共和政期ローマにおけるローマ人の宗教についての一考察―religio概念を手がかりとして―

小堀 馨子

本論文は、共和政期ローマにおけるローマ人の宗教に関して、ラテン語の religio という概念を手掛かりにして、古代ローマ人がどのような形で宗教的な事柄、彼らの言葉で言えば「神々に関する事柄」に対応していたのか検討し、そこに現れる彼らの思想の意味を探る、謂わば古代ローマ人の宗教意識とは如何なるものであったのかを問う試みである。

 従来の歴史学研究の立場からは、史料分析を中心に捉え、史料本文の表現の下にこめられている古代ローマ人の思想の解明にまで立ち入るだけの関心を示していない研究が多かった。その一方で宗教学の立場からは、東方から流入した諸宗教が古代ローマ人の間でどのような役割を果たし、また、影響を与え、且つ自らが変容を遂げていったかについての宗教史的研究は存在したが、古代ローマ人自身の宗教への関心は概して低調であった。それらはとかく十分な史料分析に根差さない、現象面に主に着目しての研究が多くなっていた。本研究は歴史学からの視点と宗教学固有の視点との双方の間に生じがちな間隙を調整する架け橋となるような研究を目指した。

 本論文では序章第二節で本論文の扱う古代ローマ共和政期という時代と、その時代のローマという国家の版図の輪郭を確認し、第三節では古代ローマ宗教全体に対する諸研究の中で代表的なものを個別に概観し、研究史の流れと、その流れの中に浮上してきた問題意識の変遷をあぶり出す。序章第四節では、本論文で最も重きをおくキーワードとしてreligioを取り上げる意義を述べ、キケロやゲッリウスによる定義を十分に検討し、またそれを補完するようなマイケルズの業績にも示唆を得て、religioが一義的には到底定義できないほどにその用法が多様であることを確認した。またグロズィンスキーの提示するreligio とsuperstitio が重要な対概念であること、しかしその対称性を明らかにするためにはさらなる詳細な語義分析が必要であることに同意しつつ、一方で、ケレーニイが指摘するようにreligio の持つ〈慎しみ〉の意味は、ローマ人の宗教生活における積極的な自発的態度を意味する重要な含意であることを確認し、通常の歴史学において従来記述が乏しかったreligioに特に照明をあてて考察することの意義を主張した。

第一章では、古代ローマの宗教の特質を把握するにあたって、ローマ固有とは言い難いが、古代地中海世界の諸宗教に共通な特徴で、古代ローマの宗教理解にとっても重要であると思われる事項を、概説的に述べた。各事象を要点だけ述べたため、ここでの議論はあまり深まっていないが、古代ローマ人の宗教の全体像をある程度把握するには有用であろう。第一節では古代ローマ人が神々に対してとっていた態度の諸相を検討し、第二節で古代ローマの歴史において、どのように特定神格の祭祀が国家祭祀として国事に導入されていったのかという経過を跡付けた。第三節では、ローマ人が行っていた、種々の抽象的な徳目が神格化されていったという現実を検討し、その中でreligio はなぜか神格化されなかったという点について簡単に考察した。第四節ではローマ人の宗教生活に関わりのあるラテン語のキータームを検討し、numen (神意)という単語が、religio 同様神々の存在を前提としている意味で、ローマ人の神に対する意識を表していること、do ut des という成句は通常は一回限りの互恵的かつ利己的な行為として捉えられがちであるが、実は対象となる諸神格との永続的な交流を願う行為であること、sacrificium(犠牲式)、及びsacer, sanctus, religiosus という類似して混同され易い三つの形容詞の内包の違いを確認するなど、本章を以て本論文全体の構造を支える枠の基礎工事とした。

第二章では、古代ローマの卜占が実は「慎んで神意を伺う」というローマ人にとって重要な態度を表わす事象であることを、神官職の職務の分析から考察し、特に第二節と第三節で卜占にとって重要な鳥卜官と腸卜官の制度の違いに焦点を当てて考察した。この卜占制度は、ローマ人にとって何らかの公的な決断を下すにはまず「神意を伺う」ことが大切であり、それは「神の言葉に耳を傾ける」という単純な手続きを踏む、古来の慣例の制度化であった。人間の側から神々の意志を伺うには鳥卜官がおり、神々が示した意志を人間が解読するためには、十五人委員と腸卜官がいた。このように官職は多岐にわたり細分化しているように見えるが、世襲によるのでも、職能専従集団によるのでもなく、ビラミッドのような階層秩序を呈する制度にもなっておらず、逆に権威が一箇所に集中して特定氏族による独占が生じないように、何重もの手だてが張り巡らしてある点が共和政ローマ特有の性質であると思われる。

