本論では文化年間における馬琴小説と演劇の関係に注目し、三つの手法をもってアプローチした。第一は、馬琴作品の分析を通して、馬琴の演劇観・勧善懲悪観を論じる手法、第二は読本演劇化作品の検討により、馬琴作品の演劇性・読本らしさを逆照射する手法、第三は、読本演劇化を担った人物を取り上げ、当時馬琴が広く受け入れられた背景を、同時期の演劇界や出版メディアとの交流から考察する手法である。本論は全三章から成るが、この三つの手法がそれぞれ第一章、第二章、第三章に対応する。
第一章では、馬琴自身の言説と馬琴作品の内容分析から、馬琴の演劇観と「勧善懲悪」の関わりについて「因果」「人情」にも注目して論じた。
第一節「馬琴の演劇観と「勧善懲悪」―巷談物を中心に―」では、馬琴が読本に浄瑠璃を取り入れる際に施した大きな改変とは、御家騒動の手法を借りながらも、主家における忠臣悪臣の二項対立を提示せず、敵役を矮小化したこと、またその一方で浄瑠璃には見られない主人公らの肉親を創出し、その悪行を端緒とした因果で物語を構成したことを確認した。
巷談物において浄瑠璃を読本に取り込むために施した操作を通して、馬琴は、善人の受難の理由を、物語の進行のなかで無理なく現世の肉親の悪因悪果として説明する方法を獲得し、それが作品構成に係わる「勧懲」の実践的手法としてのみならず、馬琴の小説理論の一部として形成されたことは、同時期に「勧懲」の正不正に関する言説が見られることからも確認できた。
第二節「馬琴と近松の因果浄瑠璃」では、馬琴が近松門左衛門の浄瑠璃が「勧懲」を旨とする点を評価する言説を確認し、実際に読本に近松作品を利用した例から、馬琴が因果に係わる趣向を利用、あるいは因果応報を強調するために場面に用いていることを確認した。
第三節「〈累〉の「因果」と京伝・馬琴」では、因果応報を説く〈累〉の巷説は、演劇・京伝・馬琴においてはそれぞれどのように利用されているのかについて検討した。『伊達競阿国戯場』や京伝は善人が忠義という大義名分のもとに罪無くして殺害されたことに対する理由が説明されないのに対し、馬琴は『死霊解脱物語聞書』に拠って、主人公らの受難は肉親の悪行の悪報によるものとし、登場人物の為人と行為の善悪が正しく報われる方向に因果を縒り直した。また〈累〉の〈妬婦〉のモチーフに注目すると『阿国戯場』では、夫への執着から〈妬婦〉である怨霊に変貌する様子を捉えるのに対し、読本では、京伝・馬琴ともに〈妬婦〉は持って生まれた性質とし、生者の〈妬婦〉が悪行によって自ら怨霊を招いた結果、自ずと滅びる様を描くことを確認し、『阿国戯場』とは異なり、読本では〈妬婦〉を善悪の因果に組み込んだことを確認した。
第四節「馬琴の「人情」と演劇の愁嘆場」では、馬琴が読本の「人情」描写の一手段として、演劇の「義理」「人情」の葛藤を描いた愁嘆場を取り入れていることを確認した。馬琴は、演劇において、「義理」「人情」のどちらをも犠牲にすることができず葛藤する、その心理描写については評価するが、その結果、身売りや子殺し、心中など、「義理」「人情」のどちらかを犠牲にしてしまう場合には批判している。それは馬琴が「義理」「人情」は本来優劣をつけられないものと考えているからである。それを敢えて天秤にかけなくてはならない状況に追い込まれるために葛藤が生じるのであり、その葛藤を描写することは、読本における「人情」描写に有効であると考えたのである。また馬琴は、作中、多くは武士の発言に「公道」「人情」という対立概念を用いたことを確認した。馬琴は先後関係においてひとまずは「公道」を優先し、後に「人情」をも全うさせることを最善とする。馬琴の理想とする「人情」描写とは公私の調和が取れたものであったといえることを確認した。
第二章では、文化年間の上方における京伝・馬琴読本の演劇化作品について扱った。
