本学位論文は、院政期に誕生したと考えられる日本文学史上最大の説話集、『今昔物語集』を様々な角度から考察し、作品の構造や生成の環境、実態を解き明かすものである。

 第一部では『今昔物語集』(以下『今昔』と略す)内部の世界観に焦点を当て、全体構成、説話の語り方、表現を総合的に考察した。説話集を分析するに際しては、「集」としてのまとまり、個々に独立した説話、説話内の表現といった様々な観点からのアプローチが必要となる。森正人「今昔物語集の言語行為再説―編纂・説話・表現」(『場の物語論』若草書房、二〇一二年)が提唱するように、説話集分析とは、「編纂行為」「説話行為」「表現行為」という三つの言語行為の仕組みと、三者相互の関係を明らかにすることである。では、『今昔』という説話集では、この三つの言語行為がどのように影響し合い、また反発し合っているのか。その具体的様相を明らかにすることが、体系的に見えながら内部に様々な矛盾をはらみ、その正体を掴みきれない『今昔』という作品の全体像を解明する一助となるはずである。

 そこで、まず『今昔』の構成の大枠を解明するため、第一章・第二章を置いた。第一章では各話の冒頭部分を取り上げ、言語行為の関係性を検討した。各説話の冒頭部は典拠からの改変が顕著に見られ、一説話内にて大きな意味を付与されている部分と考えられるためである。そこで、『今昔』全話の冒頭部を表現行為・説話行為・編纂行為との関係から分析し、冒頭部に与えられた役割を考えた。特に冒頭部の微細な表現が編纂行為と明確に連動している実態を中心に明らかにすることで、構成の大枠を考える上で冒頭部が重要な手がかりとなることを論じたものである。

 第二章では非仏法部に範囲を限定し、非仏法部の構成を各話の表現行為や説話行為と関連させながら把握することに努めた。まず、震旦非仏法部にあたる巻十「震旦付国史」を取り上げ、その構成意図を考えた。そして、その成果を天竺部や本朝部に敷延し、考察することで、『今昔』三国における非仏法部の構成を明らかにしたものである。

 続いて、そのように仏法や歴史という大枠を持ち、整然としているように見える『今昔』を、内側から突き崩す存在を明らかにするため、第三章・第四章を置いた。一見体系的であるにも関わらず、内に多くの矛盾や齟齬を抱える『今昔』において、何がその根本的な原因となっているのかを明らかにするためである。第三章では、編纂方針の大綱を揺るがす存在として、「恐怖」への注視を取り上げた。『今昔』内に大量に見出すことができる恐怖表現は優れた描写力を持ち、『今昔』の大きな魅力として従来注目されてきた。しかし、この「恐怖」に惹かれ続ける姿勢が、『今昔』の編纂行為や説話行為に大きな影響を与えている点を明らかにした。そして、その成果を手がかりに、編纂意図が掴みにくい巻九「震旦付孝養」の生成過程を論じたものである。

 また、整然とした『今昔』の構成から逸脱する存在として最も特徴的であるのは、巻二十六~三十の五巻であろう。この五巻の意味付けが成し遂げられて初めて、『今昔』の全体像は解き明かされると思われる。そこで、第四章では巻三十「本朝付雑事」を取り上げ、その存在意義を明らかにした。巻三十は男女関係をテーマに説話が収集された巻であり、『今昔』全巻の中でも従来非常に評価の低い巻であった。このような内容の巻が、なぜ『今昔』世界に用意されなければならなかったのかを考察し、『今昔』が体系的な構成を崩しながら生成していく様を追ったものである。

 このように、第四章までは編者の事情、作り手としての意識を中心として、『今昔』の内的世界を考えた。しかし、説話文学とは語り手(書き手)と聞き手(読み手)の相関関係の上に成立する文学営為だと考えられる。そして、確かに『今昔』においても読む対象を強く意識した語りが存在している。しかし、この「読者」という観点は、従来の『今昔』研究においては全くと言ってよいほど顧みられなかった。そこで、この読み手への意識という観点から『今昔』という作品を問い直す試みとして、第五章・第六章を置いた。

 まず第五章では、読者に疑われることを避けるため、多種多様な手段を以て説話内に信憑性を付与したその手法と理由を、主に仏法部に限定して考えた。仏法霊験に疑いのまなざしを向ける人々を『今昔』が読者として想定している実態と、そのような読者を設定した理由を、説話内部の表現を中心に考察したものである。

