地を人間行動の研究に用いたE・O・ウィルソンの「社会生物学」をきっかけに、多数の後継理論を生み出した。社会生物学は遺伝子中心主義や還元主義といった批判を招いたが、そうした批判を乗り越え、人間行動を進化的視点から扱う分野として進化心理学や文化進化論が誕生した。進化心理学は人間行動を進化した心理メカニズムによって適応問題を解決するものとみなし、進化的機能分析によって普遍的な人間本性の存在を論じている。宗教に対しては、宗教は日常的な心理メカニズムが例外的に用いられた際に生まれるとし、そうしたメカニズムとして擬人観などを指摘した。他方で文化進化論は遺伝子ではなく文化の伝達や発展を進化的に取り扱い、どのような文化が好まれ伝達されるのかについてのモデルを提供している。この観点からは、社会統合を強化する、人を道徳的にするなどが宗教の機能として見出されている。

 第2章では、新たな分野として登場した「宗教認知科学(CSR)」の理論とその知的背景および成立までの過程を明らかにした。CSRは主に人類学の影響の下で、認知科学および認知心理学に関心を持った研究者によって作り上げられた。初期の研究者であるローソンとマコーリー、ボイヤー、ホワイトハウスは自らが提示した理論を検証する心理学的実験を行い、その方法論をCSRという形態で確立した。また何人かの宗教学者は、エリアーデに対するモダニスト的批判の文脈に沿い、CSRは宗教をスイ・ゲネリス的でない科学的な方法で研究するものと位置付けた。CSRは人間の普遍的な認知的能力が宗教を生むとみなしており、その点で進化心理学的視点と結び付いている。

 第3章では、これらの科学的宗教理論に対してなされた批判を、「普遍主義/個別主義」「説明/解釈・理解」「還元主義/非還元主義」の3つの二分法的論点に加え、用いられる「宗教」と「科学」の概念、および既存理論との共通性という視点から分析した。二分法的論点においては、CSRおよび生物学的宗教理論は普遍主義、説明アプローチ、還元主義の姿勢を取り、それゆえさまざまな問題点を有すると指摘されているが、他方で科学的宗教理論の側からもう一方の姿勢に対する再批判も行われている。ゆえにこの3点は両者の姿勢の根本的な差異を指し示すものと理解すべきである。また科学的宗教理論の宗教概念は、主に提示する理論に付随して変化しているが、とりわけCSRによる一般人の「宗教」と専門家による「神学」の区別は、後者を重視する従来の研究に異議を唱えているともみなせる。科学的宗教理論の科学概念には、社会的・政治的機能が内在していることが指摘されている。自らが「科学的」だとすることと、相手が「非科学的」だと批判する言説は、知的であると同時に社会的に自己を正当化する機能を果たしているものと理解できる。最後に、科学的宗教理論は既存理論との共通性も指摘されており、既存の理論に再度光が当たるきっかけにもなっているとみなせる。

 続く2つの章では、価値中立的な「科学」を自認する科学的宗教理論も、何らかの政治的・社会的文脈を有し、その文脈との相互作用が存在しているという指摘に従い、科学的宗教理論と宗教思想との関わりを明らかにした。第4章では、科学の発展が必然的に宗教の否定をもたらすという視点からの、科学的宗教理論と反宗教的思想の結び付きを扱った。その代表であるドーキンスとデネットは進化生物学の発展によって宗教は否定されるとみなしているが、その背景には無神論的イデオロギーがあると批判されている。このような科学に基づくイデオロギーを肯定的に主張するものが、宗教的ナチュラリズムである。この思想は、科学や自然は価値を生み出す源泉となりえ、宗教としての機能を果たしうるとみなしている。宗教的ナチュラリズムにおいては、自然が崇拝対象とされ、語るべき神話として進化の物語が挙げられている。また宗教的ナチュラリズムにおける「宗教」は、超自然的なものへの信仰ではなく、人生に意味を与える価値体系だと考えられている。宗教的ナチュラリズムの事例は、科学を価値体系とした宗教が生まれうることを明示している。

 他方で多くの論者は、科学の発展は必ずしも宗教の否定には至らないと主張している。そこで第5章では、前章とは反対に科学の発展は宗教に対して肯定的な影響をもたらしうるとする言説を取り扱った。宗教学の文脈では、宗教と結び付いた研究は「神学的」とみなされ、そうした研究は権力の追認であり、そこには社会的・政治的問題が生ずると指摘されている。そのような神学的とみなしうる研究はCSRをはじめとして、科学的宗教理論の周辺にも多数存在している。その例として、神経神学および北米宗教心理学の一部を挙げることができる。こうした研究は、ある共通の特徴を有している。それは従来の自然神学のように特定の宗教的信念の正しさを証明するものではないが、その代わりに科学的研究を用いて宗教を信じることの現世的利益を明らかにしようと試みている。そのような研究に対しては「効用自然神学」の名称で呼ぶことができる。このような研究が生まれることが、科学的宗教理論のもたらす社会的・政治的帰結の1つであるといえる。

 以上の研究成果から、次の4点を結論として述べることができる。

(1)科学的宗教理論の背景として存在するのは、動物と人間、物質と精神、自然科学と人文・社会科学という3組の間に存在するとみなされてきた境界が消滅しつつあるという「知の変動」である。この変化の結果として、生物学や認知科学の観点から、人間の文化や社会の研究が行われるようになっていった。

(2)科学的宗教理論の3つの側面における意義に関して、まず理論的意義としては、科学的宗教理論は第3章で扱った3つの二分法における既存の立場に異議を唱え、さらなる議論を呼び起こしていることが挙げられるが、そうした論点はより幅広い研究の描写にも用いうる。また社会的意義としては、科学的宗教理論は宗教の否定や肯定をめぐるさまざまな言説に関わっているが、そのどちらかの立場と必然的に結び付いているわけではないといえる。さらに宗教的意義として、宗教的ナチュラリズムや効用自然神学など新たな宗教思想が生み出されていることが挙げられる。

(3)科学や宗教の概念について、まず「科学」は、非常に多様な内容を含む規定しづらい概念であり、それを戦略的に用いる科学批判および反科学批判にはイデオロギー的要素が存在すると指摘できる。次に「宗教」は、主として理論に付随して形成される概念であるが、それが用いられる際には、常に社会との相互作用を伴っている。

(4)以上の研究成果を踏まえて、科学的宗教理論を用いた研究、理論研究と方法論上の議論、科学を対象化した研究の3つを新たな研究の方向性として提起できる。これらの視点を取り入れ、新たな研究対象や研究手法に向かって視野を広げ、同時にそれらへの批判的分析をも行うことで、今後の研究の可能性も大いに広がっていくであろう。本研究は、そのような可能性を示すものとして位置付けられる。