本稿は、堀田善衞文学の基礎研究を目指すものである。堀田が敗戦後に執筆した一連の「上海もの」を主な研究対象とし、作品の評釈を通して堀田善衞の「上海体験」および彼の敗戦後文学の内実を把握することが本稿の目的である。それと同時に、堀田善衞の「上海もの」を切り口に、戦後日本における「中国」の文学表象を考察することも重要な目的とした。論文の副題を「『中国』表象と戦後日本」としたのはそのためである。

第一章「堀田善衞・戦中から戦後へ」では、戦時下堀田の文学的営為を検討する。昭和の小説家として知られる堀田善衞は実際に敗戦まで小説作品を発表したことがない。戦前の堀田は主に批評家として文筆活動を行っており、彼の戦中文学の諸作もほとんど文芸評論のテクストから構成されている。しかしこれまでの堀田善衞研究の力点は彼の戦後文学に置かれていたために、堀田の戦中のテクストについては、まだ十分に検討されていない。本章は、全集未収録作の「ラムボオ」と未発表草稿「西行――旅」を主な材料とし、堀田文学における〈戦中〉と〈戦後〉とのつながりを明らかにした。

第二章「『祖国喪失』論」では、堀田善衞の処女作である連作小説『祖国喪失』を検討する。『祖国喪失』は堀田善衞が戦後に発表した最初の小説である。この小説の特色の一つは、作品の内部に一九四五年上海の「都市空間」を構築している点にある。この手法は、一九二五年の上海を描いた横光利一の長編『上海』ともよく似ている。ただし『上海』の、あくまでも虚構に依存した、「生なましい体験そのものよりも、言葉がつくりだす世界」(前田愛)とは異なり、『祖国喪失』では、物語世界に生起する一連の出来事がほとんど書き手の実体験によっており、作中人物の動きにそって現れた街や通りも実世界の固有名詞をそのまま用いている。こうした虚構と現実が交錯する上海の言説空間に「祖国喪失者」がどのように表象されているのかを検討しながら、処女作『祖国喪失』の全体像と、堀田善衞の上海での敗戦体験の意味を解明した。

第三章「『歯車』論」では、堀田善衞の上海での「留用」体験の文学表現を検討する。一九五一年五月に、堀田善衞は雑誌「文学51」の創刊号に『歯車』を発表する。原稿一四〇枚のこの中編小説は、伊能という日本人主人公の視点から、戦時下・戦後の上海で政治のメカニズムに翻弄される中国人青年の姿を描いている。『歯車』の発表当時、日本ではゲオルギウの『二十五時』、オーウェルの『一九八四』、ケストラーの『真晝の暗黒』など欧米現代作家の政治小説が大量に翻訳され、既に下火になりつつあった「政治と文学」の論争が再び文壇の中心的話題となっていた。こうした風潮のなかで、『歯車』は日本の政治小説の秀作として文壇の注目を集め、新人作家の堀田善衞を華々しく世に送り出すことに成功したのだが、しかし一方で、政治小説としての成功は、同時にこの作品に対する評価の限界をも表している。たとえば、『歯車』がほかの政治小説と異なる点は「留用」日本人の視点で描かれているところに求められるのだが、同時代を含むこれまでの論者はほとんどこれを問題視せず、そのため『歯車』の特質を全体的に把握するには至っていないのである。こうした先行研究の欠落は、堀田の留用生活の全貌が未だに解明されていないことに一因があり、また『歯車』に対する基礎的研究の不足とも関係している。本章は、『歯車』の基礎研究もかねて、戦後文学における「留用」日本人の表象について考察する。まず、作者堀田善衞の留用生活を各種の資料や関係者の証言によって把握し、そのうえで、作品『歯車』の生成過程及びその問題意識を明らかにした。

第四章「『広場の孤独』論」では、堀田善衞の文壇的出世作『広場の孤独』について検討する。周知のように、堀田善衞は「日米安保条約」が調印された一九五一年九月に朝鮮戦争をテーマとして『広場の孤独』を「中央公論」に発表し、同作をもって当年度下半期の芥川賞を受賞した。しかし一方で、その同月に彼が雑誌「文学51」に「国際情勢」というエッセイをも発表していることは、これまであまり注目されていない。この短いエッセイは当時堀田の創作理念を代弁するものとして、同時期に書かれた『広場の孤独』の表現手法を探るうえで不可欠なものである。ここで、「文学が国民の運命に真剣に相渉つてゆくべきものである」という「国民文学」への志向を表明した堀田は、その方法として「現実の意味と深くかかはる事件」を「己れの創作のシステム中に収斂」することを挙げている。この方法を模索するために『広場の孤独』が執筆されたことが容易に推察されるわけである。また、この作品が発表当初から当年度の「最大の問題作」として位置づけられた最も大きな理由は、朝鮮戦争のような国際的・政治的「事件」を文学の世界に映しだし、それによって堀田自身の「国民文学」の方法を実現させたからであると思われる。本章は、作者の未発表の創作ノートやその他の各種の関連資料によって『広場の孤独』の表現手法とその問題意識を把握し、そのうえで、堀田善衞における「国民文学論」の行方を探ってみた。

