1.本論文の関心と総論

 

 本論文は、民間賃貸セクターおよび民間家主に着目し、戦後日本における居住保障システムの福祉社会学的な解明を行った。国際比較によれば、日本の住宅政策は、社会住宅や住宅手当などの財政支出の規模が小さく、社会政策としての性質が弱いとされる。住宅問題は都市労働者階級の重大な関心事であり、戦後日本において都市部に一定の労働者が流入・定着した以上、社会政策としての住宅政策が拡充される可能性は存在した。それにも関わらず、それが現実に拡充されなかったのはなぜか。

 こうした問題関心から、本論文は、戦後直後から1970年代までの東京圏において、住宅問題の処理に対して民間賃貸セクターがいかなる機能を果たしたか、というリサーチクエスチョンを設定した。これに対する回答は、民間賃貸セクターにおけるくいつぶし型経営が、住宅問題の処理において積極的な役割を果たした、というものである。

 その機能は、第一に、戦後の深刻な住宅不足に対して、民間の個人家主が短期間に大量の住宅を供給することでその解消に寄与したという意味での、量的充足である。その際、既成市街地においては家主の持家の建て替えに伴うもの、郊外地域においては農地の転用を機とするものなど、生活合理性、すなわち家主世帯の生活保障への貢献が重視されていた。家主の大多数が土地を所有しており、複数の収入源を持った兼業経営で、高齢者の割合も少なくなかったことから、たとえ適正な利潤が得られずとも、経営が継続されるという特徴が見られた(「くいつぶし型経営」)。

 こうした特徴から導かれるのは、第二の機能としての、相対的低家賃の実現である。日本の都市計画制度のもとでは土地利用規制が限定的で、そのことが地価高騰を招くという問題がたびたび指摘されてきた。ところが、民間賃貸セクターの家賃は地価の上昇に比べて緩かであった。このような相対的な低家賃を可能にしていた条件の一つが、くいつぶし型経営である。それは、住宅が疑似的に脱商品化されていたことを意味する。

 第三の機能は、家主と借家人の関係についての規範的拘束である。家主の居住地が賃貸住宅と同じ建物や近隣であったことを背景として、近隣関係を組み込む形で、家主・借家人双方に、良好な借家関係の維持に対する規範的拘束が生じた。法人による高層建築が、日照権など近隣トラブルを生んだこととは、対照的であった。

 以上のように、戦後直後から1970年代までの東京圏の住宅問題の処理に対して、民間賃貸セクターは、量的充足、相対的低家賃、借家関係の維持によって、積極的な役割を果たした。言い換えれば、こうしたバッファー機能があったからこそ、借家人による住宅問題の政策的改善要求は、住宅政策の拡充へと結びつかなかった。

 

2.各章の要約

 

 序章「現代日本における民間賃貸セクターと家主のイメージ」では、本論文の問題意識を明らかにするため、家主研究を行う実践的な意義を述べた。現代の家主についてのメディア上のイメージを類型化するとともに、家主に関する政策上の位置づけが2000年代半ば以降に変化したことを確認した。そして、これまで住宅政策研究において必ずしも焦点化されてこなかった民間家主の行動と機能を解明するための分析枠組みの必要性を指摘した。

 1章「民間賃貸セクターへの社会学的アプローチ」では、民間家主の研究を行うための理論的視座を設定した。本論文は、福祉の社会的分業/分業を支えるイデオロギー/イデオロギーの基盤としての借家経営という分析水準の区分を行うことで、福祉社会学による住宅研究という独自の立場を明らかにした。本論文はこの立場から、住宅政策の分析において重視されてきた住宅の供給のみならず、住宅の物的管理および対人サービスの提供という側面を捉えるため、先行研究が依拠してきた住宅保障システムの概念に改良を加え、居住保障システムという新たな枠組みを構成した。

 2章から5章では、こうした理論的視座にもとづき実証的な分析を行った。資料には、建築学を中心とした研究者、および行政機関などによって実施された住宅調査を用いた。

 2章「戦後復興における民間賃貸セクターの縮小・再編――「戦後型借家」の諸前提」では、敗戦から1950年前後の時期における、複合的くいつぶし型経営について検討した。約420万戸におよぶ絶対的住宅不足・質的住宅不足を前提としつつ、様々な負担が家主に生じていた(2節)。既存の借家の売却や、新規の建築・供給は抑制されざるをえなかった。これに対して家主は、貸間の提供、闇家賃や初期費用の徴収などの手段を講じて借家経営を継続した(3節)。借家人の側から見ると、営業用貸家の位置づけの低下、専用貸家の主流化、営業用借家の借家人集団の周辺化などを通じて、戦前とは異なった戦後借家人層が形成された(4節)。家主の職業には個人経営者とホワイトカラーが多く、賃貸住宅は家主の自宅の近隣にあった(5節)。1950年前後には、住宅問題の位相が被災問題から、より一般的な低所得層および流動層にとっての住宅問題へと転換した(6節)。

