五カ年計画のメディア・イメージ―ソ連とユーゴの比較―

亀田 真澄

本論文は、ソ連とユーゴの五カ年計画プロパガンダにおけるメディア・イメージを、ソ連で実施された共産主義プロパガンダのアダプテーションとして取りあげ、ソ連からユーゴへの文化的影響を辿るとともに、対照比較の観点から双方の特徴を分析するものである。

従来の研究において、ソ連と冷戦期の東欧諸国との関係について文化史的観点から論じられる際には、ソ連の公式文化がいかに冷戦期の東欧諸国に押し付けられてきたかという視点から考察されることが多かった。ただし共産主義文化について、その複数性を含めて検討するためには、それぞれの国においてどの点ではソ連公式文化がより明瞭に模倣されているか、どの点ではその地域独自の文化的背景が強くあらわれているか、どのように現地の芸術家たちは国家のプロパガンダと関わったのかといったことについて対比的に論じることが不可欠である。ユーゴは1948年にコミンフォルムから脱退したため、1950年代以降になると国内でもソ連との関係について肯定的に語ることがタブーとされてきたという背景も影響して、ソ連を頂点とする共産主義文化の一部にユーゴ文化を含める研究は未だに少ない。

そこで本論文の分析対象として、ソ連からのアダプテーションが特に顕著である、ユーゴ第一次五カ年計画のプロパガンダに着目した。ソ連においてもユーゴにおいても五カ年計画は、単に産業発展のためのキャンペーンではなく、大きな文化的インパクトを伴うものであった。注目すべきは、五カ年計画のプロパガンダが主に視覚メディアにおいてなされたということである。識字能力が未だに十分ではない大勢の国民を一挙動員するためには、写真や映画による宣伝が効果的であったことに加え、視覚メディアはそれ自体が五カ年計画期に発展すべき重要な産業と見なされていたためである。

そのため本論文では、両国の五カ年計画プロパガンダの軸をなしていた、国土建設のシンボルとしての鉄道敷設、新しい国民的アイデンティティのシンボルとしての労働英雄、新しい国家のセルフポートレイトをそれぞれ取り上げ、それらが映画・写真・グラフ誌という媒体でどのように視覚化されたかを分析した。それによって、ソ連の第一次五カ年計画(1928~32年)・第二次五カ年計画(1933~37年)のモチーフが、ユーゴの第一次五カ年計画(1947年~51年)においていかに模倣され、またユーゴの政治的・社会的背景に沿うように変容を加えられていたかを論じた。

 

 本論文の構成は以下の通りである。

第1章では先行研究を概観するとともに、美学・メディア研究・パフォーマンス研究の理論を援用しながら、分析方法について論じた。メディア・イメージが鑑賞者の「いま・ここ」に生起しているかのように描く表象を「現前性の表現」と、表象される出来事・人物・物質と鑑賞者が物理的媒体によって結ばれていることを前景化する表象を「媒介性の表現」と規定した。

第2章では、芸術における「現前性の表現」という価値の表現に着目しながら、ソ連初期の演劇と祝祭パレードの関係を検討した。そのなかで、ロシア・アヴァンギャルド演劇が観客席と舞台のあいだの「第4の壁」を取り払おうと試みていたのと同時に、革命直後の祝祭には観衆を巻き込むかたちで祝祭イベントが組織されていたが、1920年代後半よりプロパガンダの重心が複製メディアに移ったのちも、読者や鑑賞者を記録された出来事の内部へと導く「オーチェルク」のスタイルが特徴的であったことを明らかにした。演劇や祝祭日のパレードにおいて強調されていた、役者と観衆が同じ存在論的次元にいるという感覚は、メディア・イメージにおいても受け継がれていったことを指摘した。

