近代日本における宗教と国家
安丸良夫

日時:
3月27日(日)9:00〜12:00

主旨:
近代社会における宗教と国家との関係は、政教分離を前提とする「信教の自由」としてひとまずは規定できよう。近代日本における宗教と国家との関係も、限定つきながらも政教分離と「信教の自由」という二つの原理において捉えうるものだと、私は考える。しかしこの二つの原理は、さまざまの葛藤と妥協や調整によって成立しているものであり、二つの原理は絶えず侵犯されたり曖昧化されたりする。こうして、この二つの原理を葛藤や相克のなかで捉えることによって、私たちは近代日本社会の歴史的変動を展望するための重要な視点を得ることができよう。

近代日本社会は、明治維新をさかいとして、資本主義的世界システムのなかに組み込まれた国民国家として構築され、その正統性原理を国体論的ナショナリズムに求めた。明治維新政権が採用した急進的な神道国教主義は、現実の宗教事情との相克のなかで宗教的には祭祀儀礼としての国家神道へと後退したが、しかしそこに内包されていた国体論は、国民道徳と結びついて国民国家的な公共圏のなかに受容されて、近代日本の正統性原理の中核となった。

こうした形成過程を前提として、近代日本の宗教体系を構造化してみると、つぎのような四つの次元の相互関係として概括できるものと考える。

a)国家神道;皇室神道と神社制度、国家的祭祀体系としての神道
b)公認教;佛教各宗、教派神道、のちにはキリスト教も
c)民俗宗教;習俗的民間信仰、未公認の講や祈祷者・行者、aとbの基底も同じ
d)国体論的ナショナリズム;世俗化された生活規範と社会意識の結合

この四つの次元が妥協や調整を重ねて棲み分けているという前提もとで、社会的な安定が得られる。しかしそうした棲み分けは危ふい均衡で、社会的危機の意識化はそれぞれの次元からの原理主義的一元化として展開する。そのなかでもとりわけ重要なものは、近代日本の正統性原理である国体論的ナショナリズムの宗教的コスモロジーと結びついた急進化・原理主義化にほかならない。



安丸良夫(やすまる よしお)

一橋大学教授として日本思想史を長年担当した後、退職。現在、同大学名誉教授、早稲田大学大学院客員教授(非常勤)。専門は近世から近代にかけての日本民衆史・思想史。この分野の第一人者である。近代化を支えた民衆のエートスを明らかにした著作『日本の近代化と民衆思想』(1974)は、民衆史研究の記念碑として知られる。『近代天皇像の形成』(1992)ではフーコーの思想史、バーガーの社会学の手法を取り入れ、国家と民衆世界との相克を描いた。『岩波講座 日本通史』(全25巻)、『天皇と王権を考える』(2002)等の編者もつとめた。海外でもその評価は高く、キャロク・グラックの編集、英訳による論文集が近日出版予定である。