単語認知における文脈の果たす役割に関する実験心理学的研究

浅野 倫子

文は複数の単語によって成り立つ。したがって、文を理解するためには構成単語の処理が必要であるが、単に個々の単語の処理結果を組み合わせるというボトムアップ処理のみによって文が理解されているわけではない。単語の処理に対する、文の文脈情報からのトップダウン的影響が存在することが知られている。
多くの先行研究により、文の持つ文脈情報が文中の単語認知に影響することが明らかにされている(Jordan&Thomas,2002;Potter,Stiefbold,&Moryadas,1998など)。しかし文を構成する要素から文脈がどのように発生し、単語の処理にどのように影響を及ぼしうるのか、その詳細については明らかでない。その原因の1つとして、先行研究ではいずれも、文脈と単語の継時処理を仮定していたことが考えられる。しかし単語は文の一部であり、通常の読みにおいては単語の情報と文脈情報が視覚的に同時に処理されると考えられる。そのため本研究では、複数の単語の情報、また、単語、単語意味、文脈などの複数のレベルの情報が並列かつ相互作用的に処理されることを仮定した相互活性化モデル(InteractiveActivationModel:McClelland,1987など)を理論的枠組みとして、文脈情報の生成機序と単語認知への影響について調べた。なお「文脈」という言葉は、本研究では字義どおり文の脈略のことを指し、特に単語レベルより上位の、単語意味レベルなどの処理を経て文脈レベルで表象される、文全体の意味情報として定義する。
多くの文の読みの研究では、文中では1度に1単語のみが処理されることが仮定されている(Frazier&Rayner,1982など)。しかし相互活性化モデルの枠組みを単語と文脈の処理の関係に適用して考えると、これらの研究が主張する継時的な語彙処理や即時的な文構造処理とは全く異なる、複数の単語の並列的な語彙処理による文脈の原型的表象の活性化の過程の存在を指摘できる。McClelland(1987)に従えば、単語レベルの表象ユニットは上位の文脈レベルにおいて、(単語意味レベルなどの処理を経由して)その単語と対応した文脈を活性化させる。そして文脈から単語レベルへのフィードバックにより、文脈に合致する単語ユニットがより強く活性化される。文脈処理についてはMcClelland(1987)など先行研究では詳述されていないが、これらのモデルからは次のような仮説を導くことができる。ボトムアップ入力により活性化された単語ユニットは、上位の単語意味レベルにおいて、対応する意味ユニットや、意味が類似、あるいは同一文脈上でよく用いられる(共起頻度が高い)など、関連する意味のユニットを活性化させる(Stolz&Besner,1996)。このとき、同じ文脈内の単語は意味ネットワーク上の一部の単語を重複的に活性化させやすいと考えられる。この複数の単語ユニットから重複して活性化を受けた意味表象群は、処理中の文の意味内容を反映した、文脈表象の原型とみなせるものだと考えられる。この単語意味レベルの活性化状態が上位の文脈レベルに反映されることにより、文脈表象が形成される。この文脈表象は下位レベルとの相互作用が進むにつれ、より精緻化されたものになると考えられる。この精緻化以前の段階の文脈表象のことを、本研究ではプロト文脈(proto-context)と名付けることにする。プロト文脈は、文字や単語などの下位レベルの表象と並列に処理されるため、1つの文を構成する単語群の提示後即座に活性化され、各処理レベル間の相互作用の進行により精緻化されると推測される。また文中に文脈不適合語がある場合でも、その他の単語の意味情報により、文脈不適合語がない場合と同様のプロト文脈が活性化されると考えられる。
本研究では文脈情報の活性化のメカニズムと、単語と文脈の処理の関係について実験的に検討した。特に、複数の単語の並列処理による、文脈の原型的表象であるプロト文脈の活性化の存在を確認した。実験課題は短文を短時間、文全体を同時提示し、文脈不適合語または文脈適合語部分(ターゲット)についての再認課題を行うというものであった。文は漢字二字熟語の文脈不適合ターゲットを含む不適合語文(例:「利用者の卒業を聞いて改善する。」)と、文脈不適合ターゲットと対応する位置に文脈適合語ターゲットを含む適合語文(例:「利用者の希望を聞いて改善する。」)の2種類であり、ターゲット語の位置については文頭、中間、後部の3条件が設定された。文中の単語の並列処理がなされ、重複して活性化された単語意味表象群によってプロト文脈が生成されるとすれば、文脈不適合語がある場合でもプロト文脈が活性化され、文脈不適合語は適合語に比べて再認されにくくなると予測される。本研究の主要な実験課題(第2章の実験1~3で使用)は、4肢強制選択式の単語再認課題であった。再認リストには実際に提示されたターゲットを含め、文脈に適合しない漢字二字熟語と、適合する漢字二字熟語が2つずつ、合計4つの漢字二字熟語が存在した。再認正答率、および誤答時に虚再認された単語を調べることで、単語の処理に文脈が及ぼす影響を詳細に調べた。また1試行の最後には内容理解テストを実施し、文脈を確実に活性化させると同時に、文のターゲット以外の部分の処理の正確さを確認した。
