日韓におけるインディペンデント映画の配給構造の形成に関する研究 ―政策、産業、映画運動の側面から―

鄭 仁善

本論文は、インディペンデント映画が1960年代以降これまで日本と韓国においてどのような形で配給され、今日に至ったのかを明らかにするために構想された。そもそも最大の疑問であったのは、日本において、政府から一切の支援を受けなかったにもかかわらず、自主映画と呼ばれる映画群が製作され、観客にも絶えず恵まれるということが可能になった背景である。また、こうした疑問は自然と、政府の強力な支援によってインディペンデント映画の製作と配給が支えられている韓国の状況を自覚させた。こうした対比を通じて、インディペンデント映画という非主流映画が自由競争マーケットで配給されることに、政府の政策、産業的秩序、そして映画運動のような内部的動力がどのような影響を及ぼしているのかを明らかにしようとした。

 

政策と産業が映画全般に影響を与える要素だとするなら、映画運動という要素はインディペンデント映画を説明する固有の変数である。この政策と産業、映画運動は相互に影響を与え、お互いを変化させうるが、その影響力の程度はまた、該当社会の政治と経済構造が形成されてきた背景によって異なるだろう。韓国では、映画政策は映画産業の変動に非常に大きな影響を与えており、こうした芸術文化に対する国家の強い介入主義は、産業自体の自律性がますます増加している現在でもある程度有効である。反面、映画の産業的秩序が早い時期に形成された日本では、映画産業と映画政策は比較的、互いに独立して動いた。政策が、資本主義の産業秩序が作った問題を解決できない場合、または解決しようとしない場合、大衆は享受しうる文化を拡大するために自ら立ち上がる。この際、動員可能な組織としてどのようなものがあり、どのような方法で運動を展開するかもまた、各社会の社会運動や文化運動などの歴史から切り離すことができない。映画サークル、映画センター、シネクラブなどに繋がる日本の映画運動が、インディペンデント映画の配給部門に多大な影響を及ぼしたのは間違いないものの、これが既存のシステム自体を揺るがしたとは言いがたい。日本の映画産業システムを変化させる最も重要な要因として作用したのは、映画産業の斜陽期を乗り越えるためにメジャー会社が推し進めた製作合理化であった。こうした大手の戦略がインディペンデント映画のアイデンティティを大いに揺るがし、多くの独立プロを大手の下請けまたは受注製作会社化していった。これに対して、残り少数のインディペンデント映画は映画運動と結合し、独自の活路を模索しようとした。

 

韓国での映画運動は時には国家権力による弾圧の対象になり、時には国家とパートナーシップを形成する。これら二つの関係を決定づける要因は数多いと思われるが、韓国においては政治体制が民主主義の方向へと移行したこと、そして文化産業への着目が始まり、文化を統制の対象から振興させるべき対象であると認識しはじめたことが国家と映画運動のパートナー関係形成に決定的な要因として作用した。また、韓国の事例においては、こうした芸術文化に対する自由化基調が、内部的な力というよりは、アメリカによって代弁される外部的力によって行われたのが象徴的である。アメリカによる市場開放と民主政府への移行、そして製作の自由化、グローバル化と文化産業への注目がほぼ同時期に行われ、映画産業は短期間に激しい変化を経験した。製作自由化と規制の撤廃を叫んだ映画人の要求が事実上、アメリカによる市場開放によって行われたのは興味深い。

 

このように本論文では、映画産業と文化政策、そして映画運動、広くは社会運動を視野に入れ,インディペンデント映画という一つの手がかりを通じて、日韓両国の映画産業の変化を、独占化、グローバル化、文化政策の方針などと共に捉えようとした。論文の研究結果を要約すると、次のどおりである。

 

日本の映画大手による独占がピークに達した1960年代は、インディペンデント映画界でも多様な試みが行われた時代である。この時期の独占は、メジャー五社が地方の独立館を系列化する方式で、製作と配給、そして興行の垂直的統合を本格化するという形でなされた。これらメジャーは、他のメジャーとの競争で優位に立ち、系列館を拡大・維持するため、新番組の持続的な供給を図った。このような量産体制と系列館システムを支えたのは撮影所システム、そしてそれと同意語ともいえるスターシステムであった。しかし、テレビの登場はスターシステムの崩壊をもたらしたうえ、量産体制は映画の質的低下を招き、映画産業の斜陽化は加速化されることとなった。

 

このような質的に低下した映画の量産は当然、観客の新しい映画に対する欲求を呼び起こした。この時期の映画運動は、2つの分派に分けることができる。一つは、このように新しい映画を希望する観客たちによって、とりわけ海外の芸術的な映画を鑑賞しようという工夫から始まったものであり、もう一つは、戦前の社会主義運動に基盤を置いた映画サークル運動と1950年代の東宝争議によって追い出された監督たちが作った独立プロが志を合わせた、多分に社会運動的性格が強い映画運動がそれである。前者がATGという芸術映画のための新たな配給の試みとして実現されたのに対して、後者は自主製作・自主上映運動の形で実践された。

 

