本研究の目的は諫早湾干拓事業をめぐる様々な社会問題を通じて、従来開発問題を説明する際に用いられてきた受益圏・受苦圏論では見過ごされてしまう、開発問題の側面を明らかにすることである。諫早湾干拓事業をめぐる問題においては、事業によって農業環境の改善や新しい農地の造成などの利益を得ることとなった農業者と、事業によって漁場の環境が悪化し、漁業被害を被っている漁業者との間の対立であると想定されがちである。こうした想定のように、開発がもたらした問題を、損益の分配の問題として捉えたのが受益圏・受苦圏論であった。本論文は、この受益圏・受苦圏論を多角的に批判しながら、諫早湾干拓事業をめぐる問題が、非合理的な状態が改善されないままで持続しているのはなぜなのかを明らかにしたものである。本論文の各章の構成は以下の通りとなっている。

第1章では、本研究の問題設定を述べるとともに、関連する先行研究の検討を行った。そして、フレーム分析、ロック・イン、大技術・中技術・小技術といった概念を援用しながら、本研究の立場を述べた。また、諫早湾干拓事業について、事業の概要と、干潟の自然保護の観点から社会問題となっていった経緯を記述した。諫早湾干拓事業がその後有明海の漁業被害の一因として漁業者による反対運動の対象となったこと、事業の工事が完了して以降、常時開門を求める漁業者と、それを阻止しようとする農業者とがそれぞれ国に対して訴訟を起こし、現在も解決に至っていないことなど、事例の特性を記述した。

第2章では、地域環境問題における利害当事者である「住民」と、主に環境保全を目的とした「市民」が連携して運動を行っていることにともなう問題点を明らかにした。 諫早湾干拓事業は、防災と農地造成を目的として行われた大規模公共事業であり、事業が実施された長崎県の漁業のみならず、佐賀県・福岡県・熊本県を含む有明海沿岸全体の漁業被害を代表とする環境異変を引き起こしたとして現在でも漁民や市民による反対運動が継続している。本章では、主に漁業者を原告とした訴訟である「よみがえれ!有明訴訟」を中心として、主として住民運動・市民運動の弁別に焦点を当てながら、運動を担う組織に特有な運動資源に着目して分析を進めた。また、フレーム分析を用いて、諫早湾干拓事業がどのような問題として定義されているのかを時期ごとに分析した。

第3章では、農水省と漁業者、弁護団が定期的に開催してきた意見交換会の議事録をデータとして、「よみがえれ!有明訴訟」において5年間の開門を命じる福岡高裁の判決が確定したのちの2011年から、開門が実現せずに漁業者側に制裁金が支払われるようになった2014年までのものを用いた分析をおこなった。その際に、農水省が、自らが解決する責任を負ったこの問題に対して、いかにしてその責任が存在しないかのようにふるまっているのかに着目した。また、第2章で触れた「有明海の再生」という漁業者や弁護団によって作り出されたフレーミングについて、それを農水省が積極的に利用しながらも、漁業者が望んでいるような「開門による有明海の再生」という意味ではなく、農水省の政策方針に沿うような「開門によらない有明海の再生」と意味をずらして用いていることを明らかにした。

第4章においては、第3章と同じく原告弁護団と農水省との意見交換会のデータを用いながら、この意見交換会の場において、漁業者が何を求めているのかを明らかにした。有明海および諫早湾の漁業者は、干拓事業の実施前に漁業補償を受け取っている。事業にいったんは同意して補償を受け取った漁業者たちは、なぜ今も干拓事業に反対し続けるのか。また、新たに金銭的補償や経済的支援がなされれば漁業者は開門を求めることをやめるのだろうか。本章では、漁業者による漁業被害や漁業者としての生活にかかわる語りを取り上げながら、漁業者が意見交換会の場において一貫して、漁業者として再び十分に生活できるようになることを求めていると明らかにした。さらに、KH Coderを用いて農水省、弁護団、漁業者の発言の特徴を計量的に分析した。この計量的分析においても、漁業者は、農水省や弁護団の発言とは明らかに異質な特徴を持っており、「生きる」ことや「死ぬ」こと、そして様々な魚や貝の種類など、漁業者自らの生死や漁業の対象となる魚種の生死に関する発言を一貫して行っていることが明らかになった。

