本論文において論じたのは、題名にも示した通り、『古事記』に見える歌表現に関する問題である。『古事記』に見える歌表現は『日本書紀』に見える歌表現と合せて「記紀歌謡」と一括されて論じられてきた歴史がある。なぜ本論においては「記紀」ではなく『古事記』に絞るのか、また「歌謡」ではなく「歌」表現の研究と題するのかから述べる。

 長く「記紀」に見える歌に関して「歌謡」という研究用語が使われてきたのは、それが声に出して歌われた実態を持っていたという理解が一つの原因である。それは「記紀」に見える「歌」が、所謂「和歌」とは異なる表現性を持っていることに大きく起因する。緊密に意味的な接続と完結した表現を持った「和歌」に比して、「記紀」の歌は、その表現に様々な指摘をされてきた。具体的には、歌詞の一部、興味関心をもった一部分が肥大化してしまうこと、そういった事態に伴って論理的展開に必要な情報が落ちてしまうことがあること、一首として表現が完結しておらず、拡散的であること。そういった諸々を要因として、「記紀」の当該場面を離れると歌表現として理解が施せず、普遍的でなく、場に限定された一回的な表現であること。こういった表現性自体を「和歌」と区別するために「歌謡」と呼称したり、その表現性の根拠として実際に歌う具体的な場を想定することによって「歌謡」と呼称することが行われてきたわけである。

問題は、その「記紀歌謡」と呼ばれている「記紀」に、「歌謡」という用語が用いられていない点である。これら「記紀」に見える歌は典型的な「歌曰」のような文字列に伴われて一字一音表記でテキスト内に見える。つまり、「記紀」というテキストはこれらを「歌」と表記し、また、扱っているのだということである。そのようにしてテキスト内にある言語表現を学問的に理解しようとした時に、「歌謡」という概念を持ち込むことの意義は問われねばならない。そこにある歌表現を一箇のものとして対象とし、その表現性を問おうとした時に、表現の緊密性をして「和歌」的であるとか、表現の一回的な性格をして「歌謡」的であるなどといった説明には意味があろうが、テキストが「歌」であると記述するものを「歌謡」として読もうという議論は留保さるべきであろう。また、そういった意味においてテキストが「歌」と記述する際に、『古事記』と『日本書紀』は明かに違った文脈を形成する。ここ数十年で、所謂「記紀神話」という概念に対してテキスト論的視点が持ち込まれ、『古事記』というテキストにおける「神話」、『日本書記』というテキストにおける「神話」の意味性がそれぞれ問われてきた成果に鑑みても、それぞれのテキストにおける「歌」の概念自体が問われなければならない。

 そのようにして、『古事記』という一つのテキストの「歌」という言語表現様式そのものを問う、という問題設定が要請されるわけであるが、その問題設定の中で何が見えたのか、また、そこからどのような問題へとつながってゆくのかを述べる。

 序章において問うたのは、『古事記』の「歌」が登場人物の心情表現、叙情表現として読めるかどうかという問題である。「記紀歌謡」と呼称されてひとしなみに論じられてきた中では、多く「歌謡」と「物語」の関係性が問われてきた。研究史を整理したなかに詳しく述べたが、「記紀」の「歌謡」の研究の中で問題として立てられ、かつ多く議論が重ねられねばならなかった原因は、テキストの中にある「歌」を「叙情表現」とする枠の中でのみ議論が重ねられたことであろう。「物語」にとって「歌(歌謡)」とは何か、という問を立てながらも、それを「叙情表現」とする枠からは外に出ず、むしろその枠をどのように論理化してゆくか、という点に議論は集中してきた。それが何かという問をたてているようでいながら、結局は一つの枠組を前提し、その枠組を強化する方向に議論が集中してしまっていたことになる。『古事記』というテキストにとって「歌」という言語表現はいったい何者であるかを問う本論としては、その枠組みに対しての問題を提起するところから議論を始めねばならなかったのである。その序章でみたのは、『古事記』の中で、歌が個人の心情表現という以上に、その歌の表現様式がなにがしかの物事を語るようになっている『古事記』の歌のありようであった。「歌」の表現様式が『古事記』の歴史叙述を担っていたということである。

