式亭三馬研究

吉丸 雄哉

本論文では、式亭三馬とその著述を中心に扱った。三馬は多種多様な著述を行ったが、技巧においてすぐれ、秀作を数多く残す。
これまでの三馬研究において、伝記研究はひとまずの成果が集積されている。作品研究は滑稽本を中心に進んでいるが、まだ十分に解析されていない作品も多い。本論文では、それらについて、前後の時代の作品との比較をし、さらに芝居・浄瑠璃・話芸など文芸以外の芸術との交流も視野に入れ、横断的に調査した。
三馬は、余芸や趣味として、著述をなしたのではなく、執筆により稿料を得ることを重視した。なりわいとして薬店を経営したが、それは著作の中の宣伝に支えられたものだった。三馬は戯作者としての盛名によって、賛の揮毫や広告文の執筆を行い、潤筆料を得た。このような職業的戯作者ともいうべき姿の解明を、三馬の著述の精査を手がかりに行った。以下、論文を概観する。
一章一節「三馬作『田舎芝居忠臣蔵』について」では、万象亭『田舎芝居』から、田舎芝居物の滑稽本の系譜をたどり、とくに三馬『田舎芝居忠臣蔵』初編・二編の特徴を探った。『田舎芝居忠臣蔵』は、初編が朝寝房夢羅久の落話に構成を拠り、二編が『田舎芝居』を構成・詞章まで積極的に利用したことがあきらかになった。江戸語で江戸の世界を描写することを得意とした三馬が、あえて田舎を舞台にし、田舎言葉を中心にして著述した『田舎芝居忠臣蔵』は、三馬の実力が自在に発揮できる題材ではなく、逆説的に三馬の特徴をよくあらわすものと結論づけた。
一章二節「素人狂言物の滑稽本」では、桜川慈悲成『滑稽素人芝居』以降の、素人芝居を扱った滑稽本の系譜とその内容を考察した。素人狂言物の滑稽本は、役者についての情報を含み、評判記に通じる要素がある。また素人狂言のやりかたが説明されているので、手引書と同じ面をもつ。当時の素人芝居の流行と実態を示すだけでなく、歌舞伎の大芝居が素人狂言という形で再生産され享受されていたことを示す、貴重な芸能資料でもある。素人狂言物の滑稽本は、芝居のせりふや声色などを取り入れているが、それらは音声面での再現性の高い滑稽本にとって、芝居の雰囲気を彷彿させる恰好の素材であることを解説した。
一章三節「滑稽本・咄本と落語芝居咄」は、二節を発展させた内容である。落語芝居咄に芝居物の滑稽本が与えた影響は、二節でいくつか述べた。そのうち落語「蛙茶番」を例に取り、その成り立ちと咄の内容の変化を確認した。「蛙茶番」は、前半の役揉めの趣向を素人狂言物の滑稽本から得、後半のふんどしの趣向を咄本から得たと思われる。「蛙茶番」はその名の通り、茶番に関する部分が咄に含まれていたが、素人芝居や茶番が行われなくなるにつれて、その部分が省かれ、また芝居がかりのせりふを、時には音曲入りで、聴かせるよう変化した。
二章一節「芝居物の滑稽本と浮世草子」では、戯作と浮世草子と分野は違うが、ともに芝居を扱った作品同士の類縁関係を調べた。具体的には、十返舎一九『満作豆』「田舎芝居」など江戸戯作と、『野傾旅葛籠』『寛濶役者片気』『役者色仕組』など芝居に関わる内容の浮世草子を比較した。『満作豆』のように、『野傾旅葛籠』の一部を改編するだけで、ほぼそのまま詞章を流用した作品もあれば、『野傾旅葛籠』と『田舎芝居』のように影響関係の明確でないものもある。だが、分野をこえた類縁性が見られ、両者の近似性が確認できた。
二章二節「三馬と浮世草子」は、三馬の著述のうち、浮世草子との関連性が特に高いものを選んで、比較を行った。三馬は八文字屋本をとくに利用したが、三馬の時代には、八文字屋本はブランドとしての力を失っており、懐古趣味を狙っての利用だと考えられる。八文字屋本では、気質物とくに用いられたが、その際に、文章が簡略化され、また登場人物の気質よりも、当世風俗の描写に力を入れて、改変がなされた。一方、八文字屋本の時代物は、合巻にほとんどそのままの形で利用された。
