文章表現Ⅱクラス  自由テーマの小論文

文化と自己

-キルギスと日本を中心に-

 

言語学  ボロタクーノワ ヌルザット(キルギス)

 

キーワード文化、自己、世間、血縁関係、部族制度、人間関係、個人、絆

はじめに

  我々はある特定の文化に属している。その文化は我々の生まれ育った環境によって異なる。また、文化というものは人間の「自己観」、言い換えれば自分によって認識される自分や自己構造に多大な影響を及ぼしていると考えられる。したがって、文化が異なれば「自己」のあり方も異なると言えよう。本稿では、こうした観点から文化と自己の関係について考察した上で、日本とキルギスの文化・社会制度と自己との関係について詳しい考察を行う。

 

1.文化的自己観 -相互独立性と相互協調性-

 考察に当たって文化の定義を述べておきたい。「文化」という概念には決定的な定義がないが、イギリスの人類学者E・タイラー[1]は次のように述べている。

"Culture and Civilization, taken in its wide ethnographic sense, is that complex whole which includes knowledge, belief, art, morals, law, custom, and any other capabilities and habits acquired by man as a member of society."[2]

訳:「文化あるいは文明とは、そのひろい民族誌学上の意味で理解されているところでは、社会の成員としての人間(man)によって獲得された知識、信条、芸術、法、道徳、慣習や、他のいろいろな能力や習性(habits)を含む複雑な総体である。」[3]

上述したように、「自己」は文化や社会的状況また国や地域によって異なると考えられている。それは、社会心理学では文化的自己観cultural construal of selfと呼ばれる[4]。文化的自己観には相互独立的自己観independent selfと相互協調的自己観interdependent selfがある。自己とは他人や周囲のものごととは区別される独立した存在であるとしている相互独立的自己観に対して、相互協調的自己観による自己は他人や周囲のものごととの結びつき、その関係を重視する存在である。前者は欧米社会、特にアメリカで優勢で、後者は東アジア文化で優勢だとされる。マーカスと北山(1991)はこの二つの自己観を図で示している。次の図をみれば分かるように、相互独立(A)による人間関係は「個人」と「個人」の関係である。すなわち、人は一人の個人として、他の自分のような個人と付き合っていく人間関係のモデルである。一方、相互協調(B)は、人が他人と何らかのつながりで共通の組織に属し、その中での協調的関係を維持することを大切にする人間関係の形である。ここでの組織、集団とは「世間」であると考えられる。2.においてこれについて詳しく述べる。

 

2.日本の社会 -世間-

日本を含む東アジアの文化・社会には「世間」という概念がある。阿部謹也(2004)は世間について次のように述べている。

大人になると、ひとりでに「世間」の中に入っている自分に気がつくのである。会社や役所、大学の学部、興味の集まり、クラブや同窓会などもみな「世間」をなしている。その「世間」は、一人一人の行動を拘束するものであり、日本人は自分の振舞の結果「世間」から排除されることを最も恐れて暮らしている[5]

また、中根千枝(1967)は、世間の中で生きて行くために次の三つの原則を守らなければならないと指摘している。

1.贈与・相互報酬の原則

2.長幼の序

3.共通の時間意識

  まず、贈与・相互報酬の原則とは、人から何かをもらったらいつか必ず返さなければならない、いわゆる「恩返し」のことである。次に、長幼の序というは、目上の人を尊敬しなければならないという意味である。そして、共通の時間意識は、世間の中にいる人はみんな同じ時間を生きているという意識を持っている、ということである。

 

3.キルギス人と血縁関係 -部族制度-

キルギス社会において、日本の「世間」に相当するのは血縁関係である。血縁関係とは、共通の祖先を有している関係、あるいは有しているものと信じられている関係である。キルギスの社会は本来部族から成り、キルギス人は40の部族に分かれ、それらがさらに数多くの一族に枝分かれしている。歴史を遡れば、キルギス kyrgyz の語源は “kyrk”40 “uz”(一族)という言葉から成り立っているという説がある。

キルギスロシアスラヴ大学講師テギズベーコワ(2006)は「部族がその成員一人一人を守り、集団的な責任を負っていたため、キルギス社会では“uruuchuluk”という部族内の連帯概念が強かった」と述べ、部族制度がキルギス人の社会的・経済的・政治的な関係の基本にあったとしているが、この指摘は注目に値する[6]

現代においては、部族に属するという意識が若干弱まってきたように感じられる。血縁関係は、部族・一族がより小さい形になり、祖父・祖母や伯父・伯母等を含む意味での家族内における人間関係をさすことが多い。ただし、家族内での関係は年齢による上下関係であり、年齢の秩序が厳しく守られている。キルギス人の家族内の「自己」の位置づけは図2のように示すことができる。このモデルは家族外の人間関係においても拡張的に用いられる。要するに、キルギス人は同じ血・同じ祖先を有するという強い意識を持っており、それによる血縁関係が社会における人間関係の基本となっているのである。

 

4.おわりに

  以上、文化とは何か、文化が我々の「自己」にどのような影響を与えるのか、について考察した。その上で、日本とキルギスの文化を考察し、結論として、それぞれの文化が人間の「自己」を形作っている要素であることがわかった。また、欧米では「自己」が他人や周りの物事から独立した「個人」という形で認識されるのに対して、アジアの文化では「自己」が他人や周囲の物事と結びつき、その関係を大切にするということが明らかになった。

アジアの文化について語られるとき、集団的な社会制度で「個人」がない、自分の意見や考え方を他人に積極的に訴えられないとよく批判される。もちろん、世間や血縁関係といった人間関係を重視する生活の形は、「個人」・「自己」が拘束されるという欠点を持っているということは拒否できない。しかし、一人で外の世界と闘って生きて行くより、皆一丸となって同じ目的、同じ方向に向かい、お互い助け合いながら生きていくという、人と人の強い絆が非常に大切にされる社会であるのだと言えるであろう。

 

参考文献:

Edward Burnett Tylor, "Primitive Culture" Capter 1 (London: John Murray & Co.,1871, 2 vols.)pp.1-25.; ( 池田光穂)

Markus. H. & Kitayama, S. (1991). Culture and the Self: Implications for cognition, emotion and motivation. Psychological Review

北山忍(1994)「文化的自己観と心理的プロセス」,社会心理研究 103153-167

中根千枝(1967)『タテ社会の人間関係』,講談社

J.Tegizbekova2006“REGIONALIZM AND ITS INFLUENCE ON THE FAMILY AND MARRIAGE RELATIONS OF KYRGYZ IN THE LATE XIX - EARLY XX ENTIRIES” Kyrgyzstan-Russian Slavonic University



[1] E.B.Tylor(1832-1917)

[2] Edward Burnett Tylor, "Primitive Culture" Capter 1. London: John Murray & Co.,1871, 2 vols. pp.1-25

[3] 訳は池田光穂による。

[4] Markus. H. & Kitayama, S. (1991). Culture and the Self: Implications for cognition, emotion and motivation. Psychological Review, 98, 224-253

[5] 阿部謹也(2004)『日本人の歴史意識』,岩波新書

[6] J.Tegizbekova International Law Department Lecturer, Kyrgyzstan-Russian Slavonic University,

Kyrgyzstan, Bishkek 2006(訳/筆者)