第五章「『漢奸』論」では、同じ芥川賞受賞作の『漢奸』を検討する。いわゆる「漢奸」とは、中国語においては民族の裏切り者に対する最大級の非難用語である。かつての日中戦争の文脈において、この言葉は特に日本側に協力した中国人、すなわち「対日協力者」を指していた。一九四五年に日本が敗戦を迎えた後、中国では大規模な「漢奸」狩りが行われ、多くの「対日協力者」は「漢奸罪」に問われていた。このような「対日協力者」の運命について、堀田善衞は戦後の文筆活動において機会あるごとに言及し、その問題を追究しているが、そのなかでも特にこの問題を真正面から問いかけているのが、「文学界」一九五一年九月号に発表した中編小説の『漢奸』である。発表当時、この作品は概して好評を博し、堀田が同時期に発表した『広場の孤独』と共に第二六回芥川賞の受賞対象になっていたのだが、『広場の孤独』の研究は早くも五〇年代から始まっていたのに対して、同じ芥川賞受賞作の『漢奸』を対象とする周到な考察は、未だにほとんど存在していないのである。一方で、こうした「対日協力者」のテーマに関しては戦後文学者の多くが関心を寄せており、同時代に「対日協力者」の作品群も現れていた。しかし堀田善衞の『漢奸』と同様、これらの作品の大半は未だに未検討のままで、その言説空間を全体的に捉えるための調査もほとんど進展が見られていない。本章は、堀田善衞の『漢奸』を座標軸として、戦後文学における「対日協力者」の表象に関して一考察を試みた。まず、作品『漢奸』のテクスト分析を行い、それから、同作と時代背景や問題意識などを共有する阿部知二と武田泰淳の作品とを比較したうえで、同時代の「対日協力者」作品群の特質及びその作品群における堀田善衞『漢奸』の位相を確認した。

第六章「『断層』論」では、堀田文学における「中国語」の表象を検討する。堀田善衞が一九五二年に中国語の〈不在〉をテーマとして短編小説『断層』を発表したことは、彼の戦後の文学的人生において一つの転換点をなしているといえる。雑誌「改造」一九五二年二月号に掲載されたこの作品は、敗戦前後の上海に二年近く滞在した主人公の安野が、中国語を学ぼうとしながらも次々にその機を失っていく経緯が描かれている。それまで〈他者〉としての中国語を自作の言説空間から意識的に排除していた堀田善衞は、『断層』の執筆に至り、ようやく中国語の〈不在〉を真正面から問うことになる。一方で、『断層』以降、堀田は「上海シリーズ」の最終篇として長編『歴史』(新潮社、一九五三年)を書きつづけていたが、この作品では中国語はすでに〈不在〉から〈顕在化〉へと変わり、主人公の言表手段の一つとして位置づけられている。その意味でも〈他者〉としての中国語は、『断層』の成立によってはじめて堀田善衞の文学世界に市民権を獲得したと考えることができるし、『断層』が堀田の戦後文学を解読するために不可欠な作品である理由もその点にこそあると思われるのである。本章では、作品『断層』の材源と方法を検討しながら、戦後文学における「中国語」の表象形式について一考察を試みた。

第七章「『歴史』論」では、堀田善衞の「上海シリーズ」最終篇の『歴史』を検討する。敗戦後、一連の「上海もの」を書きつづけていた堀田善衞は、一九五二年から一九五三年にかけて彼の「上海シリーズ」の最終篇として長編小説『歴史』を発表する。原稿用紙八百枚を費やしたこの長編小説は、中国政府に「留用」された日本人主人公の竜田をはじめ、十人以上の主要人物を同じ戦後上海の舞台に登場させ、革命前夜の中国の風景を多様な角度から描いている。この野心的な長編は、初期堀田の「上海シリーズ」のなかでも最も壮大な構成を持つ作品であるが、発表されてからすでに半世紀以上の時間が経ったものの、本格的な作品研究はほとんど進展が見られていないのが現状である。本章は、堀田の残した未発表の創作ノートの記述を参照しながら『歴史』に対して評釈を試み、そのうえで、作者の問題意識と、「上海シリーズ」最終篇としての『歴史』の射程を明らかにした。

本論の結章は「堀田善衞の敗戦後文学論――『戦後十年』と『中国』の行方」とした。この章では、堀田善衞の「戦後十年」の記念作である中編小説『曇り日』を検討したうえで、堀田の敗戦後文学の内実と、堀田文学における「中国」の位相を総括した。