本研究は、谷崎潤一郎の作品研究を通じて、近代小説の条件を考察する試みである。日本における近代小説の成立は、明治期におくのが通例であるが、「近代小説」という概念、それを構成する諸条件が問い直されたのは、昭和初年代=一九三〇年代に入り、世界的な小説論の流行を受けて後のことである。明治末に文学活動を開始した谷崎潤一郎も、大正期には小説を芸術の中の一ジャンルとして位置付けていたが、昭和期に入ると携わるジャンルを小説に限定し、その潮流に参入していく。そこで発見されたのが、筋、形式、会話と地の文の体制、虚構、文章といった近代小説を構成する諸条件であった。本研究は、明治末から昭和三十年代までの長期にわたる谷崎の文学活動を、時期を区切ってたどり、近代小説の表現史を描出するものである。
序章「小説に筋をもたらすこと―『刺青』から『蓼喰ふ虫』まで」では、芥川龍之介との間に交わされた「小説の筋」論争の検討を皮切りに、デビュー作『刺青』から大正期の「戯曲体小説」を経て『蓼喰ふ虫』に至る谷崎の前半期の文学活動に、「小説の筋」という課題が伏流することを指摘する。前半期の谷崎の課題のありかを指し示すとともに、筋の内容ではなく筋という概念それ自体を、近代小説を構成する一条件として考察する視点を提出する。
第一部「芸術の中の小説」では、大正初期の谷崎の小説が、隣接する芸術諸ジャンルと内在的・外在的に結ぶ関係を考察する。第一章「芸術論小説―『饒太郎』・『金色の死』・『お艶殺し』」では、一見すると対照的に見える『金色の死』と『お艶殺し』が、前作『饒太郎』の課題を受け継ぐものであることを明らかにし、これらの諸作を「芸術」の名のもとに小説を否定する芸術論小説として位置付けた。第二章「『お艶殺し』論―小説が劇化されるとき」では、『お艶殺し』の劇化の歴史をたどり、小説が劇化されるときに生じる諸問題を考察する。本作は谷崎の最初の、かつ最多の上演作である。本作は歌舞伎・新劇・新派の諸派で上演を重ねており、このように各派が長期にわたって一つの小説を繰り返し劇化するというのは類例がない。その意味で『お艶殺し』は、大正初期の谷崎を考える上でのみならず、近代演劇史を捉えなおす上でも意味のある作だと考えられる。各派の別を越え劇化されたこの小説に注目することで、従来のジャンルごとの演劇史では見えない、演劇史の横断面を切り出すことが出来よう。
第二部「近代小説の形式」では、昭和初年代の諸作を対象に、それらが提起する近代小説の形式に対する問いを解明する。第一章「『盲目物語』から『蓼喰ふ虫』へ―会話と地の文の体制」では、古典回帰の端緒と位置付けられてきた『蓼喰ふ虫』が、むしろ『盲目物語』以後のいわゆる古典回帰の諸作を受け、遡って発見されたものであることを指摘し、本作の持っていた意義が『盲目物語』以後に明らかになるものであることを論じる。本作においては、鍵括弧で括られ改行された会話のパートが、厳密に小説の現在時の発話にのみ使用され、過去の発話は地の文に組み込まれて提示される。本章では、『蓼喰ふ虫』が地の文に対置されるところの会話を、小説における現在時=場面=舞台を開示するものとして解釈することを、小出楢重の挿画との対照を通じて明らかにする。第二章「『吉野葛』論―紀行の記憶と記憶の紀行」及び第三章「『春琴抄』論―虚構あるいは小説の生成」では、昭和初年代の谷崎の諸作が、近代小説の形式を避け、抄(『春琴抄』)や紀行文(『吉野葛』)など別種の形式を採用することに注目し、その形式ゆえに混入する虚構のありかを指し示す。それは小説以外の形式を採用した上で、虚構という条件によって小説へと再度接近する試みであり、小説の条件を形式や心理に求める同時代のモダニズム文学への鋭い批評であったと考えられる。これらの諸作は、発表当時、完成度の高さを称賛される一方で、小説以外の形式を採用することや、心理描写の欠如という点から、近代小説の条件を満たさないと批判された。