本稿では、日本中世の流通における諸事象の検討を通じて、中世流通と商業の実態に迫り、近世への展望について述べた。私たちが、「流通」という語を用いる時、それは一般に「品物が生産者から消費者へ渡ること」の意味で用いている。流通に関わるのは、小売業・卸売業だけではなく、物が生産され、消費されるまでの過程の大部分は流通が担っている。諸産業は流通の上に成り立っており、過去の歴史的社会を分析する際にも流通への視点は重視されねばならない。

日本中世史研究における「流通」に直接関わるものとしては、「品物の運ばれる通路」を研究する交通史、「品物を運ぶ人々」を研究する商業史がある。交通史研究では、徴税の機関としての関所の研究を進めた相田二郎氏、水上交通についての全体的な見通しを立てられた徳田釼一氏、宗教と交通との関わりを重視した新城常三氏の論が出されている。

また商業史では、京都・奈良の市や座を研究された小野晃嗣氏、商業史全体を全国的・流通時代的な史料の蒐集で論じた豊田武氏、首都市場圏の成立を描いた脇田晴子氏、荘園関係の史料から経済・商業像を導かれた佐々木銀弥氏の研究があった。そこに登場した網野善彦氏の「非農業民」「無縁」論によって、商業史が「都市」という場を意識して進められ、一方で地域経済圏について論じる論考も増えてきた。その前提の下で、桜井英治氏の市場・商人組織の構造の研究が行われている。

このような交通史・商業史の研究のあり方を踏まえた上で、本稿では、主として海からの視点に基づいて流通を論じた。

交通を主とする第一部では、相田氏の提起に従い「ある通路」を解明するために、その場におかれた“関”に着目する。しかし、そこでは在地への視点、あるいはものの動きなどにも焦点をあてて検討を進め、全体像を掌握する。その上で近江の道、そして伊勢・東国の水上関を具体的に検討し、道の支配や航路の存在などを明らかにする。第二部では「品物」を動かした主体として“問(丸)”に注目した。問丸こそ、港町に存在する商人の代表であり、問丸の検討によって海路・陸路両方の流通を検討するだけでなく、港町の構造までもを視野に入れることが出来るからである。問丸は廻船人、馬借、津の商人など流通の様々な分野に携わる人々を含んでいた。そして楽座令による禁止後、集団的商業から個人的商業への商業の担い手の変化によって解体するのである。

第三部では、経済用語としての流通の根幹を為す貨幣あるいは貨幣代用物に関わる問題-代銭納・現物納の問題と割符について検討した。一般に代銭納から現物納への変化については知られているが、一部には再び現物納になった例が見られる。現在の手形の前段階ともいえる割符には、流通型の割符とオーダーメード型の割符があった。これらの存在には、当時の貨幣への信頼感という問題があったと考えられる。

以上をふまえて、最後に流通過程が江戸時代に向けてどのように変化して行ったかを商人の動きから検討した。注目したのは越前の馬借頭に関わる史料と各地の商人司に関わる史料である。そこには、戦国大名や織豊政権が従来統一的に把握されていなかった商業・流通を掌握しようとした姿勢が見られた。楽市楽座もその一貫だったのである。