第一節「『昔話稲妻表紙』の歌舞伎化と馬琴」においては、文化五(一八〇八)年正月に大坂角・中両座において、文化二(一八〇五)刊の京伝読本『昔話稲妻表紙』の歌舞伎化が行われたことを取り上げた。これは文化年間における京伝・馬琴読本の歌舞伎化の魁けといえる。「けいせい輝艸紙」「けいせい品評林」の両作品上演の背景を確認するとともに、「けいせい輝艸紙」については絵尽から作品内容の復元を図り、後世に伝わった「けいせい品評林」については番付・台帳から作品分析を行った。また『昔話稲妻表紙』の趣向が馬琴読本のなかに繰り返し利用されていることを指摘し、『昔話稲妻表紙』の歌舞伎化が馬琴に与えた影響の大きさについて考察した。
第二節「馬琴読本の演劇化―文化期の上方演劇作品における―」では、文化年間の上方における馬琴読本の演劇化作品十作品について、特に未翻刻のものを中心に紹介、馬琴読本と演劇化作品を比較検討した。演劇化に際し取り込まれた部分は馬琴読本において演劇性の強い趣向であることを確認、その際、従来指摘されていなかった馬琴読本に用いられている演劇種の趣向を具体的に指摘し得た。一方、演劇化作品では、馬琴読本の因果応報に係わる件は排除されており、因果律が読本における特徴であることを再確認した。
第三節「京伝・馬琴による読本演劇化作品の再利用」では、京伝・馬琴読本の演劇化作品が、京伝・馬琴の合巻・読本に再利用されていることについて紹介、考察した。具体的には京伝読本の二作、文化二(一八〇五)年刊『桜姫全伝曙草紙』、文化三(一八〇六)年刊『善知安方忠義伝』の浄瑠璃化作品『桜姫花洛鑑』(文化四年初演)と『玉黒髪七人化粧』(文化五年初演)がそれぞれ京伝合巻『桜姫筆再咲』『うとふ之俤』に趣向・文辞まで取り込まれていることを確認した。また馬琴読本『三七全伝南柯夢』(文化五(一八〇八)年刊)の絵入根本『三勝櫛赤根色指』(文化八・九(一八一一・一二)刊)が、『三七全伝南柯夢』の後編『占夢南柯後記』(文化九年刊)に影響を与えた可能性を指摘した。さらに、これらの演劇化作品を再利用が、文化七・八・九年と続けて行われていることが、文化六年に『玉黒髪七人化粧』が江戸で「うとふ物語」の名において上演されたことを契機としていることを指摘した。
第三章では、文化年間における上方の読本演劇化をめぐる演劇界・出版界の状況を知る手がかりとして、第二章第二・三節で触れた佐藤魚丸(佐藤太)、絵入根本の大手板元河内屋太助についてその活動全般について調査の上、考察した。
第一節「浄瑠璃作者佐藤魚丸の読本」では、従来ほとんど顧みられることのなかった佐藤魚丸に注目した。まず佐藤魚丸の狂歌師・浄瑠璃作者・読本作者としての活動をその名号から確認した。特に読本作品二作を取り上げ、江戸読本の作風と比較した結果、善人悪人の善報悪報といった因果が絡む怪異の趣向を用いない特徴を見出し、上方読本の流れを汲んでいることを確認、典拠についても指摘した。魚丸は浄瑠璃化に際しても、江戸読本の怪異の趣向を評価しつつもその趣向に係わる因果律は排除したことを確認した。
第二節「河内屋太助による絵入根本の出版と馬琴」では、読本とよく似た形態を持つ台帳の公刊である絵入根本の大手板元である河内屋太助を取り上げた。「絵入根本」の呼称を確認するとともに、河内屋太助の絵入根本を一覧化し、その様式が江戸読本の影響下にどのように定着していったかを追った。また河内屋太助の江戸読本との接点に馬琴がいること、馬琴との関係が絵入根本刊行の時期と重なることを述べた。さらに絵入根本に係わる俳優・作者・画工が、読本というジャンルや丸派の狂歌師と繋がりがあることに触れ、当時の浄瑠璃・歌舞伎界、狂歌壇、江戸の戯作界の交流の媒のひとつとして河内屋太助が存在していたことを確認した。
最後に、附論として加えた「馬琴と蟹―馬琴の名「解」をめぐって―」では、馬琴が自ら名付けた「解」という名について、従来見過ごされてきた典拠のひとつを取り上げ、馬琴が名に込めた意味を考察した。