【羽黒修験】には神仏習合の古い姿が残っている

修験道は日本古来の山岳信仰が、仏教とくに密教、道教などの影響を受け、中世に形を整えたものである。近世までは神仏習合的色彩が強かったが、明治時代になって、新政府は神仏分離、修験道廃止をおこなった。廃仏毀釈も各地に広がった。

その嵐の中で、羽黒修験も壊滅的な打撃を受けた。一山が神道化してゆくなか、古くからの修験道を堅持したのが、羽黒山の奥の院といわれた荒澤寺であった。




  映画で取り上げた【羽黒山秋の峰】のコスモロジー
山中他界・・・山は、日本人にとっては<田の神>が住まう水源の山であり、死者の魂が集る場所である。この映画の舞台となるのは出羽三山:月山・羽黒山・湯殿山である。修行者は、9日間、山中に身を置いて修行をする。山は、この世と地続きの<他界>である。

胎内修行・・・山は、命を育む母の<胎内>ともみなされる。秋の峰の行は、まず入山前に修行者が自らの<葬式>をおこない、さらにシンボリックな<受胎>の儀礼によって、新しく生命を誕生させる。こうして胎児となった修験者は、籠り行で、<十界>の世界をたどる。
<地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天>という六道輪廻の苦しみの世界を巡った後、山の精霊たちに触れることによって、 さらに四つの悟りの世界に至るのである。

擬死再生・・・新しく宿った命は、山中で<火><音><水>によって浄化され、成長する。
「即身即仏」として満願を迎えた修験者たちは、ウォーと産声をあげて、この世に再び生まれ出る。 羽黒山の秋の峰は、仮に一度死んで、山という母の胎内から再び現世に生まれて来るという修験道の根本思想:<擬死再生><生まれ清まり>を、身をもって体現させるのである。



  この映画のもつ意味

門外不出といわれる「羽黒山荒澤寺」の秘行「秋の峰」の、初の完全記録である。大先達で荒澤寺正善院住職の島津弘海氏が、行の指導者たちの高齢化に直面し、正しく後世に伝えたいと考え、本来の姿を記録しようと考えた。修験は、果たして存続する価値があるのか?と、世に問うことを決心した。

制作は、私的に修行に参加していた映像作家 北村皆雄とその制作会社ヴィジュアルフォークロアがおこなった。 2003年と2004年の「秋の峰」で、その全てを記録した。おそらく、これが最初で最後の映像記録で、今後、撮影のために再び門戸が開かれることはないだろう。

これまでに上映会は、国内では、東京、大阪、酒田、日立、岡山、吉野(金峯山寺)の他、在京の海外研究者を対象に、ドイツ-日本研究所と日仏会館スランス事務所の共催で開催された。

海外では、昨年暮に、ロンドン大学SOAS(アジア・アフリカ研究所)日本宗教研究センターで、年明けには、スコットランドのエジンバラ大学でも上映された。「羽黒修験に神仏習合の形態を残す日本宗教の原型を見た。日本を理解する上で貴重な記録映画である」との評価を得ている。


※ この映画は、英語ナレーション入りで上映されます。