近世の内水面舟運と社会構造

永原 健彦

本稿は、近世日本の流通に大きな役割を果たした内水面舟運について、検討を試みるものである。内水面舟運史研究といえば、渡辺信夫氏による、近世交通史研究は「交通制度というわく内」で進められてきた、との指摘がすぐに想起されるが、本稿も基本的に、渡辺氏の問題意識に立脚している。
そこで、内水面舟運史研究に大きな成果を挙げた川名登氏・丹治健藏氏の業績を簡単に振り返っておきたい。丹治氏の研究は、新道・新河岸争論と呼ばれる運輸機構の対立と、幕府・藩という公権力による川舟統制の分析が大きな柱となっている。前者は「領主的特権的運輸機構と農民的運輸機構の対抗、及び後者による前者の圧倒」という古島シェーマの適用により水運構造の変容を明らかにした点で、後者は幕藩体制下での河川水運機構を把握するために必要な制度を明らかにした点で評価できるものである。また川名氏のそれは、河岸の成立過程や、河岸を構成する諸要素、具体的には河岸問屋・船持などの基本的な姿、さらには幕府の流通統制政策を明らかにした点が重要であろう。すなわち、これらの先行研究には、渡辺氏の指摘がそのまま当てはまるように思われる。
では、河岸の基本事項を明らかにした先行研究の成果を踏まえた上で、さらに渡辺氏の指摘を越えて内水面舟運史研究を進展させるには、いかなる視点が必要となるだろうか。
それには舟運と隣接する諸分野史との接合が不可欠である。
第一に、村落史研究があげられる。内水面舟運の中心となる「河岸」は、それだけが単独で存在するわけではなく、多くは村落に、そして一部は在方町や城下町などの都市に属している。先行研究によって明らかにされた舟運の機能が村に存在することは、河岸を抱える村などにどのような意味を持っていたのか。あるいは舟運に従事する者にとって、村はどういう意味を持ったのか。こうした問を考える際に念頭に置いているのは、渡辺尚志氏や大塚英二氏などによる「村落共同体」に関する研究である。大きくまとめていえば「村が小前百姓を保障する」という視点といえよう。実を言えば、こうした視点は既に陸上交通史研究で導入されている。岩田浩太郎氏の「船越慣行」に関する研究や、いわゆる「交通村落」の研究を行った原直史氏の研究などに代表されるものがそれである。それらに学び、同様に「共同体」という視座を内水面舟運史研究に導入することによって、狭い意味での舟運構造研究(ほぼ河岸問屋研究と同義)から脱却することを目指すことになる。
第二に政治史・藩政史との関連も考える必要があろう。周知の如く舟運機構は、領主的需要を満たすために整備された。先行研究でも、幕府による川船支配機構の整備の経過などが明らかにされてきた。しかし中後期になると、商品経済の発達にともなって、その重心が移ったと通説的に語られるためか、舟運と幕藩権力の関係が研究課題とされることはなかった。近世後期に藩専売制が展開される時期における両者の関係性は言うに及ばず、それ以前においても、不断に大量の領主米が輸送されており、幕藩権力が舟運に興味を持っていないはずがない。その時々の権力の意図が、どのように舟運社会を動かしたのか、あるいは舟運社会側が権力の意図をどのように利用したのかを考えることには意味があろう。
幕藩権力との関わりと同時に、第三の局面として、商業流通史・都市史との関連も大きい。経済発展によって商人荷物が増大するという点は無論だが、比較の問題だが安定的に舟運に「供給」される領主荷物と違い、商人荷物は増減の幅が大きいという特徴がある。それは、商業経営が不安定であるという本質的な面ととともに、商人荷主は、より有利な輸送方法を可能な限り選択しようとするからでもあろう。つまり舟運社会は、常に商人荷主(荷物)の獲得をめぐって競争にさらされており、いわば経営努力を求められていたのである。それは、究極的には「いかにより安い運賃を提示するか」という点に帰着するが、それ以外に商業の存在を挙げることができよう。
近年、こうしたテーマに取り組み成果を挙げている人物として、塚田孝氏・杉森玲子氏吉田伸之氏らの名前を挙げることができる。塚田氏は、問屋には荷受問屋と仕入問屋(仲買商人)の二種類があり、しかも両者は全く別の存在であることを指摘し、商人把握を大きく進展させた。それをうけた杉森・吉田両氏は、ともに上野国の在方市を分析し、近世初期の市場・商人像を描き出したが、両者の結論はやや異なるものであった。概括していえば、市場の主体は商人か、町屋敷を所持する商人か、ということが論点であろう。一連の研究が本稿にとって重要な意味を持つのは、それらが、市場による売買を分析し、さらに同時に市場外売買の存在・形成を見通している点である。杉森氏は問屋的機能を持つにいたったと考えられる「商人宿」の存在を指摘し、吉田氏は市場売買を嫌う豪商農らの動向を示唆している。これらを舟運史研究に引きつけてみると、舟運が必要とする荷物を、当初は市場が集め、やがて「商人」が市場外売買を展開しつつ確保していく様と重ね見ることができよう。そしてさらに言えば、そうして市場の問屋的機能を吸収した商人たちが、舟運社会の中核を担っていくことになるのである。
このように内水面舟運史に隣接する多くの研究分野の研究状況を踏まえれば、様々なアプローチが可能である。本来ならば、一つの河岸に対して様々な迫り方をするのが望ましいが、史料的制約からそれは難しい。いくつかの河岸をとりあげ、それぞれの視角でもって分析し、総体として新しい内水面舟運像を描くことを目指した。
右のような問題意識から、本稿は次のような構成をとっている。
本稿では、第一編で利根川中流域に存在する河岸をとりあげ、舟運社会の中核的存在とされる要素を検討した。第一章では、先行研究でも幾度もとりあげられた境河岸の河岸問屋が、いかにしてその地位を確立していったか。河岸問屋、船持それぞれの船稼ぎの内容に着目して明らかにした。第二章は、基本的に河岸問屋が荷物を水面に送り出す局面で機能するのに対し、荷物を陸に揚げる局面で機能する荷宿を検討した。河岸問屋・船持以外で、舟運社会に重要な位置を占めていた要素を可能な限り明らかにすることを目指した。
第二編の三~五章はすべて佐原村に関する分析である。佐原河岸という大規模な河岸は、なぜ大規模たりえたのか。その舟運秩序・舟運社会がどのように形成され、維持するためにどのような努力が払われたのか。河岸に荷物を集める市場や、舟運を側面から支える商人仲間に着目して明らかにした。
第三編は、幕藩権力との関係を問うた。第六章では、今まであまり扱われることのなかった城下町内部の河岸が、在方の多くの河岸とどのような異同があるのか、古河を事例に分析する。第七章は、国産政策との関連を見るものである。水戸藩が展開する国産政策を北浦の河岸がどのように利用しようとしたか、可能な限り迫った。
以上のような行論によって、近世の内水面舟運に関して新たに提示しえたことは、まとめていえば、舟運構造の時間的変化である。それぞれの河岸にはそれぞれ固有の舟運構造がある。それらは近世初頭から無条件に付与されているものではなく、それぞれの構成要素の努力によって形成・維持・変容されるものである。従来あまり明らかにされなかった、こうしたいわば舟運秩序の形成過程、そしてそれへの諸構成要素の主体的関与を明らかにできたと考える。
もちろん、舟運社会構造の全てを明らかにできたわけではない。とりわけ、多くの積荷の目的地である江戸市場との関連、江戸商人の意向の影響について言及できていない。

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