第三章では、dies religiosi と呼ばれる忌み日と、loca religiosa と呼ばれる墓について考察した。第一節と第二節では、忌み日の中でも死者の祭りであるパレンタリア祭とレムリア祭について検討し、各祭儀の儀礼について論じた。ローマ人にとって、死者は神になると考えられていた。しかし、その「神になる」過程にも様々な形があり、皇帝が死後に神格化される場合のように個性と固有名が記憶されるのは特異な状況であって、通常の死者は集合的な祖霊になる。そこで近親の死者に対する生者の思いを表すパレンタリアと、宥められなかった場合に怒り彷徨う死者をどのようにして宥めるかが問題となるレムリアとを並べて考察した。第三節では、視点を祭日や忌み日などの時間的次元から埋葬の場への空間的次元に移して、loca religiosaとしての墓と、そこへの遺体埋葬の方法、及び、共和政期から帝政期を通じて埋葬方法に生じた変化を考察し、古代ローマ人が死者を神と看做し、葬礼も人間から神になった存在との交流という意味で、神々との関係と捉えられていたことを理解した。本章の考察を通してreligio の形容詞である religiosus が有する「死者に捧げられた」という意味を改めて確認した。

第四章では、ローマ人が「宗教」という存在をどの程度意識していたのか、それは一般的に現代人が考える「宗教」とどのように異なっているのか、という筆者が本論で最も重きを置いている観点から、主題解明への手掛かりとなるキーワードとしてreligio というラテン語の単語に考察の焦点を絞った。第一節では、religio の概念自体の考察に焦点を当てた従来の研究を概観し、目下の問題の整理にあてた。上に名を挙げた研究者の他に、リュプケも近年キケロの哲学的著作におけるreligioに関する論考を著している。彼の論考は本論文準備の最終段階で目を通すことになり、示唆を受けたが、本論文の大筋に影響を及ぼす程ではなかった。第二節では、キケロ以前及びキケロと同時代の作家たちにおけるreligioの用法を検討した。その結果、前二世紀における習俗の枠内での軽蔑感を含んでいた用法に、前一世紀になると神々への畏敬の念という心情面に関わって来る敬神の意味をこめた用法が加わること、やや遅れて儀礼や儀式といった価値中立的な用法が加わる経過を確認した。第三節では莫大なキケロの著作に出現する用法・文例の中で、この主題の解明にとって適切と思われる用例を、その代表的なものの幾つかを取り上げて検討に付し、古代ローマ人の宗教的な事柄、即ちローマ人の言葉で言いかえれば「神々に関する事柄」に対するときのローマ人の態度を考察した。

 このように多様な religio の用法を一つ一つ考察してみる時に、religio という語が古代ローマ人の間において元来有していた否定的な意味が改めて現代人である我々の眼前にその複雑な性格のままに立ちはだかってくる。即ち、宗教/religion という語の原語であったラテン語の religio 概念を改めて古代人の視点に立ち戻って洗い直してみることにより、religio 自体に本来こめられていた superstitio に近い感覚が現代人の我々の中に蘇っているのを見出す。それはプラウトゥス、テレンティウスのような庶民の日常を生き生きと描いた喜劇の言葉の端々に読み取れる経験から始まって、キケロの文章に至るまで連綿と続いている、一つの言葉の履歴として特異な脈絡を形成している。この語の持つ複雑な感覚はその後も紀元後1世紀のセネカ、2世紀のアプレイユスまでは脈々と受け継がれた。この用法がラテン教父の時代になってどの程度受け継がれ、いつ消滅したかまでは、本論文の守備範囲外なので残念ながら探究を控えることとした。

 religio が元来有していた否定的な要素と、それに後から加わった肯定的な要素を多角的に検討する、という作業は、religion の語源は religio である、との判断で停止してしまいがちな宗教学において、今後とも更に考察が深められてよいのではないかと思う。

終章においては、全体を通して、改めて古代ローマ人の「神々に関する事柄」への態度、現代の言葉で言えば「宗教」に対する態度を考察した。それは神々の存在を前提とした上で、「神意に耳を傾ける」と一言で表すことができる。しかも神意に耳を傾けるためには、自己をある程度抑制しつつ内容を正しく聴きとらねばならない。正しく聴きとるには注意深さが必要である。そして聴きとった内容に対して行動面でそれへの聴従を表す必要がある。その時に、彼らが行っていた様々な儀式、特に、犠牲式や卜占を検討すると、その中には実は彼らなりに、<神意に耳を傾けそれに聴き従う>という原則が発露していたことが窺える。

それゆえ、古代ローマ人の宗教意識とは如何なるものであったか、という問いがもし可能ならばそれは、「神意に耳を傾けてそれに聴き従う」という態度の表明であったという答を提出することができよう。

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