近松時代浄瑠璃の研究

韓 京子

近松浄瑠璃の作劇法について、趣向と先行芸能・先行作品の摂取・展開という面から考察を行った。
第一部、第一章「近松浄瑠璃における趣向としての歌謡・芸能」。近松の浄瑠璃には、劇中で歌謡が歌われ、芸能が演じられるという類型的な場面が少なからずあり、作品の重要な趣向となっている。例えば、『浄瑠璃物語』の牛若と浄瑠璃姫の出会いの趣向は、出会いの場面を華やかにし、際立たせて印象的なものとし、また、『曽根崎心中』の道行に歌謡「江戸心中三界」をよそ事として用いているように、近松は歌謡に一定の意味を持たせるようになるが、特に、心理描写に応用する例が多く見られる。聞こえてくる背景音楽としてだけではなく、『堀川波皷』では鼓の稽古、『傾城酒呑童子』では舞台開きの演能と、実際の事件の象徴として鼓の音や謡曲、能舞台を効果的に採り入れている、演劇ならではの方法であり、浄瑠璃の心情表現の方法が、舞台上で演じられる演劇として一層発展した、近松の歌謡・芸能利用の巧みな技法であると思われる。
第二章「近松浄瑠璃における滑稽の趣向」。古浄瑠璃においては滑稽の要素は十分に発達しておらず、滑稽を著しく発展させたのは近松であった。登場人物の様子や心理状態などを、謡曲の一部分に重ね合わせて表現することが多く、それが可笑味を出すものとなっていた。また、阿呆役ばかりではなく、敵役や、立役(やつし)の人物造型においても滑稽な要素は重要な役割を果たしていた。例えば、やつしの人物だけでなく、その兄弟も滑稽な要素をもって造型されている。好色のため勘当され、身をやつした人物は、頼りなく不甲斐ないが愛嬌ある明るい饒舌が、一方、その兄弟は機知に富んだ弁舌が、笑いをさそう。そのいずれもが、主君の難を救うための頓知を利かせた饒舌という趣向となっている。
第三章「近松の時代浄瑠璃における心底の趣向」では、心底の趣向を観客をひきつけるための手段としての意外性の追求や、緊張感の高揚、推理小説的興味による複雑な仕組みと意外な解決への技巧的発展という面から考察した。劇的緊張感を高めるために時間的制約が設けられていたり、また、登場人物を一層危機的状況に追いやるための工夫が施されている。悪人として登場していた人物が実は善人であるという設定を用いることで、意外性を持たせたり、さらに謎解きや判じ物など、知的遊戯といえる要素を採り入れ、対立の構図を表している。推理小説的要素は、宗輔などの浄瑠璃においては、劇全体の構想として働いているが、近松の浄瑠璃においては、段と段とを結びつける劇展開のための役割にとどまっており、また、劇中起こった犯罪を悪として追及してはいるが、誠実な人間を描いているため、謎の解決が懺悔によるものとなっている特徴が見られた。
第四章「近松の時代浄瑠璃に描かれた「執着」「執念」」では、近松の時代浄瑠璃に描かれた執着・執念に着目し、それが劇の構想や展開にどのように関わっているのかを時期的な変遷に留意しつつ考察した。
近松は、貞享期の初期作品において、『出世景清』では景清の執念深い復讐心を、『薩摩守忠度』では忠度の「千載集」への入集の執着を描くなど、はやくから登場人物の執念や執着に着目している。宝永期の『用明天皇職人鑑』は、女性に注目して浄瑠璃を構成する方法を模索していた時期の作品であり、「やつし」の構想にその主人公諸岩を支える室君の執愛が結び付けられている。また、正徳期の『嫗山姥』にも「やつし」の構想は引き続き用いられるが、自ら死んで生まれ変わることに解決方法を見出し、結果、執念が転生と結び付くようになる。享保期には、謀反劇が多く描かれるが、その謀反の執念は、もっぱら蘇生・転生という形で描かれるようになる。執着、執念というものを深く掘り下げて描き続けた結果、従来の善悪の区分を超えた、新しい悪が描かれるようになった。善と悪の単純な対立という構図を破ったところに、近松の大きな功績があったといえる。
第二部、第一章「近松浄瑠璃の<十二段物>考察」。十二段物は時代によって様々な変化を見せるが、近松の十二段物の筋立は、一部分だけを抜き出した先行作品とは違って、牛若の鞍馬出から浄瑠璃姫の死までを扱い、そして、既存の吉次や長者の人物像を改め、牛若側の者という色合を強め彼らの活躍の場を拡大していた。それは、近松が十二段物を「牛若の平家討伐の祝言」として描き出すために加えた変化であると思われる。
第二章「『源義経将棊経』の構想」。『源義経将棊経』に登場する鈴木三郎は、『平家物語』や『義経記』などでは、名が出ていてもさしたる活躍がない人物であるが、幸若舞曲『高館』など語り物の世界で増幅され、近松は作中で大活躍する重要な人物として描いている。人物だけではなく、歌謡や芸能の披露の場にも先行芸能を利用しながらも趣向を凝らし、劇の展開に関わるものとしている。『源義経将棊経』は五段組織の劇構成が定着しはじめる早い時期に、劇構成に合せた人物造型が見られるという点で注目される。近松は登場人物の性格として、先行作品に描かれた人物のイメージを一層明確化し、五段組織の各段の性格と対応させることによって、劇構成を整えている。
第三章「浄瑠璃における富士浅間物の展開」では、浄瑠璃における先行作品の利用の一例として、謡曲『富士太鼓』が近世戯曲において、どのように脚色・改変されたのかを考察した。『莠伶人吾妻雛形』(宗輔・丈輔合作)とその改作『粟島譜嫁入雛形』(宗輔・出雲・松洛合作)は、先行作品のようなお家騒動としては描かれず、両作品に関わっている、宗輔の作風である悲観主義的運命劇として、また、作中の人物が秘密を持って行動し、土壇場になって真実を明かすという趣向によって、敵討譚に変化が与えられている。さらに、『粟島譜嫁入雛形』では、出雲(竹本座)の特色が加わり、悲観主義的運命劇だけではなく親子恩愛劇側面も持ち合わせた場面が描かれるという改変が見られた。

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