本論文では、達成場面における悲観性に注目し、将来に対するどのような認識が、達成場面において適応的機能を持つのかを検討することを目的とした。欧米人を対象とした数々の研究で、将来への肯定的な期待である楽観性が、達成動機と正の関連を持ち、達成場面で肯定的機能を持つことが指摘されている(e.g., Atkinson, 1964)。一方で、日本人を含む東アジア人は現在や将来の自己に対する肯定的評価が低く、将来への楽観性も、欧米人よりも低いことが、複数の研究で示されている(e.g., Lee & Seligman, 1997)。そのためこれらの結果を総合して考慮すると、楽観性が低い東アジア人は、欧米人と比べて達成場面で適応的ではないのだろうか、とも考えられる。しかしながら、東アジア人の間で自己に対する肯定的評価が低いという結果は、東アジア人がポジティブな性質を必要としていないことを示すものではなく、何がポジティブな性質に結びつくのか、その規定因に文化差があるのだという指摘もされている(e.g., 大石, 2011)。そのため、従来指摘されてきた、楽観性と達成動機との正の関連が、東アジア人の間でも同様に見られるとは断定できない。

そこで研究1ではまず、日本人大学生とイタリア人大学生の間で、これまで主に欧米人の間で見られてきた2種類の楽観性(全般的楽観性・達成という領域固有の楽観性)と達成動機との関連を確認した。その結果、日本人の間でもイタリア人の間でも、達成という領域固有の楽観性と達成動機との間には正の関連が見られたが、日本人の間では、全般的楽観性は達成動機と関連が見られなかった。

このような文化差の理由の一つとして、楽観性の得点が欧米人よりも低い東アジア人の間では、楽観性よりも悲観性が、達成動機と関連を持っているため、という可能性が挙げられる。すなわち、「日本人の間では楽観性より悲観性の方が達成動機と結びつくため、どのような楽観性でも達成動機と結びつくわけではない」ということが、研究1で全般的楽観性が達成動機と関連しなかった理由ではないかと考えられた。実際に近年、楽観性だけではなく悲観性のメリットに関する研究も見られており(e.g., Norem & Cantor, 1986)、東アジア人の間では、悲観性の方が達成場面で適応的な機能を持つことを示す研究もある(Chang, 1996)。しかしながら、悲観性と達成動機との関連を指摘する先行研究には、二つの未検討点が存在する。第一に、具体的にはどの側面に関する悲観性が達成動機と関連するのかという点である。第二に、達成場面における悲観性は短期的には適応的な機能を持つが、心理的well-beingを脅かす恐れがあり、長期的には非適応的である、と複数の先行研究で指摘されている点である(荒木, 2012)。そのため、心理的well-beingを脅かさず、かつ達成動機と結びつく悲観性というものがあるのかが、未だに明らかになっていない。

 そこで研究2では、研究1の再検討をするとともに、悲観性を、能力などの内的要因に対する悲観と、運や偶然といった外的要因に対する悲観の2種類に分け、達成動機との関連を探索的に検討した。その結果、日本人の間でもアメリカ人の間でも、内的要因への悲観は低いほど達成動機が高いことが分かった。しかし、日本人の間でのみ、外的要因への悲観は高いほど、達成動機が高いことが明らかになった。また、日本人の間では、外的要因への悲観の達成動機への予測力は、楽観性よりも大きかった。しかしアメリカ人の間では、内的要因への悲観も外的要因への悲観も、同様に達成動機と負の関連をもっていた。このことから、日本人の間では、楽観性よりも悲観性の方が達成場面では適応的な機能を持つと考えられた。そして、悲観をする側面の違いによって達成動機との関連パターンが大きく異なることが明らかになり、日本人の間では、外的要因に対する悲観であれば、むしろ高く持っていた方が適応的であることが示唆された。そこで以降の研究では特に、二つに分類した悲観性の達成場面における機能について、詳細な検討を行った。

研究3、研究4では、日本人の間で、悲観性と達成動機との関連についてのモデルを完成させることを目的とした。パス解析の結果、日本人の間では、内的要因への悲観はコントロール感や、達成場面での積極的方略との間に負の関連を持ち、達成動機と結びついていた。一方で外的要因への悲観は、コントロール感とは有意な関連が見られなかったが、積極的方略との間には正の関連を持ち、達成動機に正に結びついていた。積極的方略は、達成動機や実際の遂行成績と結びつく、適応的な方略であるとされているため、日本人の間では、内的要因への悲観を低く持ち、外的要因への悲観を高く持つことが、達成動機を維持する適応的な方略であると言えた。

