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科挙 班2008年度第2回研究集会 「元明時代の寧波士人社会」




共催:科学研究費基盤研究B「中国社会へのモンゴル帝国による重層的支配の研究 元朝史料学の新展開をめざして」
日時:2008年12月7日(日) 午後1時~5時
会場:明治大学研究棟4階第3会議室
参加者:20名 (内特定領域分担参加者6名 研究協力者1名)
 
プログラム:
  趣旨説明

  〔報告1〕13:10-14:30 
    党宝海(北京大学)   通訳:吉野正史(早稲田大学)
  「元代江南儒学与権豪-以学田訴訟案為中心」

  〔報告2〕14:50-15:30 
    森田憲司(奈良大学、科挙班)
  「元代士大夫史料として見た天一閣登科録  天一閣登科禄は「使える」か?」  
 コメンテーター:櫻井智美(明治大学、科挙班)

  〔報告3〕15:40-16:10 
    鶴成久章(福岡教育大学、科挙班)
  「范欽と天一閣の登科録」
 コメンテーター:近藤一成(早稲田大学、科挙班) 
  
   総合討論 16:20-17:00
 

報告要旨:

◇報告1:党宝海(北京大学)
   「元代江南儒学与権豪-以学田訴訟案為 中心」
 現在、寧波天一閣碑林に現存する元の「慶元路学洋山砂岸復業公据」碑、および『江蘇通志稿』に収録されている鎮江 路儒学丹徒県胡鼻庄学田訴訟関係石刻4本(延祐2年鎮江路総管府指揮、延祐3年中書省札付、延祐4年鎮江路儒学復田記、延祐4年鎮江路儒学復胡鼻庄田本 末)の読解と精緻な分析を通して、それぞれの学田訴訟の経過と結果を復元した。その結果、慶元路と鎮江路両学の学田訴訟が対照的な経過をたどったことが明 らかとなり、その背景には元の両地支配勢力である慶元の沂王府、鎮江の鎮南王の地域支配の差異、それに連動する各儒生の対応の違いが想定されるとした。従 来非常に研究蓄積の少ない、元朝江南支配の実態の解明に踏み込む貴重な報告であった。
 
◇報告2:森田憲司(奈良大学)
   「元代士大夫史料として見た天一閣登科 録 天一閣登科録は「使える」か?」
 一昨年より天一閣蔵登科録が明代科挙録選刊として影印出版され始めた。現段階では登科録、会試録が出版されている が、それら、とくに殿試登科録を歴史史料として利用しようとする場合の問題点を考察した。全体の問題として、影印といいながら版心の同一箇所に同じ傷跡が 全篇わたり認められるのは何故かなど、影印作業が果たして忠実な影印なのかとの疑問が提起された。また元朝科挙や官僚研究の史料とした場合、祖先三代の記 事を元の記録と照合すると一致しない事例が多く、記述事項を無批判に使用することはできないとして、登科録とは何かという根本問題を提起した。
 
◇報告3:鶴成久章(福岡教育大学)
   「范欽と天一閣の登科録」
 森田報告を承け、鶴成報告では天一閣蔵登科録の全体を分析した。まず范欽の生涯とかれの蔵書の特色を述べ、地方志 と登科録の収集という他の蔵書家にはみられない顕著な傾向を指摘し、とくに天一閣蔵は現存明代登科録の8割を占め、かつその9割が弧本であり、その重要性 が強調されるとともに彼の収書方法が検証された。また萬暦十一年を最後として范欽没後の登科録がみえないことは、収書方針がかれ個人のもので子孫には継承 されなかったことを物語る。一方、明初の洪武・永楽年間の登科録が、洪武四年を除き一切みえないことは、既に范欽の時代にそれらが残存していなかったこと を示す。これは明初の政治動向と密接に連動していると推測され興味深い。その後の蔵書散逸の経過も報告され、天一閣蔵登科録の全体像が提示された。
(文責:近藤一成)
【関連書籍】
『元代知識 人と地域社会』(2004年2月刊)
『宋代 中国科挙社会の研究』(2009年2月刊行)

【これまでの関連活動】
2006 年中国社会文化学会大会シンポジウム「科挙からみた東アジア―科挙社会と科挙文化」〔プログラム〕(2006/7/9)
科挙班 2007年度研究集会「科挙制度からみた寧波士人社会の形成と展開」(2007/12/22)
科挙班 2008年度第1回研究集会「宋元交替期の明州慶元士人社会」(2008/8/18)
 
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