 3章「木賃アパートという「解放」――過渡期的としての1950年代」では、1950年半ば、木造賃貸(「木賃」)アパートが先駆的に登場する過程を明らかにした。1950年代には、経済復興によって食糧・雇用問題が解決し、政策による住宅問題の解決に向けた提案がなされ、戦後住宅政策の体系が整備された(1節)。ただし、低所得世帯にとっては安定した住宅が不足しており、公営住宅の家賃が負担できない世帯も少なくなかった。住宅金融・住宅産業の面から見ても、1950年代の住宅市場は多分に過渡期的な性質を持っていた(3節)。1950年代に普及しはじめる木賃アパートは、従来、戸建て・長屋建てを中心としていた借家市場において、面積が小さく、質の低い共同住宅という特徴を備えていた。そこには、都市居住者の流動的な生活実態への適応にとどまらず、くいつぶし型経営から相対的に乖離する可能性が存在した(4節)。借家人側からは、寮や間借りの次のステップとして位置づけられており、定住の場としては捉えられていなかった(5節)。この時期に新たに経営に参入した層には不動産業者や建築業者が数多く見られた。これらの家主は経済合理性を重視する傾向が見られた(6節)。

 4章「高度経済成長と木賃アパートの広がり――参入合理性と住宅難の再生産」では、高度経済成長期における木賃アパートの本格的な普及過程について検討した。持家支援中心の戦後住宅政策の体系は、建設戸数主義と民間自力建設を前提としていた(1節)。大都市部では持家率は低下の一途をたどり、民間木賃アパートが住宅不足の主要な受け皿となった(2節)。これには、量的・地域的・階層的拡大という諸特徴が伴った。既成市街地の高密度化と郊外への市街地の拡大によって、いわゆる木賃アパートベルト地帯が形成された(3節)。木賃アパートは、都市に移動した若年単身者層、家族形成期の世帯のほか、立退きあるいは住環境改善による移動の受け皿でもあった(4節)。家主は、機会的土地所有を背景として、零細な土地に狭小なアパートを建てるのが一般的だった。この時期の特徴は、建設業・不動産業の割合が減少し、農業世帯が増加したことである。木賃アパート供給は、既成市街地においては持家の建て替え、郊外地域においては農地の転用に伴っていた。そこでは、生活合理性、すなわち、家主世帯の生活保障に対する貢献が重視された(5節)。

 5章「民間賃貸セクターにおける建て替えの困難」は、ポスト高度経済成長期の1970年代を中心に、住宅政策の転換可能性とその頓挫を見た。農村から都市への人口移動の鈍化に伴い、住宅問題は量から質へと転換した(1節)。この時期には、居住水準の向上と住宅費負担の緩和を含む方針が建設省から提起されたが、結果的には、階層別供給体制から持家偏重体制へと転換した(2節)。民間賃貸セクターにおいては鉄骨造(「鉄賃」)が徐々に増加し、民間賃貸セクターとも部分的に重なりつつ、集合住宅において持家を可能にする区分所有型の住宅が伸長した(3節)。借家人の側から見れば、民間賃貸セクターから持家へ、という転居パターンが都市部においても定着していた(4節)。家主の側から見れば、供給・管理主体の特徴としては木賃と鉄賃の異質性が大きく、前者から後者への建て替えによる質の向上は困難であった(5節)。

 

 

3.本論文のインプリケーション

 

 以上を踏まえて、本論文のインプリケーションとしては以下の二点が挙げられる。

 第一に、住宅政策の捉え方である。これまで戦後日本の住宅政策については、持家主導、社宅、民間賃貸セクターの借家法の規制力の強さ、残余的な社会住宅セクターといった特徴が指摘されてきた。本論文はこれに対し、民間賃貸セクターの供給・管理の実態にもとづいて、住宅問題の二層的処理というべきメカニズムを明らかにした。問題は借家関係内部で処理され、それが困難な場合は借家法が対応に当たる。他方、これら民間賃貸セクター内部での住宅問題の処理の成功は、借家人の組織化という面でも、家主の組織化という面でも、住宅への要求を政策の争点とし、実現していく回路を閉ざすこととなった。

 第二に、居住保障システムによる「管理」の重要性である。民間家主は、単に民間賃貸住宅を供給するばかりでなく、住宅の物的管理、借家人への対人サービスをも提供していた。居住支援――住宅確保要配慮者の居住・生活安定――という政策理念を実質化するためには、民間家主がこれまで潜在的に担ってきた管理という側面を適切に評価する必要がある。