本論文は、20世紀に中国において出現した社会主義経済体制の歴史的意義を検討すべく、1950年代から1978年の改革開放政策実施までの約30年間を対象にその経済体制の構造と機能を考察するものである。従来の研究において、中国の社会主義経済体制は、生産手段の公有化を前提とした指令型経済システムを基本としつつ、ソ連・東欧の体制と比べて中央―地方関係において分権的な特徴を持つ点が指摘されてきた。しかしこれらの研究は、そのような特徴を持つ中国社会主義経済体制の導入が中国経済の既存の構造をどのように変革したかという歴史的な視点と、そうした構造変動を地域レベルの実態にもとづいて分析する視点が欠けており、中国社会主義経済体制の歴史的意義を十分に明らかにすることができていなかった。そこで本論文は、中国社会主義経済体制の導入がもたらした構造変動を地域レベルの実態に即して解明することを課題とし、19世紀後半以来中国の近代工業・商業・金融の中心地であった上海市を事例として、とりわけその地方政府と企業の関係に注目しつつ歴史的に検討している。

第Ⅰ部「上海市における社会主義経済体制の形成」では、1949年の中華人民共和国成立、および1956年の社会主義改造(=生産手段の全面的な公有化)にいたる社会主義経済体制の形成過程を検討している。

第一章「私営企業の管理・統制体制の形成」では、中国社会主義経済体制の基礎となった中華人民共和国初期における政府による私営企業の管理・統制体制に注目し、政府の私営工業に対する加工発注政策の展開過程を検討している。そのなかで、(1)1949年の中華人民共和国成立当初、政府は私営企業の存在を容認する「新民主主義」という基本方針を掲げ、委託加工・発注も主に私営工業への「扶助」と位置づけられていた点、(2)1950年の中国の朝鮮戦争参戦以後、軍需の増大から委託加工・発注の数量が大幅に増加しその緊急度も増すと、制度上の不備などからその執行をめぐるトラブルが拡大した点、(3)こうした問題に対して、政府は「三反」「五反」運動などの政治運動を通じて私営企業の再編を図る一方で、委託加工・発注の執行過程で見られた管理・統制上の問題は依然として存在し続けていた点、(4)こうした状況のなかで、1953年に毛沢東が社会主義への移行を公式に表明すると、私営工業政策の中心は加工発注を通じた間接的管理から私営工業の公私合営化を通じた直接的管理へと転換していった点を明らかにした。

第二章「上海市財政の構造変動と企業」は、社会主義経済体制における地方政府の機能を基礎づける地方財政制度に注目し、戦後国民政府期(1945-1949年)から中華人民共和国初期(1949-1956年)にかけての上海市の財政構造の変動を分析したものである。そのなかで、(1)戦後国民政府期から人民共和国初期にかけて税財政制度上の大きな転換があり、前者が中央と地方の財源・徴税機関を明確に区分していたのに対し、後者はそれらの区分を中央主導で再編し、実質的に従来の地方固有財源を削減した点、(2)上海市は両時期を通じて市内における徴税額を増加させつつも、人民共和国初期に進められた地方固有財源の削減により、財政収入において税収に依拠できなくなった点、(3)かわって上海市財政を支えたのは上海市政府が直接管理する地方企業からの収入であり、結果として上海市政府と地方企業の関係が財務面において緊密化していった点を明らかにした。

第Ⅱ部「社会主義経済体制下の生産と分配」では、社会主義経済体制下における経済活動、とりわけその生産と分配に関して、個別産業の実態に即して検討している。

第三章「産業組織の変動――ゴム加工業のケース」は、ゴム加工業を事例として、社会主義経済体制の形成による個別産業の産業組織の変動を検討したものである。そのなかで、(1)1949年以前の上海ゴム加工業は、大中華橡膠廠や正泰橡膠廠などの全国的な大企業と無数の零細な中小企業が併存する集中度の低い市場構造を持っていた点、(2)中華人民共和国成立以後、1950年の朝鮮戦争による軍需増加に刺激され中小企業がさらに増加する一方、アメリカの対中禁輸政策による輸入途絶を背景として原料ゴム流通が政府の下に一元化されていった点、(3)こうした状況のなかで上海ゴム加工業は1954-56年の社会主義改造によって上海市政府機関の指導下に組織され、中小企業の撤廃・再編と大企業の全国的生産・販売網の分断という構造転換が図られた点を明らかにした。

