本研究は、「多民族国家中国」が清朝期の帝国的統治から現代の国民国家へと動く際の、少数民族の統合の問題を歴史的に把握するために、その大きな移行期として設定してうる、第二次世界大戦後の、内モンゴル民族運動に対する国共両党の政策を扱うものである。なぜならば、「内モンゴル問題」は、その戦略上の位置との関係もあって、当該時期の国共両党の政治的抗争の大きな問題の一つとなり、またこの過程で、中共は「新中国の民族政策の基礎となり、モデルとなった」とされる、内モンゴル自治政府の樹立に成功した。その民族区域自治政策は、後「文革」の一時期を除き、今日に至っているからである。
従来の研究は、中共の民族政策については、マルクス・レーニン主義の民族や国家に関する学説との整合性を論ずる、イデオロギー的色彩の濃いものであり、したがって、共産党の政策を歴史的・客観的に捉える研究は相当立ち遅れている状況にある。本研究は、民族区域自治政策を歴史的に捉えようとするものである。その際、中共の政策を内外情勢との密接な相関のなかで分析することを目指した。とりわけ、執権政党である国民党との政治的関係という大状況を重視した。これなしには、共産党の政策に対する理解ができず、この視角をとおしてはじめて揺れ動く現実政治に規定されていた中共の政策の曲折を捉えられることができた。同時に、中共の政策の性格をより一層はっきりさせるために、同じ内モンゴルに対する、執権政党である国民党の政策過程についても、一次史料を駆使して、できるだけ客観的に捉えるよう務めた。
文化にほぼ限定されている、特殊な地方自治である中共の少数民族政策は、曲折がありながら、結局、地方自治のなかで民族問題を解決しようとした国民党との差はさほど大きくはない、と言えよう。