本論文の課題は、20世紀において東アジアで展開されたコリアンの越境・メディア・故郷の再生をネットワークとして捉え、朝鮮半島をはじめ、日本、中国東北部、極東ロシアの沿海州とサハリンというさまざまな地域における移動と定住、そしてアイデンティティの諸相を考察することで、コリアン系のネットワークをあぶりだすことにある。独立運動=朝鮮半島中心主義的な枠組みから距離をおき、歴史のなかに存在した帝国における在外朝鮮人の越境的な実践に光を当てると、そこにはコリアンのネットワークが形成されていたことが浮び上がってくる。
そこで本論文は、ネットワークという方法概念を通じてコリアン系のマイノリティの多層的な歴史的位相を明らかにする。そのために、歴史軸/ネットワークという本論文の2つの視座を設定した。近年の韓国における「韓民族共同体」の議論は、規範的な実体として実践的に構想されることが多い。しかし本論文は、「共同体」ではなく「ネットワーク」という方法概念から、本国とコリアン・ディアスポラのコミュニケーション的状況を歴史的に接近することになる。それによって実体概念としての韓民族中心主義的な共同体から、東アジアにおける越境的なコリアン系のネットワークへとパラダイムを転換することができ、そうしたネットワークを民族的な意味を超える東アジア地域の脱国家的な実践として見ることができるのである
本論文は2部に分けられる。第1部では「メディアのコリアン・ネットワーク」をテーマにして、観光視察や巡回講演、映画上映会や音楽巡演など、植民地期における各種イベントや新聞、ラジオ、衛星放送などのマスメディア、そしてインターネットなどのコミュニケーション手段にいたるさまざまなメディア領域から、東アジアで越境的に展開したコリアンのネットワークの意味を問いただしてみた。
第2部では、越境する人に焦点を当てた。帝国の崩壊により、国境の線引きによって公式的な移動が制限されながらも、越境する民は非公式なネットワークをとおして国境の統制管理に対抗して生活空間を創造したのである。さらに、冷戦崩壊後、中国朝鮮族や旧ソ連の高麗人社会が、ホスト社会と新しく発見された「故国」との間の緊張がもたらしたエスニック空間のゆらぎのなかで、「故郷」を再生する過程に着目した。
本論文の全体をとおして、コリアン・ディアスポラにおけるさまざまなメディアの領域と人の移動を、歴史と現在から比較対照し、東アジアの空間を重層的に交差するネットワークの視点をもって分析した。それによって、コリアン・ネットワークが歴史的に形成され、20世紀をかけて引き続き存続してきたこと、そしてそれがさまざまなメディアを媒介にしてきたことが確認された。しかし一方では、ディアスポラのコリアンは、それらを取り囲もうとする勢力の狭間でつねに揺れ動いてきたのであるが、だからこそコリアン・ネットワークがある種の政治的・市民的ネットワークとして存在してきたのである。
コリアン・ネットワークは、今後東アジア共同体の政治的・経済的構想に批判的に介入しながら、東アジアの新たな連帯の条件となる開放性と市民性を映し出すことになるだろう。