第四章「物資分配と需給関係――セメント産業のケース」は、社会主義経済体制における経済活動を規定する物資管理制度に注目し、セメントを事例として、上海市の地域的な需給関係を中心に検討したものである。そのなかで、(1)物資管理制度において、セメント分配の大枠は原則的に中央政府が掌握していたが、実際の運用では地方政府に一定程度の裁量権を与えていた点、(2)上海市のセメント需要は基本的に大躍進政策などの中央政府が発動する工業生産推進政策によって喚起される一方、中央政府からのセメント分配量は1950年代末から60年代にかけて需要を下回っていた点、(3)上海市政府はセメントの「垂直的不足」に直面するなかで、既存生産設備の拡大や新工場の建設、上海市外からの移輸入などによって独自にセメント需要を満たしていた点を明らかにした。

第五章「地域内統合と広域的分配――電力産業のケース」は、社会主義経済体制の導入による産業の地域的統合と広域ネットワークの関係について、電力産業を事例として検討したものである。そのなかで、(1)中華人民共和国成立以前の上海の電力産業は、全国最大の規模を誇りつつ、アメリカ資本の上海電力公司を中心とした複数の企業が市内の工業用需要を背景として自己完結的に発展していた点、(2)1950年の中国の朝鮮戦争参戦を契機とした上海電力公司への軍事管制によって上海市内の電力産業が政府の下に一元的に統合された点、(3)社会主義経済体制下において、内陸投資重視の国家政策から相対的に上海の発電設備拡張が停滞する一方、工業用需要の増加により上海市は周辺諸地域から高圧電線による電力供給を受けるようになった点を指摘し、上海電力産業の構造が大きく転換した点を明らかにした。

 終章は、本論文各章の議論を踏まえて、中国社会主義経済体制の歴史的意義について論じている。そしてそのなかで、社会主義経済体制の導入が中国経済にもたらした重要な構造変化として、(1)経済主体としての地方政府の出現と、(2)経済関係の地域内統合と地域間分断という2点を指摘した。

(1)の点は、1956年の社会主義改造の結果、全ての企業がいずれかの行政単位に所属し、地方政府と企業とが財務上において密接に結びついたことによって、地方政府が社会主義経済体制において主要な経済主体として現れてきたことを意味している。こうした変動は、中華民国期までの政府と企業の関係が主要には中央政府と国営企業の関係であった点を鑑みれば極めて大きな変化であり、またこの1956年の生産手段の公有化という転換が全国画一的に実行され、社会主義経済体制における基本原則として以後に形成される生産手段についても適用されたことは、中国の経済構造にとって極めて大きな影響をおよぼしたと言える。

また(2)の点は、(1)と関連して、社会主義経済体制の形成に伴い、地方政府を中心とする産業管理体制が形成されたことにより、地域内の経済関係が統合の方向に向かったこと、そしてそれと同時に地域をまたいだ経済活動が制限されたことを指す。これは例えば、地域内の企業の合併・統合や、大企業の全国販売網や工場などといった中華民国期までに形成されていた経済活動の広域的なネットワークの分断といった現象に代表される。ただし、こうした地域内統合と地域間分断とは、地域をまたいだ経済関係が全く存在しなくなったことを意味するのではなく、むしろ広域的な経済関係が上級政府機関による計画のライン上に限定されたことと表裏一体の関係にある。つまり、ここで指摘する地域内統合と地域間分断とは、広域的な経済関係と地域内の経済関係を制度的に分割し、独立的に運営する社会主義経済体制の制度的な特徴によって生じたものと言える。この点も、社会主義経済体制の形成が中国の経済構造にもたらした大きな変化の一つであった。

以上の2点は、社会主義経済体制における経済活動を規定する要素であり、また1980年代における諸侯経済の出現などに見られるように、1978年の改革開放以降の中国経済をも大きく規定している。そうした点も踏まえて、本論文では、以上の2点を中国社会主義経済体制の形成がもたらした重要な歴史的意義であると結論づける。