第3章では、ソ連からユーゴへの文化的影響について、ユーゴのプロパガンダ実施を担っていた人物たちの文化活動とその背景を中心として検討した。大戦間期のパリやベルリンでソ連からの色濃い文化的影響を受けていた芸術家や作家たちがユーゴ政府の要職に就いていたことや、ソ連出身のパルチザン写真家の例から、ソ連の文化的バックグラウンドを持つ人々が、共産党主導のプロパガンダを実践していたことを確認した。

第4章から第6章は、ソ連とユーゴの五カ年計画プロパガンダを、メディア・イメージにおける「現前性」と「媒介性」を軸として比較するケーススタディーである。ソ連の事例からは鉄道建設のドキュメンタリー映画『トゥルクシブ』、ノルマ超過運動のシンボルであった労働者スタハノフの報道写真、国家像を国内外に示したグラフ誌『ソ連邦建設』を、また、ユーゴの事例としては、『トゥルクシブ』の比較対象として『青年鉄道シャマツ=サラエヴォ』、スタハノフの比較対象として炭鉱労働者シロタノヴィッチ、『ソ連邦建設』との比較対象としてグラフ誌『ユーゴスラヴィア』を取り上げた。

ソ連の事例からは、(a)映画『トゥルクシブ』において、焦点の当てられた人物・物体からの視点を通してコミュニティーへ同化するパースペクティヴが表現されていたこと、(b)スタハノフの報道写真において、常に最新の写真を掲載することで新しい人間として成長していく労働者像が強調されていたこと、(c)グラフ誌『ソ連邦建設』において、ソ連の様々な地域での出来事が読者の目前で展開しているかのような視覚的効果を狙うフォトオーチェルクや紙面の装置が援用されていたことに着目した。このことから、ソ連の第一次・第二次五カ年計画プロパガンダにおいては、読者及び鑑賞者に、記録された出来事内の「いま・ここ」に存在するかのような視覚感覚を与える「現前性の表現」が基調となっていたと論じた。

他方、ユーゴの事例からは、(a’)『青年鉄道シャマツ=サラエヴォ』において初走行というイベントと鑑賞者を結びつける経験的媒体の存在が強調されていたこと、(b’)労働英雄の報道において肖像写真はほとんど用いられず、固定的な視覚イメージが大量に流通していたこと、そして(c’)グラフ誌『ユーゴスラヴィア』のフォトシリーズにおいて、過去と「現在」に共通する視覚イメージを「原型」として抽出するデザインやフォトシリーズが特徴的であることを示した。これらの事例分析から、ユーゴにおける第一次五カ年計画プロパガンダにおいては、読者及び鑑賞者と記録された出来事とを結びつける媒体の存在を前景化する「媒介性の表現」が基調となっていたと指摘した。

 

本論文の結論としては、以下のことが導かれた。(1) ユーゴのプロパガンダは、ソ連で実施されたプロパガンから多大な影響を受けながらも、その単なるミニチュア版ではなく、ユーゴに独自の政治・社会状況に沿った、国家・国民アイデンティティ創出のために改変されていた。 (2)ソ連のプロパガンダにおいては「現前性」が前景化されていたが、これらがユーゴにおいてアダプテーションされた際には、「媒介性」を強調するメディア・イメージになっていた事例が存在する。(3)これらのことをメディア論の文脈へ位置づけると、プロパガンダのイデオロギー的内容と、その表現様式における「現前性」、「媒介性」をめぐるスタイルの差異には、一定の相関関係が存在するということが示される。

以上の分析結果は、ソ連とユーゴのプロパガンダにおける表現様式上の差異を「現前性」と「媒介性」というスタイル上の違いとして対照的に比較した点で、ヨーロッパにおける共産主義文化の複数性について比較的に検討するための第一歩となるものである。さらに、メディア研究において提唱されてきたものの理論仮説にとどまっていた「価値としての現前性」というコンセプトを、具体的な事例研究に応用することで、「現前性」、「媒介性」という表現上の志向性とそのイデオロギー的内容との相関関係を示したという点で、メディア理論の発展にも貢献するものである。

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