中世ジェノヴァ商人の「家」

安西(亀長) 洋子

中世ジェノヴァ商人は、東西地中海世界、さらには北海・黒海沿岸まで足をむけ華々しい活動を展開した。本博士論文は、そうしたジェノヴァ商人の活動を、商業活動と都市生活の両面から論じたものである。論じるにさいしては、商業活動と都市生活という二つの分野を結びつけうるものとしての「ひと」、中でも「家」を軸にした人的結合と「家」の発展、という視角から議論を展開した。

博士論文は、序論、第一部、第二部、結論からなる。序論では、全体的な問題提起に続けて、商業活動と都市生活のそれぞれについて、研究動向や課題を論じた。
第一部は中世盛期、第二部は中世後期を扱った。第一部、第二部とも、前述の商業活動と都市生活の二つについて、該当時期に「家」としての発展を見たひとつの「家」を対象とした。

第一部では、主に公証人文書をもとにストレイアポルコ・ネピテッラ「家」という商人の「家」の構造を論じた。この「家」の最も顕著な特徴は、商業活動におけるこの「家」内部の統合力の強さである。コンメンダ等の投資活動を行うにあたっての事業相手の選択にさいし、「家」構成員を優先するかどうか、に関しては、この「家」の場合、商業活動において、「家」とは最優先される事業相手であった。さらに彼らは主に自分達の家の周辺で契約を行い、また多くの時間行動を共にし、お互いの活動内容を把握し監視していたのである。女性も、その投資活動に「家」の監視が働くものの、「家」中心に活動を行うこの「家」では自国に残る人ならではの役割を担っていた。こうした「家」内部の結合の強さに対し、この「家」と、姻族をも含む「家」外の人物との関係は、小数の特定個人とその小家族とは非常に緊密な関係を維持しているものの、一般的には希薄であった。

こうした「家」内部の結合の強さは、この「家」の発展の上重要であった。12世紀には地区での政治力を有していなかったストレイアポルコ・ネピテッラ「家」は、12世紀末から13世紀初頭、投資階層が広がり、人々が多様な相手と一時的な契約に熱中している間も、「家」内部の人間を率先して活用し、「家」中心の活動を行い、「家」内での優劣を明確にしつつ「家」内部に富を蓄積した。その結果、13世紀中葉には、ストレイアポルコ・ネピテッラ「家」のうち、より多くの資本を形成したストレイアポルコ家は、地区の有力者にまで自分達の地位を上昇させたのである。中世盛期という時代背景のなか、「家」中心の動きのなかにも、その中での分化が同時に進行しており、人的結合のヨコのつながりが、一方の家門の地位の上昇という、通時的な発展へとつながった事例としてこの「家」はとらえられた。

第二部では、14世紀中盤からその地位を向上させたロメッリーニ「家」の事例を通じて、さまざまな角度から人的結合と「家」の発展にまつわる諸問題を分析した。

人的結合の最大の特徴は、この「家」の商業活動、および都市生活では、ナポレオーネ・ロメッリーニの子供達は、彼らの間での人的結合を最も重視していた点である。商業活動では、全体的傾向に加え、procuratorの任命や、コルシカやエルバでの特殊な事業は、その最たる事例である。また都市生活においても、利息の受取人や遺言の動向からその点が顕著になる。

「ナポレオーネ・ロメッリーニの子孫」という結合が彼らの中軸にあるとして、その周辺にあって、彼らの結合を補完した人物としては、今回の分析では、何人か、特徴的な動きを示す人物がみられた。番頭的存在である人物、兄弟の事業全体を理解している書記ともいえる公証人、広域担当者、親密な事業相手であり姻族でもあった他家人物、植民先の有力な「家」で姻族でもあった人物、ライヴァル都市の有力な「家」などが確認された。

こうした状況下、「ロメッリーニ「家」」という枠組みは、必ずしも重視されていたわけではなかった。ただし、全く「家」というまとまりがなかったわけではない。「家」が現れるのは、証人のように隣人としての機能にもとづくもの、コンメンダのような「家」内の有力者の子孫との提携、イベリア半島への進出のような一部の事業、そして、遺言や墓碑での指示にみられたような、「永遠」を求める行為を考えたときの、末端の単位としてである。ナポレオーネ・ロメッリーニとその子供達にとって、「家」というのは、上記のような場合にのみ見られるゆるやかな結合単位として存在していた。

こうした結合状況は、「家」の発展上大きな影響を与えていた。ロメッリーニ「家」では14世紀後半から顕著になる有力貴族との婚姻を維持しその身分を洗練する一方、「家」内部の階層分化も進みつつあった。そうしたなか、富者である父をもったナポレオーネ・ロメッリーニの息子達は、兄弟中心で諸活動をすすめるうち、「家」内での地位も高め、さらにヴィスコンティとの出会いによりその政治的地位をも高めていった。こうした一連の動きのなか、彼らのなかには、ナポレオーネ・ロメッリーニの子孫、との意識が明確になり、新たな家門意識を次代に伝えていくことになる。

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