「自己」の現象学―十牛図を手がかりに―
Phenomenology of the 'Self': The Way of the 'True Self' Represented by Ten Images
上田閑照(京都大学)

[ 3月28日 20:00−21:30]

 「十牛図」と呼ばれる禅の小さなテクスト(十二世紀後半中国で成立)がある。十枚の図と各図に添えられた短い漢詩がテクストの主要な部分をなしている。「十牛図」と言われるのは、「真の自己」を求める人間と求めている「真の自己」との関わりを。牛飼いと牛との実地の関わりで示しているからである。

 自分のあり方が本当ではないという自覚から「真の自己」の道が始まる。人間のあり方には、不完全や歪みだけではなく、非人間的になり、悪魔的にすらなる可能性がある。人間は実存的にもともと両義的存在である。実存にかかわる価値の範疇が善悪、迷誤、罪と救いの問題になる所以がある。人間存在には「人間になる」べき課題が含まれており、その際の「なる」は二重になっている。「次第次第になる」evolutionと質的な転換と。

 「十牛図」は、「真の自己」になる歩みにおける七つの段階の様子を描く七枚と、質的な転換によって現れる「真の自己」の三つの姿を描く三枚と、全部で十枚の図からなっている。図による具体的イメージが実践的全身に響くところがあり、禅の道を歩む人たちへのよき導きとなってきた。各図はそれぞれ、その段階そのものの様子を写しながら、同時に全過程のなかでの位置づけが「真の自己」から照らし出されていて、一種の「自己の現象学」となっている。日本でも中世以来よく読まれており、現在では人間存在の構造への実存的関心や「自己実現」の問題に連関して一般にも注目されている。

 「十牛図」が示す「真の自己」の特色は、円相(丸)のなかに何も描かれていない第八図、流れる河と岸辺の花咲く木が描かれている第九図、道で出会う老人と若者が描かれている第十図の三図において際立っている。この三図が「真の自己」の三相としてどのような連関をなすのか。そのような人間の自覚は世界精神史においてどのような位置にあるか。現代、無宗教と宗教の間、異なった宗教間においてどのような意義をもちうるか。