近世南インドにおける国家と社会 −トゥルヴァ朝ヴィジャヤナガラ王国からマイスール王国へ−

太田 信宏

本稿は、イギリス植民地化直前の18世紀末南インドにおける屈指の強国マイソール王国の歴史を中心に、16世紀以降の南インドにおける権力の制度化、集権的行政機構の整備、王権のあり方の変化、それらと相互影響関係にある社会・文化変動を論じる。
第1章トゥルヴァ朝政治体制におけるナーヤカ・宮廷・儀礼では、16世紀前半、南インドほぼ全域を支配したトゥルヴァ朝ヴィジャヤナガラ王国の政治体制の性格を、その土台であるナーヤカ制を中心に論じる。ナーヤカ制とは、軍役・貢納を条件に特定地域を職禄地としてナーヤカに宛がう制度であった。王都居住の義務化や頻繁な職禄地割替など、ナーヤカは王権の強い統制下に置かれた。その一方で、トゥルヴァ朝政治体制は、地方支配と軍事力動員をほぼ全面的に委ねられたナーヤカの個人的力量に依存するところが大きく、王とナーヤカとの間の、さらにはナーヤカと在地有力者との間の個別的人的関連を軸とした権力構造を持ち、王直属の全国的な行政・軍事機構は未発達であった。こうした政治体制の内在的脆弱性を補う形で、王個人の権威を誇示する儀礼的諸装置が発達した。なかでも、ナーヤカが身体的所作を伴って王への敬意を表明する宮廷は、権力の中枢としても機能していた。
第2章トゥルヴァ朝期カーヴェーリ河上流域の在地社会では、16世紀の在地社会構造とそこでのナーヤカ職禄地運営のあり方を論じる。従来のナードゥ地域共同体が解体・弛緩した14世紀後半以降、個人としての有力者が勃興し、彼らを人的中核とする超村落結合が形成されつつあった。トゥルヴァ朝期は、こうした在地社会構造の転換期の最終局面にあたり、新興在地有力者層はナーヤカ職禄地運営への協力を通じて、自らの権力基盤を強化した。
第3章マイスール家による王朝建設では、まず、トゥルヴァ朝期に続くアーラヴィードゥ朝期のカーヴェーリ河上流域における在地有力者層の動向に着目する。次に、マイスール家を盟主として階層的結集を遂げた在地有力者層がナーヤカ権力を打倒して建国したマイスール王国の政治体制の性格を論じる。初期のマイスール王国は在地有力者連合政権としての性格をもち、王直属の行政・軍事組織のある程度の発達が見られたものの、在地有力者が自立的に支配権を行使する広大な世襲家領が存在した。また、宮廷などの儀礼的諸装置によって王個人を権威付ける手法の点で、トゥルヴァ朝と共通する性格を持っていた。
第4章集権的政治体制の構築では、17世紀後半、マイスール王国における集権化を論じる。在地有力者層は王家を中心としたアラス=ジャーティ集団に再編成され、世襲家領の大部分の接収と王都居住の強制によって土着性を断ち切られた彼らの権力はほぼ完全に王権に吸収された。また、集権的な行政機構の整備と並んで、合理的な徴税行政の基礎となる検地が全国規模で行われた。軍事面では、戦闘に専従する常備軍が組織され、季節的制約にとらわれない長期的な軍事作戦が可能となった。
第5章「儀礼的王権」の変貌では、集権化と支配の制度化に随伴した、王権の権威付け・正当化の次元での変化を論じる。それまでの王個人の姿を公開する儀礼的諸装置は衰退し、反対に王の姿は隠匿・神秘化されるようになった。権力中枢でもあった宮廷は、脱政治化されて行政機構の一部門により維持されるところとなった。王の存在を人びとに知らしめ、その権威を確立するために行われていた「逸脱」的な振る舞いや過剰なまでの武威・財威の誇示が批判的に見直され、「正統的」価値体系が再発見された。理念的なヴァルナのモデルが現実の政治社会体制を整序するイデオロギーとして利用され、王国外にあるヒンドゥー大伝統の大霊場とのつながりがより重視されるようになった。
第6章18世紀における展開では、18世紀マイスール王国において、国政の実権が王個人の手を離れ、軍事・行政両面で活躍するようになった他地域出身者と旧来の支配エリートであるアラスとの軋轢がときに政治問題化したものの、集権的政治体制に根本的な動揺が見られなかったことを確認する。また、17世紀後半、マイスール王はムガル皇帝権威を承認したが、ムガル皇帝権力が衰退した18世紀においてもこの点は変わらなかった。
マイスール王国史において典型的に見られるように、インド史上の17・18世紀は、地域政権レベルでの政治支配の集権化、ムガル皇帝権威を中心とするインド世界の理念的政治統合とともに、社会のより広範な層への「伝統的」価値体系の浸透によって特徴付けられる。近年、植民地期インド社会秩序の「擬似伝統」的性格が指摘されている。植民地権力と結びついた知的体系・言説(「オリエンタリズム」)の影響は否定できないが、植民地支配とは無関係に「伝統化」は進展していたのであり、「オリエンタリズム」はその潮流の影響下に形成され、それを後押ししたにすぎないとも言える。

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