近代ナショナリズムと仏教
末木文美士

日時:
3月27日(日)9:00〜12:00

主旨:
日本近代の仏教思想の特徴は、理論の合理化=非神話化と見ることができる。それは具体的には、密教批判、神仏分離、葬式仏教否定と現世仏教の確立という点に見ることができる。しかし、そのような表層の思想(上部構造)の合理化は、ただちに仏教全体の近代化を意味するわけではない。むしろその陰に隠れた実態(下部構造)をさらに隠蔽することになった。それは、密教的呪術性であり、神仏補完であり、葬式仏教と死者の管理ということであった。即ち、近代の仏教は、理論として近代的合理性に立った普遍性の確立を求めることにより、実態として機能している民衆の信仰を隠蔽し、それを理論的な問題として正面から取り上げることができなかったということである。天皇ナショナリズムとの関係が十分に問われなかったことも、この隠蔽と関係する。

ところで、仏教によって隠蔽されたこれらの問題を取り込もうとしたのが、近世後期から明治へかけての神道であった。近代の「国家神道」の神道ナショナリズムは、決して単純に上から強制されただけのものではない。そこには、土着の「草の根ナショナリズム」とも言うべきものが掬い上げられている。また、天皇崇拝にしても、従来の神崇拝や生き神信仰の上に、新たな絶対神=現人神が立てられたと見れば、それほど大きな抵抗がなかったのも無理はない。さらに、靖国神社の場合を見れば、仏教が隠蔽した葬式仏教=死者の管理という要素を巧みに取り込み、神道側からの仏教の摂取に成功した。

このような近代日本の神仏の重層構造を、仏教側を主としながら考察し、さらに今日、再び社会構造の変化に伴い、宗教意識も変わろうとしている中で、どのような可能性がありうるか検討したい。



末木文美士(すえき ふみひこ)

東京大学で学ぶ。平成6年、博士号取得。平成7年、東京大学大学院人文社会系研究科教授に就任、仏教(主に日本仏教)を担当し現在に至る。古代から現代に至る日本仏教思想史の再構築を志す。近年はとくに禅思想と近代仏教を中心に研究を進めている。著作に『日本仏教史』(1992)、『日本仏教思想史論考』(1993)、『平安初期仏教思想の研究』(1995)、『鎌倉仏教形成論』(1998)、『近代日本の思想・再考』(2004)などがある。雑誌Japanese Journal of Religious Studies等の雑誌では英語の論文を執筆。ドイツ、中国、フランスなどで客員教授としても活躍する。