本稿は、フランスの哲学者アンリ・ベルクソン(Henri Bergson, 一八五九‐一九四一年)の「感性(sensibilité)」をめぐる思想について、系統だった研究をめざすものである。
 二つの章によって構成される第一部では、「感性」をめぐるベルクソンの思想を体系的に把握するとともに、同時代の思想的環境にも顧慮しつつ、その独自性を明らかにする。
 第一章では、最後の主著『道徳と宗教の二源泉』(一九三二年)の検討をつうじ、「感性」をめぐるベルクソンの、哲学的キャリアの晩年における思想を明らかにする。ベルクソンは、「感性」を「情緒性」によって規定したうえで、物理的な刺激に由来する「感覚」をその外延から除外しつつ、これを「低次の」<成分>と「高次の」<成分>とに二分する。「低次の」<成分>にかんするかぎりでは、「感性」は、現実的な表象から付随的に情緒上の効果をこうむる、その意味において受動的な能力とされる。これにたいして、「高次の」<成分>にかんするかぎりでは、「感性」は、いまだ実現されることのなかった二つとない可能性を受容するとともに、受けとられた可能性の実現にむけて知性と意志とにはたらきかける、その意味において受動的かつ能動的な能力とされる。そこで言われる未展開の可能性とは、未形成であるがゆえに、生命体にも比せられよう仕方で渾然と浸透しあう、潜在的な諸々の表象もしくは行為である。したがって、「感性」からのはたらきかけをうけた知性と意志は、ピラミッドの頂点から下降するごとくに、統一から多性への分散によってことを運ぶものとされる。そのさい、実現すべき可能性の二つとない独自性はかならずやピラミッドの底面にまで反響するが、それは底面がただ一つでしかありえないことを意味しない。なぜならば、「感性」が受けとる可能性は、一とおりの仕方では汲みつくせないほどに豊かだからである。このように、ベルクソンは「感性」を、とくにその「高次の」<成分>にかんして、やがて判明な多性へ展開されるであろう、そのような一性の受容によって規定しながら、知情意のトリアーデのうちで「感性」を上位に位置づける。以上の考えかたは、同時代の思想的環境にてらしたとき、外延にかんする「感覚」の除外、および、一と多の対概念をつうじて語られる「高次の」<成分>への着眼、の二点で独自性を有する。
 だが、ベルクソンは哲学的なキャリアの初期より、そのように独自な考えかたを貫いていたわけではない。第二章では、近年ようやく公となった講義の記録の検討をつうじ、この点を明らかにする。第一に、初期のベルクソンは、最後の主著におけるのと同様の仕方で規定された「感覚」を、ただし、それとはことなって「感性」のもとに包摂する。そして第二に、なにより彼は、「感性」の「高次の」<成分>への着眼を欠いており、したがって、「感性」と意志との連携の問題や、「感性」に属する心的事象の一性の問題などをめぐり、最後の主著に一脈つうじる着想をかいま見せることがあっても、一と多の対概念をつうじてのちに表明されることになる独自の思想へと、これを結実させることがない。
 五つの章によって構成される第二部では、「感性」をめぐるベルクソン独自の思想が形成された経緯を明らかにすべく、先行の哲学史にかんする知見などもふまえつつ、彼の哲学上の術語体系の編成、もしくは再編成の過程をあとづける。
 第三章では、複数の論考を横断しながら、「直観」概念にかかわる記述を検討する。一連の考察をへて明らかとなるのは、ベルクソンが「直観」をめぐって、一と多の対概念をつうじ、「感性」をめぐる晩年のそれと同型の議論を展開していること、そしてまた、「感性」をめぐるベルクソンの晩年の思想が、「直観」概念を確立する過程でまさに育まれたことである。というのも、彼は、二〇世紀初頭に確立されたこの概念を、のちに「感性」の「高次の」<成分>に論及するさいにも用いることになる言葉によって、二つとないものとの「合致」として規定したうえで、その意味するところを、受動性と能動性との混交、生命体にもなぞらえられよう統一の多性への分散、分散にさいしての二つとない独自性の反響ならびに多性の複数可能性、知性との連携、などを論じながら掘りさげているからであり、さらには、「感性」の「高次の」<成分>が発現する場面としてのちにふたたび言及することになる事柄によって、この概念の可能性を担保しているからである。
