- 日時:2008年1月12日(土)9時50分~17時30分
- 会場:広島市女性教育センター(旧婦人教育会館)4F
- プログラム
-
- 司会 八尾隆生(やお・たかお 広島大学)
- 開会の挨拶:山本英史(やまもと・えいし 慶應義塾大学)
- 報告1:山本英史
- 「清初における浙江沿海地方の秩序形成と地方官統治」
- 報告2:三木聡(みき・さとし 北海道大学)
- 「明末清初の福建における地方統治官と海域世界-判牘史料の有用性-」
- 報告3:渡辺美季(わたなべ・みき 日本学術振興会特別研究員)
- 「近世琉球の『地方官』覚書」
- 報告4:菅谷成子(すがや・しげこ 愛媛大学)
- 「スペイン領フィリピンにおける中国人統治-18世紀を中心に」
- 報告5:嶋尾稔(しまお・みのる 慶應義塾大学)
- 「嗣徳元年(1848)中越国境地帯沿海部の「死体遺棄?」事件と地方官」
- 報告6:武内房司(たけうち・ふさじ 学習院大学)
- 「地方官と辺疆行政~18・19世紀雲南・ヴェトナム国境地域を中心に」
- 総合討論
- 懇親会
- 参加者:28名
-
- 我々の研究班では、東アジアの中核で形成された地方統治の規範が周辺各地にどのように普及し、それぞれの地域形成の現場においていかに実現されたか、またはされなかったかを問うことを共通の課題とし、それを果たすため各地の地方統治官の書き残した記録、地方政治の関わる文書、地方統治のマニュアル類を検討する作業をこれまで進めてきた。今回実施したワークショップ「東アジア海域の地方統治」においては、班員各自がこれまで独自に進めてきた研究内容を公表し、その成果を問うとともに、全体としてとりわけ「東アジア海域」に焦点を当て、様々な地方統治の実態を比較検討することでそれぞれの地域における地方統治の共通性と相違性を明らかにすることを目的とした。
- 山本は、地方統治のコア地域として設定した寧波とその周辺地域を対象に、清初すなわち17世紀後半における沿海都市における秩序形成のあり方について一つのモデルを提供した。清朝は鄭氏勢力への対抗措置として沿海都市に対して海禁政策を実施し、それは鄭氏が清朝に降伏する1684年にまで及んだ。本報告は、海禁施行の影響下における地域社会の秩序管理、なかでも「棍徒(地棍・流棍)」と呼ばれる無頼の統制のあり方の検討を通して清朝の沿海地域支配の現場を担当した地方統治官の行政における規範の普及と現実を明らかにした。
- 三木は、明末清初の華南福建を対象に地方統治官と海域世界との葛藤の一端を、判牘という裁判史料を通して明らかにすることを試みた。そこでは福建山区である汀州と沿海の福州との間には流通のみならず人的ネットワークが形成され、それが汀州社会において訴訟が盛んな状況に少なからず影響を与えていたこと、漳州では沿海地方の住民が海寇に拉致され、「従賊」化している事実が多かったこと、拉致家族の葬儀負担を巡る保証金が存在していたこと、などの新事実を抽出し、福建地方統治官と海域世界を論じるにあたって判牘史料の有用性を強調した。
- 渡辺は、まず近世琉球の役職の中から①「地方官」に相当するもの-すなわち本島の地方(じかた)へ派遣される諸浦在番と久米島に派遣される久米島在番、本島各地へ派遣される下知役・検者、宮古・八重山に派遣される先島在番-を抽出・分類した上で、それぞれの性格を概観・比較した。次に②地方行政へ間接的な影響力を持つ地頭層(=上級士族)、および③王府行政の末端に組み込まれた地方役人層(=農民)と地方官との関わりについて概観した。そして「地方官」研究という切り口がこれまで殆ど導入されてこなかった近世琉球の歴史において、「地方官」研究というものを行うのであれば、①を主軸に②・③との関わりを考えることであろうと結論づけた。
- 菅谷は、スペイン領フィリピンにおける中国人統治の実態について18世紀を中心に明らかにした。スペインのフィリピン植民地統治はカトリシズムの布教を支配の正統原理とするものであった。すなわちスペイン国王はインディアス(スペインの海外植民地)における国王の教会保護権に基づき、ローマ教皇の世俗世界における代理としてインディアスの住民に福音を伝えることでその教会組織の維持に責任を持った。本報告ではこの原理を中国人住民に適用するに当たっての諸問題とその特徴について明らかにした。
- 嶋尾は、ベトナム阮朝嗣徳年間初期における一地方官(裴輝璠Bui Huy Phan)の事跡を具体的に追跡し、東アジア海域の地方統治の比較研究のための素材を提供することを試みた。本報告では、1840年代に彼が始めて地方官(知州)として、広安省海寧府萬寧州に赴任した時に対処を迫られた中越国境を跨ぐ一つの事件を取り上げ、阮朝の地方統治が一般に清朝の統治モデルに基づくこと、またベトナム山地部との対照で、沿海部国境には19世紀段階では緩衝地帯となる少数民族の統治空間が存在していないことなどを確認した。
- 武内は、18世紀末から19世紀初の雲南南部の都市臨安に赴任した一地方官の統治事例を紹介し、辺疆行政という側面から地方官の地方統治のあり方を検討した。当時、雲南南部からベトナム西北部にかけては鉱山開発が本格化し、華人の国外移住や交易活動も活発化しており、それは同時にベトナム側との間で国境問題を引き起こす要因であった。本報告では、この状況に対応すべく移民を抑制する伝統的なやり方から現地タイ族有力者に一定権限を委譲して彼らを通じて国境を実効管理するやり方へと政策転換がなされたこと、それが植民地期におけるタイ族有力首長台頭の遠因になったことなどを指摘した。
- 今回の報告は、その戦略としてまずは東アジアの海域世界における様々な地方統治の実態を掘り起こし、その具体的なあり方を通して全体を考えようとしたものであり、東アジアの海域統治の全体像の構築や時代性のあり方についての検討は当然今後の課題である。
(文責:山本英史)
|