二章三節「三馬の『黄表紙風の合巻』」では、通常の敵討物や御家騒動物の合巻ではなく、少数ながらも安永・天明期の黄表紙と同様に洒落や諧謔を中心に据えた合巻を「黄表紙風の合巻」と定義して考察した。三馬の「黄表紙風の合巻」は、黄表紙の伝統を引き継ぐものでありながら、かつての黄表紙とは異質な面も見られる。「黄表紙風の合巻」は滑稽本と素材が共通するのみならず、滑稽本と同質の、会話の正確な描写が見られる。一方、三馬の滑稽本は後期の作品になるにつれ、登場人物の性格が極端なものになり、「黄表紙風の合巻」の登場人物と共通する面が増えていく。以上のように、三馬の中で、「黄表紙風の合巻」は、滑稽本と明確に繋がりをもつという結論にいたった。
三章では、読本の戦闘場面について考察した。一節は三馬、二節は山東京伝・曲亭馬琴と対象の作者がことなるが、読本の戦闘場面の一般法則は共通する。三馬・京伝・馬琴らの読本を分析した結果、読本の戦闘場面には白話小説の影響は小さく、歌舞伎と軍記の影響が強いとわかった。読本に漢語が多いのは確かであり、実際に白話小説の語彙が読本の戦闘場面にも使われている。しかし、内容面では白話小説とは大きく隔たりがある。中国では戦闘場面は打撃を中心に構成されているのに対し、日本では柔術・捕縛術・相撲などの発達の影響もあって、組み合っての格闘が必須となっている。戦闘場面の様式は、日本の戦闘様式に即している。そのため、軍記で用いられた言葉や、場面の描き方が、読本にも流用されている。また、宙返りなど歌舞伎同様の動きが読本でも再現されている。歌舞伎では農具などを武器に見立てて使うが、読本にも多く、歌舞伎の影響が濃いことがうかがえる。三馬の読本のうち、『阿古義物語』は、残酷趣味が目立つ。京伝や馬琴の読本に比べて、実力伯仲の戦いがほとんどなく、強者が弱者をなぶりごろしにする例が多い。目玉であった「大磯十人斬」の場面は、読本の戦闘場面の一般法則から外れる要素が見られ、随筆や講談などの影響が想定される。
三章三節「読本と講談」では、一・二節では考察の対象から除いていた講談と読本との関係を述べた。古い講談の修羅場の語り口と読本の戦闘場面の文体は似ている。講談と読本との文体面での類縁性は確認できるが、両者のおおもとに軍記があるので、影響関係は不明瞭である。題材においては、読本は講談への供給源となっている。
四章一節「三馬と狂歌」では、三馬の狂歌を扱った。三馬の狂歌の活動は、享和三年を境に二期に分けられる。前期は、三陀羅連の一員としての狂歌活動からはじまり、一般の愛好者、投稿者として狂歌活動を行った。後期は、職業的戯作者としての狂歌の活動である。扇子や団扇への揮毫、あるいは自ら経営する薬店の宣伝といった金銭と関わりのある場面で狂歌を利用した。また、三馬は自ら三馬連ともいうべき組織を作り、戯作の指導にあたったが、この三馬連の結束は、狂歌を通じてのものだった。三馬の戯作の中で、弟子たちが狂歌とともにお披露目され、弟子たちの戯作には三馬の印と狂歌が載りお墨付きを与えた。こうした狂歌を通じた組織作りの発想を与え、また職業的戯作者として狂歌を詠むことの自覚をうながしたものとして『狂歌觿』の存在がある。『狂歌觿』には「戯作者之部」が設けられるが、三馬はみずからをそこに含めることで、扇子や団扇への揮毫を求められる戯作者という立場の有名人であることを宣伝したのである。戯作者にとっての狂歌の意義について、戯作者の戯作の縮小版として狂歌が受け入れられたのではないかと考えた。
四章二節「三馬の狂文」では、三馬の狂文を報條文・賛・序の三つに分け、狂文の表現手法と俗語使用の型をあきらかにした。狂文は興趣のある文章を書くという点で、戯作と分離されるものではない。狂文の表現手法が、戯作の風景描写に活用されることもある。戯作の顔でありながら、独立して鑑賞できる序の形の狂文は、戯作の縮小版といえる。狂文とそれに附された狂歌の関係を見れば、狂歌は狂文を、より小さくしたものだといえる。よって、戯作の縮小版として、狂歌と狂文があったといえる。
以上のように、本論文では、前後の時代の作品との比較や、他分野の芸術との交流を重視しつつ、三馬の著述を中心に調査した。それにより、戯作の価値が総合的に把握でき、とくに三馬の著述の特徴が明確になった。また、三馬の著述への考察を用いて、戯作者の近世社会における位置づけが解明できた。

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