本稿は、可能性、現実性、必然性というカントにおける様相概念を主題とし、カント哲学の前批判期にさかのぼり、当時のドイツ講壇哲学の影響を考慮にいれつつ、いくつかの観点から検討する。この検討を経て、様相概念が批判的に展開していく様を指摘しつつ、物は汎通的に規定されているとする汎通的規定原則の考えが、カントの様相理論と密接にかかわっていることを明らかにし、また批判哲学においてそれがいかなる意義をもつものかを見定めることを意図するものである。

第一章において、一般論理学における様相概念およびその関連する議論をあつかう。

第二章において、前批判期における様相概念を、神の存在証明とのかかわりにおいて検討する。

第三章において、様相概念と実在性の概念との関係について考察する。

第四章において、『純粋理性批判』におけるカテゴリーとしての様相概念を考察する。

第五章において、『純粋理性批判』「超越論的弁証論」の構造を分析することにより、「超越論的理想」章の位置づけを見さだめる。

第六章において、『純粋理性批判』「超越論的理想」章を解釈し、批判哲学における汎通的規定原則と様相概念の位置づけを確定し、その意義を考察する。

 具体的にはそれぞれつぎのように議論を進める。

第一章では、まず『純粋理性批判』の判断表にかんして、一般論理学の観点における様相の契機を検討し、この様相概念が論理的「真理」との関係で捉えられ、とりわけ論理的現実性は論理的真理の概念と重なることを確認する。この論理的真理に焦点をあて、カントの論理学講義の関係資料から次のことが判明する。すなわち、一般論理学における真理の基準として、第一に矛盾律が、第二に充足理由律が提示されているということ、またこれらはそれぞれ論理的可能性と論理的現実性を規定するものであるということである。さらに後者の充足理由律について詳しく検討することにより、論理的現実性としての論理的真理は、「仮定的」な真理を表すものにすぎないこと、そして、この仮定的な真理にたいして必然的な真理が、第三の基準としての排中律によって規定されることが明らかになる。さらにこの二とおりの真理は、「制約的」必然性と「端的な」必然性の二とおりの必然性に対応することが判明する。また、排中律においては、そこに「全体」の概念を喚起する思想が見いだされ、そこから概念の外延的全体と内包的規定の相関関係の構図が見いだされる。第一章の以上の諸考察から、対立関係をあつかう矛盾律、原因と結果の関係を規定する充足理由律の二つの規則にもとづいて、排中律の必然性が規定されていることを見とどけることとしたい。

 第二章では、前批判期の『神の現存在の論証のための唯一可能な証明根拠』を検討する。当時の講壇哲学においては、神の存在証明の問題が様相理論と直結していたという事情があるためである。カントにおいては、神の存在の証明は、可能性の根拠としての現存在という洞察にもとづいて、可能性から現存在へ、そして現存在が必然的な存在者であるとして、現実性から必然性へという、帰結から根拠へとさかのぼる方向において遂行される。ここでは第一章の議論から、端的な必然性が神の存在に帰される所以が明らかになるはずである。またこのような遡行するかたちでおこなわれる証明は、批判期における「可能性の制約」の思想の萌芽である。さらに、この著作においては、従来の神の存在の存在論的証明が論駁されているが、これは様相概念としての「現存在」概念の分析にもとづいておこなわれるものである。そして、この分析によっては、相対的定立と絶対的定立という、定立のされ方の違いによって、可能性と現存在との明確な区別がなされているのであり、このことは当時の講壇哲学のヴォルフ、バウムガルテン、クルージウスらの様相にかんする見解を否定することによって説明される。また可能性と現存在、両者の帰結と根拠としての関係は、『純粋理性批判』の「超越論的理想」章においてもふたたび見いだされるものであり、第六章においてあらためて論じる。

 第三章では、第二章が扱った『証明根拠』における「実在性」概念を解明したうえで、『純粋理性批判』における論理的可能性と実在的可能性との区別を確認する。さらに、概念の論理的可能性を規定するのは矛盾律であるが、この矛盾律における矛盾するもの相互の対立が論理的なものであるのにたいし、物にかんする規定の対立は実在的対立として、前批判期にすでに確立されていた議論であることを見とどける。カントのこの考えによって、排中律にもとづく選言判断においても同様の区別、すなわち論理的対立としての二分法と実在的対立としての多分法の区別が成立していることを確認する。後者の実在的対立は、物にかんする「全体」の概念を喚起するものであり、物は汎通的に規定されているとする汎通的規定原則の考えを準備するものであること、また同じく排中律について言及される無限判断と密接に関係するものであることを明らかにする。

 

第四章においては、『純粋理性批判』におけるカテゴリーとしての様相概念として、「経験的思惟一般の要請」を中心に解釈をし、結果として以下の三点を指摘するにいたる。第一は、可能性、現実性、必然性といった様相概念を、カントは自らの超越論的哲学の体系において、認識主観と対象との関係として措定しており、従来は事物そのものの自体的なあり方として扱われてきた(あるいはたんに論理的なものとして扱われてきた)様相概念が、カントの超越論的哲学の体系において、わたしという認識主観と対象との関係として位置づけられたことを確認する。第二は、「観念論論駁」も併せて検討することで、様相概念を扱った原則論のこの箇所において、「現存在」ないし「存在」の問題が積極的に論じられていることを確認する。わたしが知覚するということに、現実性の様相概念を割り当てることで、外的対象の現存在を、言いかえると存在論を、様相概念を扱う原則論の場で展開していることを確認する。最後に第三は、様相概念がカントにおいては、時間と非常に密接な関係にあるということに注目する。経験の制約とは、「時間」に位置づいているということに他ならないことを確認する。また、これとあわせて「超越論的時間規定」を扱ういわゆる「図式論」を概観する。

 第五章では、第三章の議論のなかで汎通的規定原則が様相の理論と深くかかわっていることが判明してきたのを受けて、この汎通的規定原則そのものの検討にさきだち、それが主題的に論じられる「超越論的弁証論」の構造を考察する。これによって、汎通的規定原則が論じられる「超越論的理想」章の位置づけを確認する。第一章の誤謬推理、第二章のアンチノミー、第三章の理想と、理性の三種の弁証論的推理の構造的連関を明らかにすることを試みる。誤謬推理における同一律にもとづく推論、アンチノミーにおける矛盾律および排中律にもとづく推論、これらはともに理想章における汎通的規定原則を前提として成立するものであることを明らかにする。

 第六章においては、汎通的規定原則の検討が課題である。まずこの原則が、われわれの経験においていかに機能しうるかという問題を論じる。経験において見いだされる対象の個別性の解明を試み、「超越論的理想」章の読解をつうじて、理想における仮象が生じてくる様子を確認し、またそこに「超越論的分析論」の成果としての現象と物自体の区別が自覚されるならば、汎通的規定原則が仮象を生むものとしてではなく、理性の指定のもと認識に体系的統一を与えうるものとして機能してくることを明らかにする。その体系的統一は、「唯一の包括的経験」と呼ばれ、また「可能的経験」と称されるものであり、ここにおいてア・プリオリな形式に条件づけられた「実在性の全体」ないし「質料的制約」が、経験の可能性の制約として、また経験の対象の可能性の制約として前提とされているのだということを確認する。また汎通的規定原則が無限判断の原理であるということからは、われわれの「可能的経験」にその認識の内実としては未規定な範囲が無限に残されているということが示されるだろう。

 また以上の様相にかんする検討から、カントの可能性概念の多義性について、論理的可能性、実在的可能性、可能的経験の可能性の三つの意味を示し、とりわけ現存在とのかかわりにおいて、それらの意義について考察する。