第5章では、干拓事業の工事完了以降も諫早湾で漁業を続ける泉水海漁民と、彼らが属する漁業協同組合に注目し、事業による漁業被害を受けている泉水海漁民がなぜ事業推進を表明していたのか、その理由を分析する。先行研究において、被害を受けるにもかかわらず事業推進を唱える人々の論理は、多くの補償を得るためという功利的側面からのみ説明されるか、個人や共同体の生活を再建するためというアイデンティティのよりどころとして理解されていた。これに対して、本章においては、先行研究においては補償のスキームと生活再建のための論理が補完的な関係にあったことに着目し、泉水海漁民にとっては補償を受けることと被害回復のための方策を取ることが両立不可能な状態にあったことを指摘した。そして漁協が補助事業等の補償的受益から抜け出せなくなり、事業が完了した後にも漁場回復のための方策が取れなくなってしまうロック・イン状態にあることを明らかにした。

第6章では、諫早湾干拓事業が実施されることとなった歴史的経緯を記述する。また、諫早湾干拓事業以前から存在していた農地が開発の結果得られる利益とそれに伴う様々なコストとを比較した時に、得られる利益がコストに比べて小さいはずの事業がいかにして正当化され、継続することが既定路線であるものとして地域社会の中で構築されていったのかを分析した。その結果、農業者にとっては必ずしも最適とは言えない干拓事業が実施された場合においても、その事業の正当性が様々な方面から問われる中で、事業のメリットを強調し、見直しを求めるものを地域から排除し、硬直的なまでに事業を維持する力が働くようになっていったことを明らかにした。

第7章では、諫早湾干拓農地における農業者の一部に着目し、彼らが現時点までに十分な利益を得られていない干拓事業に、それでもなお依存せざるをえなくなっているのはなぜかを明らかにした。そのために、諫早湾干拓事業の前の干拓事業によって造成された既存の干拓地に着目し、この干拓地およびそこで暮らす農業者が、なぜ必要十分な農業環境を達成できていないのか、そして、必要な農業環境が与えられていないにもかかわらず、なぜ諫早湾干拓事業を支持せざるを得なくなっているのかに着目した。その際に、大技術・中技術・小技術という、防災技術の担い手に着目した分類を参照しながら、国営で造成され、行政によって維持管理される諫早湾の潮受堤防を大技術、市町村や県営レベルで設置され、土地改良区など地域の農業者の自治によって維持管理されてきた樋門や排水機場などの農業用排水関連技術を中技術として分析した。その結果、既存の干拓地に農地を持つ農業者は、自ら管理できる中技術の実施を抑制され、潮受堤防という大技術によって農業用排水設備を代替されることによって、大技術に依存せざるをえない状態であることを明らかにした。

第8章では、各章における分析の結果を確認し、全体を通じて明らかになったことを述べた。大規模開発問題としての諫干問題が、受益と受苦の二項対立としてとらえられてきたことによって見過ごされてきた側面があることを指摘し、この問題を利害関係の異なるアクター同士の対立として描いてきたことの問題を明らかにした。そして、大規模開発問題を分析する枠組みとして、従来の二項対立的なものではなく、生業環境における自治が保証されているかどうかに着目するべきであると結論づけた。最後に、本研究の課題と展望を述べた。

 本研究が全体を通じて明らかになったのは、新聞等報道等による社会的なとらえられ方のみならず、社会学的にも、受益圏・受苦圏論を前提とすることによって、諫干問題が利益を得る者と損害や被害を受けるものとの対立として捉えられ、一方が損をすれば片方が得をする、ゼロサムゲームとして問題を規定してしまうということである。本研究の結論では、受益・受苦という二項対立的な考え方によらずに、大規模開発の問題を分析するためには、コミュニティで管理が可能で、それゆえに、行政などの外部機関に継続的に依存しなくてもよい、さらに、農業や漁業という生業をめぐる環境(農業用排水の環境や漁場環境)をある程度コントロールできるような制度や技術が存在するかどうかという点が、むしろ開発問題のポイントであると主張した。そうした、生業をめぐる環境における自治が見られない以上、金銭的補償を受けていても、あるいは技術的な管理による恩恵を受けていても、その集団を受益者、あるいは受益圏としては見なせないと考えるべきであると結論づけた。