たとえば『春琴抄』は、「私」が「鵙屋春琴伝」という架空の書物の引用と、作中人物の証言によって物語を構成するという「抄」の形式を採用する。ところが、主人公佐助が醜く変貌した春琴の顔を見まいとして自ら目を突き、春琴と抱き合う場面だけは、書物とも証言とも矛盾する内容が書き加えられている。ここでは例外的に「私」が後退し、作中人物たちの発話が叙述を覆っている。また『吉野葛』は、「私」が友人津村との過去の吉野紀行を再現するという紀行文の形式を採用し、発表当時は実際に谷崎の紀行文だと勘違いする読者もいた。道中で津村が語る物語は、前半部は津村による物語として「私」の媒介を経て、後半は「私」が後退し三人称小説のように、津村の物語として提示される。この物語の中で作中人物の津村が訪れる土地は、物語を聞く「私」がやがてその土地を訪れるより前に、小説に配置される。これらは諸作がその形式ゆえに包含する虚構だと考えられる。
第三部「翻訳という問題」では、従来の研究で創作に比べて軽視されてきた翻訳を取り上げる。第一章「谷崎潤一郎と翻訳―「グリーブ家のバアバラの話」を中心に」では、谷崎の翻訳の範囲を確定し、それを大正八年前後と昭和二年前後の二期に分類する。昭和二年に発表されたハアディ「グリーブ家のバアバラの話」の翻訳は、同時代の円本に代表される商品としての翻訳に対抗し、創作としての翻訳を企図するものであった。本章では、訳文を以後の邦訳と比較しつつ分析し、谷崎において翻訳が問題として浮上するさまを跡付けた。第二章「『潤一郎訳源氏物語』論―「空蝉」冒頭部の分析を中心に」及び第三章「現代語訳の日本語―谷崎潤一郎と与謝野晶子の『源氏物語』訳」では、『源氏物語』の現代語訳を取り上げる。谷崎は『源氏物語』を三度訳しており、それぞれ「旧訳」「新訳」「新々訳」と通称されている。第二章では、「空蝉」の巻の冒頭部の分析を通じ、「旧訳」が原文にない敬語の追加・削除を行うことを指摘する。「旧訳」の訳文の敬語は、現代文はもとより古典の文章にもないような文法的機能を担うものであった。第三章では、同時期の与謝野晶子の訳との対照を通じ、「旧訳」の訳文の日本語の特質を明らかにする。
第四部「戦後へ」では、戦後の小説を取り上げる。『源氏物語』の現代語訳(「旧訳」)を経て、戦中・戦後と書き継がれた長篇小説『細雪』は、『源氏物語』や『紅楼夢』など東洋の伝統的な「写実小説」の系譜に連なるものとして書かれた。第一章「『細雪』論―予感はなぜ外れるのか」では、主人公幸子の二人の妹に関する予感が繰り返し外れるという現象に着目し、小説の世界における現実の様式を解明する。『細雪』は、作中人物の予感に反し到来する現実を描き、小説外の現実との類似に依拠する従来のリアリズムとは異なる手法で「写実小説」を達成したと考えられる。この『細雪』によって日本の伝統的な美意識を体現する作家というイメージを担うことになった谷崎は、昭和三十年代に入ると、『鍵』『瘋癲老人日記』などの問題作を発表し、一転して同時代の文学に積極的に参入するようになる。第二章「『夢の浮橋』論―私的文書の小説化」では、『夢の浮橋』が作中人物の私的文書をそのまま小説の本文にすることに着目し、晩年三部作(『鍵』『夢の浮橋』『瘋癲老人日記』)に通底する問題意識を抽出した。
終章「文章の論じかた―小林秀雄の谷崎潤一郎論」は、昭和三十年前後に谷崎に対する評価が「思想」のない作家から「思想」のある作家へと転換する過程で、位置付けを見失われた文章という項を、昭和五年から十年過ぎまで、一九三〇年代の小林秀雄による一連の谷崎論に遡ることで再び浮上させ、小説の文章を論じる方途を考察する試みである。
以上、本研究によって、明治末から戦後までの長期にわたる谷崎潤一郎の文学活動が、近代小説の条件を問い直し、同時代の文学に対し常に先鋭的な問題を提出するものであったことを明らかにした。