本研究は、戦後日本宗教なかでも新宗教運動の持つナショナリズムの論理と特徴を明らかにし、それとその運動による政治活動(関与・進出)との関連を考察するものである。

第1章 先行研究と課題設定、方法論

 宗教団体の政治活動とは、靖国問題・政教分離訴訟・宗教教育等とともに、戦後日本の政教分離・信教の自由体制下における政教問題の一つである。それを論じるには、戦前と戦後の「国家―宗教」関係枠組の連続性と断絶性に目を配る必要がある。その点で、村上重良・島薗進の「国家神道」論ならびに安丸良夫の「正統」「O(オーソドキシィ)異端」「H(ヘテロジーニアス)異端」論は今も役立つ概念枠組である。

 他方で、宗教団体の政治進出とは国家内の一運動の持つナショナリズムの性質や国家への働きかけに関わる問題であり、近現代国家のナショナリズムとその宗教性や国家から宗教への働きかけといった問題とは位相が異なる。よって、従来の歴史学・政治学等でのナショナリズム論をそのまま参照することはしにくい。ここでは多義的なナショナリズムを分析するために、先行研究から析出した①文化・伝統観、②天皇観、③対人類観、④経済的優位観、⑤戦前・大戦観、⑥欧米・西洋観の6指標を設定する。

 次に、新宗教運動の研究史上では戦後新宗教のナショナリズムの問題は明確な位置付けを得ていなかった。先行研究の中では、自己から世界に至る救済の段階論の中に「国家」の次元が含まれるという指摘と、宗教運動の世界観における「あるべき日本」像に着目すべきという指摘が重要であり、そのユートピア観をおさえる必要がある。

 また、新宗教運動の政治活動の研究史においては、選挙結果や政策方針等が焦点化され運動の世界観と連結させた考察が乏しいこと、事例が創価学会=公明党に偏っていること等が指摘できる。

 以上を踏まえ、本研究では、資料調査と教団調査に基き、上述の指標を用いて戦後日本の新宗教運動のナショナリズムの特徴を分析する。そして、(1)宗教運動が自前の政治団体を結成し独自の候補を複数擁立する「政治進出」に至るには、強い宗教的動機が介在している、(2)そうした場合、当該運動は既成政党とその候補を支援するような順体制的な枠に留まらないという点で、戦後の「正統」的宗教ナショナリズムに収斂しえない「H異端」性を具えている、(3)そうした場合、そこにはその運動に独特のユートピア観が存在する、という3つの仮説的命題を検証し、新宗教運動の政治進出の特性を明らかにする。主たる政治進出の事例として扱うのは、創価学会=公明党、浄霊医術普及会=世界浄霊会、オウム真理教=真理党、アイスター=和豊帯の会=女性党、幸福の科学=幸福実現党の5つである。

 

第Ⅰ部 戦後日本の「正統」的宗教ナショナリズムとその周辺

 独自の政治進出の事例群を論じる前段として、保守系既成政党や政治家を支援・推薦する「政治関与」のタイプをまず考察する。

第2章 宗教運動と保守合同運動

 神社本庁や生長の家、解脱会等の宗教運動または日本会議等の保守合同運動は、独自の政治進出という道は取らずに、主に自由民主党とその候補を支援してきた。愛郷心・愛国心・敬神崇祖・皇室崇敬を重視する神社本庁は、戦前日本の「国家―宗教」枠組との連続性とその復帰志向という意味での「正統」的宗教ナショナリズムを唱えてきたと言える。他方、生長の家や解脱会、また保守合同運動に加わる数々の新宗教運動はそれぞれ独自のナショナリズムを保持する「O異端」と言えるが、「正統」的宗教ナショナリズムの求心性に引きつけられる形で歩調を一にしている。

第3章 真光のナショナリズムと運動展開―霊的日本中心主義・皇室崇敬・超伝統性―

 真光(世界真光文明教団・崇教真光)は、いわゆる『竹内文書』の系譜をひいた特異な日本中心主義・天皇観・超伝統性を具えており、「O異端」としてもかなり「正統」との距離がある運動だが、それも天皇崇敬・伝統重視という「正統」的宗教ナショナリズムの軸に収斂せられ、保守合同運動の一翼を担っている。

 よってこれらの運動においては、独自の政治進出という道は取られないのである。

 

第Ⅱ部 宗教団体の政治進出の事例研究

 戦後日本社会において、自前の政治団体を結成し、独自の政治進出をなした5つの新宗教運動の事例を検討する。

第4章 創価学会=公明党―王仏冥合論と国立戒壇論からの政治進出―

 1954年の地方議会・56年の国政進出以来、大きな影響力を保持してきた創価学会=公明党だが、その進出の背景に元来あったのは、日蓮正宗教学の伝統を基盤とした、特に第二代会長・戸田城聖によって提示された王仏冥合論という宗教的政治思想と国立戒壇建立という独自のユートピア観である。日本民族の中心性や使命も語られたが、それは「正しい宗教」である日蓮正宗が存在するゆえであり、「正統」の求心性が働かない「H異端」性が強くあった。