 続いて第六章では考察の対象を非仏法部に広げ、非仏法部を含めた『今昔』全体がどのような読者を設定しているのかを、非仏法部における信憑性付与の操作の実態と合わせて考察した。そして、読者として設定された人物の特徴を、『今昔』と同時代の作品の言説を手がかりとして、時代の流れの中で明らかにした。『今昔』という作品が生成するにあたり、読者という作品外部からの影響が非常に大きかったことを論じたものである。

 このように、第一部では表現行為・説話行為・編纂行為といった複数の観点から、『今昔』という作品に対して有機的な構造分析を行い、『今昔』の内的世界がどのように形成されているかを総括的に捉えることを目指した。

 しかし、『今昔』という作品の生成は作品内部からだけでは到底解明できない。説話の本質がその伝承性にある以上、説話集の前提には、大量かつ多種多様な説話的言説が存在する。説話集の生成は、様々なジャンルの作品との関係性の中で捉えなければならない。とりわけ『今昔』は、仏教説話、歴史説話、文化的説話、世俗説話といった多様な説話を内包するため、その生成に関連する作品は膨大な数となるが、そのような多種多様な作品との接点を認識することが、『今昔』が生み出された場を正しく捉えることに繋がるだろう。

 そこで、第二部では、『今昔』と深い関わりを持つ作品や、『今昔』の文体や内容の形成を考える手がかりとなる作品を対象とし、個別に検討を行った。『今昔』生成と密接に関連する作品の性質を明らかにすることで、それと比した時、より明確に『今昔』の世界が捉えられると考えるためである。

 まず第一章では、『今昔』と多数の同文的同話を抱え、『今昔』巻二十四と世界観が酷似する『世継物語』を取り上げ、作品生成の営みを考察した。『世継物語』は『今昔』や『古本説話集』、『宇治拾遺物語』と同じく『宇治大納言物語』系統の作品であるが、中でも一際、依拠資料を忠実に踏襲する性格を有しており、歌集から説話へ、物語から説話へとジャンルを超えて叙述が変容していくその過程を、具体的に見せてくれる作品である。それ故に、『今昔』の構成や表現を考える大きな手がかりとなる。

 続いて、第二章では唱導資料を取り上げた。『今昔』を含む仏教説話集は唱導と密接な関係を持って誕生・発展したと言われるが、その具体的な関連は資料の制約もあって明らかではなかった。しかし、近年寺院における悉皆調査等により、多くの唱導資料が発掘され始めている。その成果を活用し、計六種の唱導資料を対象として、その中にどのような形で説話が引用されているのか、その引用は説話集とどのように関わり、またどのように異なるのかを調査したものである。

 第二章で得られた、唱導資料における説話引用の在り方の特徴を、『打聞集』の作品分析に転用したものが第三章である。『打聞集』は『今昔』と同時代に誕生した小作品であり、また『今昔』との同文的同話を多く有し、その成立圏の近さが注目される存在である。しかし、一方で『打聞集』は説法を筆録したかのような特徴を持ち、唱導資料として認識されてきた経緯を持つ。そこで、果たして『打聞集』は唱導資料なのかという問題を、他の唱導資料における説話引用と比較することで考察した。『今昔』と非常に近似した作品であるが故に、『打聞集』の性質を明らかにすることは、『今昔』生成を解明する一助となるものである。

 なお、第三章の付論として金沢文庫本『仏教説話集』を取り上げた。この金沢文庫本『仏教説話集』も『打聞集』と同様に、説話集としても唱導資料としても異質な性質を持つが故に、作品把握が難航している作品である。そこで、他の唱導資料における説話引用方法と比較検討しながら、作品の実態を解明し、その本質を明らかにした。

 また、第四章では長谷観音の霊験譚を集成した『長谷寺験記』を取り上げた。霊験記は『今昔』と同じく仏教説話集として括られることが多いが、多様な霊験譚を収める『今昔』とは異なり、固有の寺に限定された霊験譚を集成するということは、どのような営みであったのかを考えた。具体的には作品内の言語行為を総合的に分析し、『長谷寺験記』が一体何を目的として、どのような手法で生み出されたのかを論じたものである。『今昔』と複数の同話を抱え、『今昔』同様に唱導との関係が取り沙汰される作品であるからこそ、その生成理由の解明は『今昔』研究に大きく寄与するものと思われる。

 以上のように、本論文は『今昔』本文の分析という作品内部からの考察と、関連作品の分析という作品外部からの考察を合わせることによって、院政期に誕生した巨大な説話集の解明を試みたものである。