こうした独占化されたシステムは、映画産業の斜陽化が本格化された1970年代に入ってから急速に動揺し始める。映画産業の危機を克服するため、メジャーは、製作費中、間接費の相当部分を占めていた撮影所の合理化作業にとりかかった。この合理化の方向は、大半が人力の削減、そして自社製作の減少、外部作品の委託配給という、生産の柔軟化、労働の柔軟化を図る方式で行われた。このような変化が独立映画にもたらした影響は明らかであった。つまり、大企業が手を引いた製作部門を、独立プロが担当するようになったのである。大手が配給する作品の製作会社になった独立プロは、出版大手企業、デパート、放送局などの大資本を引き込んだ、大作主義映画を作り始めた。このような大作主義が配給面でもたらしたのは、広域封切と大量PR時代であった。

 

この広域封切と大量PRは、インディペンデント映画にとっては非常に不利に作用した。これは大衆の選択肢の明らかな縮小を意味した。少数の映画が大量の映画館とメディアを独占するような状況が進み、インディペンデント映画は新しい方式を模索し始めた。とりわけこの時期には、映画館の大都市集中化が深刻化し、地方小都市の中には映画館がない地域が増え始めた。インディペンデント映画運動は映画センターの全国的設立を通じて、こうした自主製作された映画が地方でも頻繁に上映できる環境を作り,既存の大手中心の配給網を利用しなくてもビジネス的にも自主製作映画が成り立つシステムを作ろうとした。

 

一方、映画市場開放や大手企業の映画業界参入によって市場が拡大される以前は、韓国映画産業にはインディペンデント映画という概念は成立しえなかった。商業映画の製作は、大企業の市場参加が本格化される前であったため、メジャーとはいえ、その規模は零細を極めていた。1980年代半ばまでは政策の産業支配力が絶対的であったため、1970年代と1980年代に注目すべき用語は、政策用語である「優秀映画」と「良い映画」である。「優秀映画」や「良い映画」制度を通じて政府は、一方で国内映画産業の成長を図り、他方では特定のテーマのコンテンツの生産を誘導した。本論文では、このように一つの政策が持った複合的目的を、明示的目的と暗黙的目的という概念で説明しようとした。

 

映画市場の開放と大企業の映画業界への参入に対する規制緩和という新自由主義的な政策は、1990年代の文化産業に対する注目とあいまって、映画の産業としての立地を強化させた。映画政策を主管する政府機関は、統制よりは自律性と振興を重視する方向へと改編された。しかし、このような新自由主義的政策は大企業による映画産業の独占という問題を一気に浮上させた。大手独占が社会問題化すると、新しい映画振興機構は、芸術映画専用映画館という独立、芸術映画の配給網形成に公的資金による助成を行った。こうした新たな政策は、韓国映画産業の量的拡大のみに集中してきた韓国映画政策が抱えていた問題を矯めようという試みであった。

 

こうした日韓におけるインディペンデント映画配給構造の形成を、産業や政策、映画運動の面から検討した結果、本論文では、韓国の映画市場が国家主導型モデルである一方、日本の映画市場は市場自律型モデルであると捉えた。このようなシステムの違いは、政策的な実行が仮に類似したものであったとしても、その国家の産業、政策システムによって全く異なる方式で展開するということを明確に見せているが、その最も適切な例として外国映画の輸入自由化措置を挙げられる。なおまた、独占資本と対抗関係にあった日本のインディペンデント映画は、1970年代の撮影所合理化を経て、市場化の道を、国家と対抗関係にあった韓国のインディペンデント映画は1990年代半ば以降、政府が文化産業に注目することによって、非合法的・非制度的な位置づけを脱して、正当化(legitimation)への道を歩んだとみなした。

 

また、本論文は結語として2000年代以後の日韓の映画産業における構造変化と政策の介入問題に触れた。新自由主義がもたらした構造変動が市場自律性を増加させたのは日韓ともに起った現状として、これは市場領域の拡大と政策領域の矮小を起したように思われるが、現実は市場の拡大が呼び起こす産業歪曲の問題を取り直すため、韓国政府は逆に市場に絶えず介入したうえ、これはインディペンデント映画部門に少なくない影響を及ぼしたと論じた。これは日本でも同じく、コンテンツ産業への注目とともに文化に対する政府の役割の変化が2000年代以後起ったことを政府の施策を通じて示そうとした。その点から,2000年以後、政策と産業、また映画運動はグローバル化とシネコンが中心となった大手の独占化などによってその役割の変化が要請されていると提示した。

 

この研究を通じて確認できたのは、インディペンデント映画の配給は産業と政策の変動から決して自由ではないということである。インディペンデント映画の製作と配給は、映画産業構造を超え、より大きなコンテキストの中で捉えなければ、その躍動的な変化を十分には把握しえない。このように政策と産業、社会との連動の中でインディペンデント映画の配給構造形成を考察することによって、既存の映画研究が映画産業の内的変動のみに焦点を合わせてきたのとは異なり、本論文は映画研究が今後さらに幅広い学問的な枠組みで展開されうる可能性を示そうとした。産業研究と文化政策研究、そして社会運動との関係の中で映画文化あるいは映画産業の変動を扱うのは映画研究の地平の拡張に寄与しうる。また、このインディペンデント映画の配給問題は依然として現在進行形であり、資本主義の加速化はさらに産業の独占の問題、映画配給の二極化問題を深化させている。これはますます政府の介入主義的立場を要請することになるだろう。「多様な文化の流通が可能な社会」を作るのが追求すべき価値であるなら、この問題は、今後も変化する情勢の中で、継続的に研究されねばならない。その点からも本論文は、その一つの手がかりとしての意義を持つであろう。

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