第5章 浄霊医術普及会=世界浄霊会―浄霊普及・政治進出・地上天国―

 世界救世教から分派した浄霊医術普及会=世界浄霊会は、1983年から5回の参院選に毎回10名程度の候補を立てた(全員落選)。政治進出の動機は第一に浄霊法の普及にあり、手段的な進出であった。「日本精神」「大和魂」復興の主張も、浄霊法の普及の一点に特化されていた。救世教の教祖・岡田茂吉の近代医学批判・薬毒論を原理主義的に突き詰め、それに基いた地上天国実現というユートピア観の上に展開されたものだった。救世教は既成政党の支援を行ってきたのと対照的に、「正統」に収斂されるべくもなかった。

第6章 オウム真理教=真理党―シャンバラ化の夢想、ハルマゲドンの回避と政治進出―

 1990年の衆院選に麻原彰晃ら25名が出馬(全員落選)したオウム真理教=真理党の政治進出は、政治力の必要性や教団の宣伝といった利害状況から従来説明されてきた。だがその底流には、80年代後半にオカルト雑誌で展開されたシャンバラ化という独自の強いユートピア観と終末であるハルマゲドンの回避という宗教的動機が運動初期から常にあり、その展開としての政治的アプローチであった。日本の使命も説かれたが、それは唯一絶対の存在である麻原の中心性により担保されるものであり、「正統」とは極めて遠い位置にあった。

第7章 アイスター=和豊帯の会=女性党―化粧品販売から宗教、そして「新しい女性の時代」を目指す政治へ―

 1995年から6回の参院選に毎回10名超の候補を擁立したアイスター=和豊帯の会=女性党は、化粧品会社から宗教団体・政治団体へと展開していった例である。国家意識やユートピア観に具体性は乏しいが、指導者の教えを広めるという使命感に基き、「女性の時代」「新しい時代」の実現を目指す政治進出がなされた。伝統性の強調や皇室崇敬等はほぼ見られず、「正統」からは隔たりがあった。

第8章 幸福の科学=幸福実現党(1)―宗教ナショナリズムの原型と運動展開―

 教祖の大川隆法を含む337名が出馬(全員落選)した2009年衆院選より政治進出を開始した幸福の科学=幸福実現党には、その宗教運動の初期から、現代の日本・日本人が霊的に選ばれており黄金時代を迎えるだろうという世界観が原型としてあり続けた。また、宗教的価値に基いて社会の諸セクターが営まれるべきとするユートピア観があった。そして、そのナショナリズムを強く裏打ちしていたのは、日本の経済的繁栄の状況であった。

第9章 幸福の科学=幸福実現党(2)―宗教立国のための政治進出とその展開―

 幸福の科学=幸福実現党の政治進出の背景には、これらのナショナリズムと「仏国土ユートピア」実現を目指すユートピア思想、立教から20年ほどを経た組織状況と新たな運動目標の創出、内憂外患意識等があった。日本の使命や優秀性を強調するものの、大川=エル・カンターレを至高存在とし、日本文化や皇室崇敬の位置を相対的に低くしているという点で「H異端」性を有しており、独自の政治進出の道が取られたのである。

 

結論

 以上の諸事例の検討から、戦後日本宗教のナショナリズムと政治活動の関係性の特徴が明らかにされた。

 戦前と連続的で伝統と皇室崇敬を重んじる「正統」的宗教ナショナリズムは、戦前であれば弾圧・統制されたかもしれない「O異端」の新宗教運動をも多く巻き込んで保守合同運動をなし、保守系既成政党・政治家支援の政治活動を行っており、その求心性は強い。

 他方、独自の政治進出をなした5事例に共通するのは「正統」的宗教ナショナリズムの求心性には収斂されえない「H異端」性であり、独自のナショナリズム論理や国家意識、ユートピア観が存在している。また、世界浄霊会や女性党に顕著なように、教えや救済の方途を広めるためという手段的で集団アピール的な動機も目立つ。対して、日本の伝統性や天皇・皇室崇敬重視の傾向は稀薄である。

 こうした宗教団体の独自で自由な政治進出を可能にしたのは、戦後日本の「国家―宗教」関係の体制である。だが、高度成長期の教勢伸張を基盤に実際的な社会的影響力を獲得した創価学会=公明党を別にすれば、現実的には些末なものである。教団独自の世界観・ユートピア観に基いた宗教の全域化・復権を目指す政治進出とは、その独善性・排他性も強い「H異端」性と分節化された一宗教運動に過ぎないという点で、社会における共感の基盤は乏しいものとならざるをえない。

 国際比較や戦前戦後・他タイプとの比較等の課題は残るが、ナショナリズム・国家意識・ユートピア観に注意を払いながら戦後日本の新宗教運動を中心に政治進出の比較を網羅的に行った本研究は、宗教団体の政治進出の問題を検討し、創価学会=公明党の特殊性や発展要因を再考する意味でも、研究史上に新たな蓄積をなし、同テーマの最前線を開拓できたものだと言えよう。