 このようにして、「記紀」の「歌」が「叙情表現」であるという枠組に対するアンチテーゼを序章に立てた後、第一部には「ヤマトタケル」をめぐる歌をみた。「ヤマトタケル」という人物名は『古事記』『日本書紀』双方に見え、特に『古事記』では歌による「叙情表現」を利用した文芸的な物語構成がされているという見方がされてきた。序章において「歌」に関してその固定的な見方に対する問題提起が為された上で、再度「ヤマトタケル」の物語の構成に関して論じ直すことが目的であった。方法としては特に『日本書紀』の同じ「ヤマトタケル」の話のありようとの比較を中心とした。二つのテキストは「ヤマトタケル」という人物自体を天皇に準ずる存在として位置づけるか、天皇の臣下として位置づけるかで決定的な現れようの差異があるのはよく知られることであるが、そのような前提の中で話を構成する際に歌がどのように参与しているかを析出しようと試みた。結果として、『古事記』が「歌」という言語表現を、語りたい内容を示す中心的な装置として扱っていることが見えた。記紀の話のありようの様々な差異が、それぞれのテキストが歌をどのようなものとして扱うかのその態度の差によって発生することを確認した。なにがしかの内容を「歌」で語らせようとすると必然的に『古事記』のテキストのありようになり、「歌」を介さずに語ろうとすると必然的に『日本書紀』のありようになってしまうのであった。つまり、すくなくとも『古事記』というテキストにとって「歌」は所謂「心情」や何かを表すための一箇の手段ではなく、語りそのものでもあったということになる。歌を利用することで、文学的に豊かな表現が確保されたりするのではなく、歴史叙述の一つのありようとして捉えねばならないことになる。

 そこまで導いた上で、第二章には「オホサザキ」をめぐる歌をみた。第一節においては、第一章にみたように歌の表現様式が、テキストの語りそのものを規定してしまう構造が「仁徳記」においても同様に発現していることを確認した。第二節、第三節においては、記紀において現れようが同じに見える歌の相互比較を通して、『古事記』というテキストが「歌」と記述する際と『日本書紀』というテキストが「歌」と記述する際の概念の違いを見出した。『万葉集』も含め、同時代的に幅をもって「歌」という語が使われ、かつ、その概念がそれぞれのテキスト内において違った現れようをすることを確認した。以上を受けた第四節では、『古事記』「応神記」において、歌がテキストにとっての外部的文脈である祭式を、テキストの構成する語りの中に引き込んでくる媒介になっていることを論じた。現実の即位儀礼たる「大嘗祭」が、『古事記』というテキストの中に観念的に、また、実体的に投影され、それぞれの投影のされ方が歌でもって並列的に結実される様子を見ることで、「歌」が『古事記』というテキストにおいて語りを担うレベルが、様々にあり得たことを示したことになる。

 以上、具体的な『古事記』内の「歌」のありようから、「心情表出」、「叙情詩」ではなく、歴史叙述に参与する、あるいは歴史叙述そのものでありうる「歌」をみた上で、終章には全体の議論において見いだした内容を概括した。序章に研究史を概括して問題意識を論じたことに、どのようにこたえたのかを整理したことになる。長い研究史の中で「記紀歌謡」が「叙情詩」として論理付けされてきたことは歴史的必然性でもあったわけであるが、本論がそれら議論を相対化する位置にあることを明かにした。本論において直接に問うたことは、『古事記』にとっての「歌」とは何かという問題であったが、「歌」という概念が現在に至るまでの通底した一つの概念としてあるのではない、というだけでなく、少なくとも上代においても各テキストにおいてそれぞれ異なった概念として立ち上がってくることを最後に振り返った。同時代的にも多様に、また変遷しながら「歌」という概念があり、それをテキストごとに見定めていかねばならないことを改めて確認したということになる。

 概略を述べてくる形を取ったが、端的にまとめるのであれば、「歌」という言語表現様式に対して研究史の中で固定化された「叙情詩」「心情表出」というパラダイムを問い直す一つのアプローチとして、『古事記』の中における「歌」の働きを分析し、違った現れようを導くということを、全体を通して行うものである。