第2章の実験1ではこれらの基本的な条件設定のもと、短時間提示された文におけるプロト文脈の活性化と、それが文中の文脈不適合語および適合語の認知に及ぼす影響について検討した。実験の結果、文脈不適合語は適合語に比べて再認されにくいことが明らかになり、また誤答時は文脈に適合する語が虚再認される率が高いことが示された。ターゲット語と文脈の適合性によらず内容理解テストの成績は良好であった。これらの結果より、短時間提示された文中の単語が並列処理され、プロト文脈が活性化し、文中の単語認知に影響することが示された。実験2では、この即時のプロト文脈の活性が、情報価の高い単語である内容語の意味情報の効率的なサンプリングにより支えられている可能性を検討した。機能語と内容語の情報が揃った通常の文(不適合語文・適合語文)に加え、機能語をすべて&で置き換えることにより機能語を除外し、内容語のみの情報を残した内容語のみ文を刺激として用いて実験1と同様の単語再認課題を行った結果、両条件で同様に文脈不適合語の再認成績が低下するなど、機能語の有無に関係なくプロト文脈が活性化することが示された。これはプロト文脈が主に内容語の意味情報に基づいて生成されることを示唆する。実験3では、通常の文と、ターゲット語の位置を保持したまま文節順を入れ替え、意味が通じないものにした不整序文を用いて単語再認課題を行った結果、両条件で同様に、プロト文脈の活性化を示す結果が得られ、プロト文脈の活性が語順情報に非依存的であることが示された。さらに第3章の実験4と5では、文中の文脈不適合語の有無を判断し、文脈不適合語がある時はその定位を行う、文脈不適合語の検出・定位課題を行った。その結果、プロト文脈生成時には単語の位置情報処理が全く進行していないわけではないこと、文中のすべての単語について一様にではなく、文頭のように文構造上で重要な情報を担うことの多い単語について優先的に位置情報処理が行われることが示唆された。
以上の実験により、文の読みにおける、単語の並列処理によるプロト文脈の活性化の存在が明らかにされた。文が提示されると構成単語が並列処理される。その結果活性化された単語ユニットは、単語意味レベルにおいて一部の意味表象群を重複して活性化させ、それがより上位の文脈レベルに反映されることにより、プロト文脈が活性化される。プロト文脈は、精緻化される以前の段階のいわば文脈表象の原型であり、下位レベルとの相互作用処理が進むにつれて精緻化される。プロト文脈は文脈不適合語への耐性が高く、文中に文脈不適合語が存在する場合でも活性化される。また、プロト文脈からのトップダウン的活性により、実際には視覚提示されていないが文脈に適合する単語の表象が誤活性されることもある。文字、単語、文脈の各レベルは並列かつ相互活性化的に処理されるため、プロト文脈は文の視覚入力とほぼ同時に生成される。この際、内容語のように情報価の高い単語の意味情報を中心にサンプリングすることで、効率的で高速なプロト文脈処理が行われていると考えられる。またこの際、語順情報はあまり利用されない。プロト文脈の生成が内容語の意味情報に依存的で、機能語や語順などの統語処理に必要な情報に非依存的であることから、統語処理よりも意味処理のほうが優勢に働くと考えられる。並列処理によるプロト文脈の即時活性化と、その後の処理による文脈表象の精緻化を仮定することにより、効率的で処理負荷の低い読み処理の存在を説明可能である。本研究では従来のような単語の継時提示ではなく(Potter,etal.,1998など)、文全体を同時提示するという新しい実験パラダイムを用いることにより、単語の並列処理によるプロト文脈の活性化の過程を捉えることができた。また本研究の結果は、背景と個々のオブジェクトが並列かつ相互作用的に処理されるという、情景知覚研究の知見(Davenport&Potter,2004など)と多くの一致点を持つ。全体情報と部分情報の並列かつ相互作用的な処理と、それによる全体的な意味情報の即時活性化は、言語や情景などの違いを問わず、意味情報を含む複雑な視覚情報処理の初期段階に存在する処理メカニズムなのかもしれない。

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