研究5(研究5-1、研究5-2)では、この傾向が欧米人の間でも見られるのかを検討するために、アメリカ人大学生を対象に同様の調査を行った。その結果、アメリカ人の間でも、内的要因への悲観から、コントロール感、積極的方略、達成動機へは、日本人の間と同様に負のパスが見られた。すなわち日本人の間でもアメリカ人の間でも、能力などの内的要因への悲観はしない方が、コントロール感を高く持つことができ、積極的方略や達成動機が高くなるということが言えた。しかしアメリカ人の間では、外的要因への悲観は、達成に関するどの変数との間にも有意な関連を持たなかった。これは日本人の間での傾向とは異なるものであった。これらのことから、外的要因への悲観は日本人の間でのみ、達成場面における適応的な方略として機能し、達成動機へと結びつく変数であったということが明らかになった。

続く研究6では、心理的well-beingに着目した。研究2から研究5までで、日本人の間では、外的要因への悲観をすることが、達成場面では適応的な機能を持つということが明らかになった。しかし前述したように、先行研究において、達成場面における悲観性は、一時的には達成場面で適応的な機能を持つものの、長期的には心理的well-beingを脅かし、非適応的であるという指摘もなされている(荒木, 2012)。そこで、日本人の間で、心理的well-beingを保つという面においても、外的要因への悲観が適応的であるのかを検討するため、研究6では日記式調査を行った。その結果、ある一日にネガティブな出来事を経験した時、ネガティブ気分が高くなる度合が、外的要因への悲観が高い人ほど小さい、という結果が、日本人の間でのみ見られた。すなわち日本人の間で、外的要因への悲観が高い人は、ある日にネガティブな出来事を経験しても、それによる心理的well-beingへの脅威が小さいと言える。更に、日本人の間では、外的要因への悲観は、翌日への達成動機の6日間分の平均値との間に正の関連を持っていた。すなわち日本人の間では、外的要因への悲観が高い人は、平均的に高い達成動機を持ち、なおかつ、ネガティブな出来事が起こった後に心理的well-beingを脅かされない、と言える。これらのことから、日本人の間では、外的要因への悲観は、心理的well-beingを保ちつつ達成動機を維持することのできる機能を持つ、ということが示唆された。

一方でアメリカ人の間では、外的要因への悲観はネガティブ気分の6日間の平均値との間に正の関連を持ち、また、一日のネガティブな学業的出来事からネガティブ気分への正の傾きに対して、外的要因への悲観が正の関連を持つという、日本人の間での傾向とは真逆の傾向となった。これらのことから、外的要因への悲観は日本人の間では心理的well-beingを脅かさず、むしろネガティブな出来事を経験したときのレジリエンシー機能を持つが、アメリカ人の間では、外的要因に悲観をしていることは心理的well-beingを阻害するものであると言える。これらのことから、日本人の間でのみ、外的要因への悲観が、心理的well-beingを保ちつつ達成動機を維持することができる悲観であるということが分かった。 

本論文では、現在や将来の自己に対する評価が欧米人に比べて低い、とされてきた東アジア人の間で、達成場面での適応につながる、欧米人とは異なる独自のルートがあるということが明らかになった。日本人であってもアメリカ人であっても、能力などの内的要因への悲観は、していない方が適応的であるという点に違いはない。しかしながら、日本人の間では、どの側面に対してでも悲観をしてはいけないというわけではなく、外的な要因に対しては何が起こるか分からない、という悲観を予めしておいた方が、意欲が高まり、実際の失敗経験による脅威が少ないのである。本研究における結果は、「悲観性は非適応的な概念ではない」としながらも、長期的には不適応な帰結をもたらすことが否めなかった、これまでの悲観性研究に対して、新たな知見をもたらすものであったと考えられる。そして、この外的要因に対する認識の違いは、今後、達成場面だけでなく、これまで比較文化研究で扱われてきた他の概念にも、応用可能なものであると期待される。