流動的な境界、制度的隔離、仏教の性的寛容
スワンナー・サターアナン(チュラーロンコーン大学、タイ)

日時:
3月29日(火)9:00〜10:30

主旨:
仏教における区別とは、人的コミュニケーションという一時的な目的のためのものであって、差別の基盤として用いられるべきでない。全ての存在は根源的には相互依存の関係にあるのだという仏教の基本的な考えかた、および輪廻転生による生死を貫く連続性といったものは、アイデンティティや境界という確固たる概念を問題に付す。仏教倫理においては、道徳は一切のものに関わる。それは人間の世界と人間以外のものの世界をひとつの連続体として包摂するのだ。また仏教においては、男女の区別は、一時的で仮のものにすぎず、相互に排他的ではない存在のあり方として捉えられている。これら諸原理によって、仏教社会は、差異は初歩的なもの、アイデンティティは一時的で仮のものと見なす、著しい水準の性的寛容(sexual tolerance)を示してきたのである。

しかしながら、仏教の教団制度、とくにタイの上座仏教サンガは、伝統的に男性のみからなる宗教組織として活動してきた。上座仏教の広まった国々においては、尼僧組織の不在には長い歴史があるが、それは男女の峻別という、性差別と紙一重の状況を作り出してきた。女人禁制の僧侶組織は、信心深い女性仏教徒にとって「功徳を積む場field of merit」なのである。タイ上座仏教における尼僧制度の復活に対する実際的、歴史的、法的な禁止は、宗教実践に対する女性の権利の侵害とみなしうるかもしれない。

本発表が志すのは、性差を性差別の一形態として使用することに反対する哲学的な議論の提示である。仏教における寛容論を一般的に検討した上で、性差の問題における寛容の問題を具体的に論じたい。よく知られた八敬法(尼僧組織が男性僧侶組織の下に「制度的に従属」することを定める)は批判的に検討されることになろう。そして、仏教社会で実践されてきた仏教的な性的寛容は、サンガそのものの内部でも実践されねばならない、と論じられる。


スワンナー・サターアナン(Suwanna SATHA-ANAND)

タイ、チュラロンコーン大学、文学部哲学科助教授。1998年、国際文化会館、国際交流基金共同事業アジア・リーダーシップ・フェロー・プログラムにおいてフェローに選出された。専門は、仏教哲学、中国哲学。タイ語で9冊の単著を発表、またタイ語、英語の双方で多数の論文を執筆。主要著作にViews of Humankind in Eastern Philosophy (Chulalongkorn University Press, 1990; タイ語)、Mahayana Buddhism in Buddhadasa's Philosophy(Chulalongkorn University Press, 1993; タイ語)がある。両書はいずれも上座部仏教、大乗仏教の禅の伝統、中国哲学などを論じる。英語による近年の研究では、現代社会と女性研究における宗教という主題に焦点があてられている。"Truth over Convention: Feminist Interpretations of Buddhism"(Courtney W. Howland [ed.], Religious Fundamentalisms and the Human Rights of Women [New York: St. Martin Press, 1999] )、"Female Ordination and Women's Rights in Buddhism"(Humanitas Asiatica, Dec. 2001)。