 ベルクソンがこのように、「感性」をめぐる晩年の思想に結びつくような仕方で、二〇世紀の初頭に「直観」概念を確立したことは、彼が世紀の変わり目をまたいで、「持続」概念を規定しなおすべく努めたことと高度に相関的である。第四章では、二〇世紀の初頭までの主要な論考の検討をつうじ、この点を明らかにする。当初はきびしく峻別した一なる「持続」と多なる「空間」とを、ベルクソンは媒概念をつうじてしだいにあゆみ寄らせ、さいごには前者から後者への分散の構図を提出する。このことにともなって、元来、渾然たる相互浸透による、生命体にもたとえられるべき統一とされていた「持続」は、それにくわえ、多性へと展開するかたむきを有するものとして、あらためて規定されることになった。それだからこそ、「持続ノ相ノモトニ」見る認識方法としての「直観」をめぐって、一性の受容、それも、生命体にもなぞらえられよう渾然たる相互浸透による一性の受容と、これの判明な多性への展開とをベルクソンは語るのであり、そしてまた、多性への展開の局面を論じるのにさしては、「直観」とは対照的な、「空間」にそくした認識能力として規定された「知性」に、その役割を担わせるのである。
 ところで、ベルクソンが世紀の変わり目をまたいで、そのように「持続」を、二〇世紀の初頭に術語化された「直観」や「知性」、ひいては晩年の「感性」の規定におおいに影響をおよぼすような仕方で、一と多の対概念にそくして規定しなおすのにあたっては、一九世紀末にプロティノス哲学から、一なるものと多なるものとの媒介にかんして学んだことによるところが大きい。第五章では、近年ようやく公となった講義の記録と著作とをあわせ読むことをつうじ、この点を明らかにする。一なる「知性界」と多なる「感性界」とを仲介者によってむすぶプロティノス的な流出の構図を、ただし、「高次の」「感性界」をあらたに設け、そこに「持続」としての時間を格あげするとともに、「知性界」を「空間」の、あるいは「低次の」「感性界」のかたわらに降格させることによって、ベルクソンは「反転」しつつ応用した。だとすれば、その果てに彼が「感性」をめぐる独自の思想を育むにいたったのも、ごく自然なながれであったと言うことができる。
 そして、プロティノスに学びつつ、一と多の対概念にそくして世紀の変わり目になされた上述のごとき術語体系の編成ないし再編成は、カント哲学の批判的受容の意図に裏うちされている。第六章では、近年ようやく公となった講義の記録と著作とをあわせ読むことをつうじ、この点を明らかにする。生命体にもたとえられるべき一なる「持続」から多なる「空間」への分散を語ることは、そして、そのように多性へと展開するかたむきを有した「持続」に対応する「直観」を、カント的であると彼が考える、「空間」にそくした「低次の」「直観」とは別個に措定することは、ベルクソンにとって、カント的な枠組をふまえつつ「物自体」への通路をひらくことを意味する。だとすれば、いかに「直観」という言葉をまえにしてながらく躊躇したのだとしても、彼はこの用語を選ぶべくして選んだのである。そして、ことの次第がそのようであるならば、「直観」概念を確立する過程でベルクソンが「感性」をめぐる独自の思想を育んだのも当然である。カント的な空虚な形式ならぬ「生きた統一」にあてがわれるべき、「高次の」「直観」を措定することをつうじて、多性の受容によって特徴づけられる、端的な受動性としてのカント的な「感性」とは対照的な、一性の受容によって特徴づけられる、受動的かつ能動的な「感性」の構想に、すなわち、「高次の」<成分>をも視野におさめた「感性」の構想に、ベルクソンは正当にもゆき至ったのである。また、彼が「感性」のもとに「感覚」を包摂しないのも、このことと関連する。ベルクソンにとって、「感覚」とは、「空間」にそくしたカント的な「低次の」「直観」をつうじて与えられるものであるから、カント的な「感性」の対極に位置づけられるべき「高次の」<成分>に着眼し、しかもその<成分>をとりわけ強調するベルクソンは、あえて「感覚」を、同時代の思想的環境にてらしても特異な仕方でとり扱うのである。
 ベルクソンによる上述のようなカント哲学の批判的受容は、これに類する他のさまざまな試みに比して、まさにプロティノス的な構図の「反転」において、その独自性を有する。第七章では、近年ようやく公となった講義の記録の検討をつうじ、この点を明らかにする。なるほど、たとえばフィヒテもまた、ベルクソンのみるところでは、カント的な空虚な形式をこえ、多なる質料を産みだす一なる形式にまで迫ろうとした。だが、プロティノス的な構図を「反転」しなかったフィヒテには真に「生きた統一」を語ることができず、フィヒテ的な「知的直観」は「物自体」にまで届くことがない。フィヒテの試みを、また、おそらくは他のさまざまなポスト・カント的な取りくみをも、そのような仕方で理解するからこそ、「直観」にうったえる他の諸々の学説との混同をベルクソンは懸念し、この言葉をまえにながらく躊躇したのである。