本論文の内容を、以下、その構成に従って述べていきたい。
第一篇第一章「永明延寿伝記の研究」では、主に『宗鏡録』の著者である永明延寿(904-975)をめぐるさまざまな問題について考察した。まず、本章第一節では、複数の永明延寿の伝記について、可能な限り詳しく分析し検討した。それに際しては、各伝記の比較表を作成し、代表的な史伝を選んで論述したり、現代の研究成果を参考にしたりしながら、延寿の全体像を究明することを目指した。
第二篇第一章「現存著作に対する検討」では、延寿の著作群について考察した。著者は延寿の現存している著作に目を通すことを作業の中心に据えながらも、できるだけ多くの先行研究を参考にし、延寿の新しい著作一覧表を提示して、議論を進めた。その検討の結果、延寿の思想の多面性が浮かび上がってきたが、彼に対する研究を進めるに際しては、全体的な視座から注意が払われるべきことを改めて痛感させられた。
第二篇第二章「『宗鏡録』について」では、延寿の主著と言われる『宗鏡録』をめぐるさまざまな問題について論議し、『宗鏡録』の全容を解明することを目標とした。本章において『宗鏡録』の書誌学上の問題、例えばその略本、節本などについても考察を加えた。ほかに、『宗鏡録』の成立に関連する三つの問題--(1)編纂協力者、(2)編纂の場所、(3)編纂の時期、を考察した。この三つの問題を明らかにすることによって、延寿の思想形成過程における『宗鏡録』の位置付けが浮かび上がってくるからである。
第三篇「永明延寿の思想」では、主に『宗鏡録』に現われた思想について議論した。その第一章「『宗鏡録』の構成について」で、この著作の構造と宗旨について述べ、さらに第二章「永明延寿の思想的諸問題」では『宗鏡録』に現われている延寿の三教観・戒律観・懺悔観・禅宗観及び心思想を抽出し、『宗鏡録』の内容を究明していく一つの端緒とした。まず、第一節「三教観」では、中国仏教史の観点から、仏・儒・道の三教交渉の歴史を概観し、延寿が儒道二教に言及する例に検討を加えた。
第二節「戒律観」では、延寿が『受菩薩戒法』及び『垂誡』という書物を撰述し、また天台山で菩薩戒を授けたことも確実であるから、戒律を延寿はどのように理解して実践していたのか、考察した。その結果、延寿の戒律観の特質は二点に絞られた。即ち、(1)心戒(菩薩戒・仏性戒)を重視し、(2)機根説と結び付けて禅律倶運を主張すること、である。
第三節「懺悔観」は、延寿は法華懺・方等懺を実践しており、諸著作に「懺悔」及びその相関用語が見られ、しかも戒律を破ればその救済措置である懺悔法も必要となるので、懺悔について検討した。その結果は、(1)延寿の懺悔説は天台宗、特に智の懺悔説に強く影響されていた、(2)妙覚位に到達した者以外は全て懺悔の実践者と想定されている、などである。これを通じて、思想・理論を重視する一方、実践・修行も軽視しない延寿の厳しい姿勢が浮かび上がってきた。
第四節「禅宗観」では、延寿の教判、禅宗に対する位置づけ、禅宗の法統説という三つの方向から考察し、その結果、永明延寿の思想の一側面、つまり禅宗に影響された部分を、浄土法門を実践する一面と同じように、重視すべきことが明らかになった。そして、延寿が全体的な視点に立ち、禅宗全体、さらには仏教全体の動向を最も重視していたことも明らかとなった。
第五節「延寿の心思想」では、(1)中国古典における「心」思想、(2)延寿と中国古典の「心」思想との繋がり、(3)延寿の心をめぐる基本的立場の三方向から、延寿の心思想の探求を試みた。中国における思想の流れと哲学的概念の変化に注意しながら、延寿の心思想の背景に光を当てようとしたが、多種多様な主張をすべて「一心」という概念の下に包摂し、体系化せんとする延寿の全体像を明らかにすることに成功したとは言い難く、今後に大きな課題を残すこととなった。