文章表現Ⅱクラス  自由テーマの小論文

自己実現・自己統制

 

日本史学  曺 承美(韓国)

 

我々の人生の大きな課題である「自己実現」のためには、時間という限られた資源を有効に活用することが大事である。そのために何より求められるのは、自己統制である。自己統制について最近の心理学界の研究成果は興味深い示唆をしている。特に筆者が注目したのはThe Power of Habit(Charles Duhigg, 2012)である。以下ではその研究内容を紹介し、それに基づいて自己統制の方法を整理することにする。

まず重要なのは、人々の自己統制の差異が何より仕事と勉強という場面で顕著であることである。面白いのは、自己統制の差異のあらわれ方である。自分を上手く統制する人とそうではない人の差異は、統制可能な行動からは発見できない。言い換えれば、自己統制が上手な人というのは、自分がすでに行動したことを統制するために意志力を用いるわけではないということである。禁煙を例に挙げると、自己統制が上手な人は、そうではない人に比べ、喫煙をより容易にやめられるということではない。それでは、一体、自己統制が上手な人とそうではない人の差異は、何処にあるだろうか。結論からいうと、自己統制が上手な人は自分の取った行動に対して意志力を使う必要がない。また先の禁煙の話に戻れば、自己統制が上手な人は最初からタバコを吸わない。タバコを吸わないから、そもそもタバコを吸うことを我慢する必要もないのである。

一般的に自己統制というと、何かをしないことだと我々は思い込んでいる。しかし、人は毎瞬間、何かをやっている。少なくとも生きている人間は息をする。何かをしないことは我々人間にとって不自然なことである。生きている限り、何かをしないことより、何かをする方が、人間にとって自然であり、このことは人間がどうやって自己統制をするかに繋がる重要なポイントになる。

自己統制において何より重要なのは、目標を立てることである。目標がない自己統制は無意味である。自己統制は気の向くままに行動する代わりに、ある目標の下で行動することである。数多くの人が机の前に自分の目標を書いた紙を貼っている。しかし、それだけでは何も叶わない。現実を把握し、目標に近づくためには、何が必要であるかを考えなければならない。

全ての科学研究の基本は、観察から始まる。ある心理学者は、自己統制を個人的な科学の過程と呼んでいる。自己統制も科学のように、まず自分自身を観察することから始める必要がある。自己観察が蓄積した後、その次に何をするべきかが明確になる。

また自己観察にはもう一つの効果がある。ほとんどの人間は他人の目を気にする。それだけではなく、自分自身の目も気にする。ある実験では、人々に知能と創意性についての肯定的、もしくは否定的な意見を聞かせた後、誰もいない部屋に一人で待たせることにした。その部屋の中には、自分の姿を見ることができる鏡がある部屋もあった。面白いことに、否定的意見を聞いた人は鏡がある部屋からすぐ出られたということである。しかし、人間は観察を恐れるだけではない。綺麗な服を着ると、鏡の前を離れないし、他人の眼差しも楽しむ。観察は、上手くできない時は処罰になるが、上手くやっている時は褒賞になる。したがって、観察を上手く活用すると、それだけで行動を変えることができる。自身を自ら観察するだけで自己統制は上手くなる。このように観察によって人の行動が変わることを反動性という。部屋に鏡・カメラを置くと、誰が見なくても人間は仕事や勉強に一層励むし、一層道徳的に行動する傾向があるという。

このように自己観察自体に行動を矯正する効果があり、またこの観察をもとに計画を立てると行動の変化に繋がる。したがってまずは一応自分を観察することから始めるべきである。例えば、勉強をする時間が足りないと感じているなら、まず自身が一日にどれだけ勉強しているかを毎日記録する。これだけでも大きな変化の出発になる。

自己観察には幾つかの要領がある。その一つは、行動した都度観察し、記録することである。一回に纏めてするのは長く続けられないし、正確さも欠ける。小さな手帳を持ち歩くか、または記録しやすい場所に記録板を置いておくのが良い。勉強時間を観察・記録するには机の上、テレビの視聴時間を記録するにはテレビをみる椅子の隣、パソコンゲーム時間を記録するにはパソコンの周りに手帳を置くことである。

二つ目は、自己観察の初期には、記録をするだけに集中し、他の行動はしないことである。行動を記録すること自体が意志力を損なうからである。記録することが習慣として定着するまでは、記録の他に負担をかける行動を禁じ、また同時に数多くの行動を観察することも禁ずるべきである。我々人間の意志力には限界があるからである。

三つ目は、特定行動の観察記録を積みながら、どの先行事件が行動を起こしているのか、またその行動がどのような結果を生み出すのかを分析することである。この分析を通じて仮説を立て、また実験し、自分にとって良くない行動をもたらす先行事件を減らし、良い行動をもたらす先行事件は増やす。

テレビの視聴時間を減らすことが目標であると仮定してみよう。まず、一周間程は気ままにテレビをみながら、その時々に記録する。次に、その記録を分析する。それによって家に戻ってすぐテレビをつけることが問題であることが分かったとすると、その場合テレビをより遅くつけることが視聴時間を減らすことに繋がるだろう。つまり、観察から得た問題点を解決する方法を考え、一定期間実験をするのである。その結果をまた比較し、視聴時間が減ったらその行動を続けることにし、そうでなかったら他の方法を模索する。

 自己観察は現実的な目標値を設定することにも応用できる。たとえば、観察の結果、一日に一人で勉強する時間が平均一時間であることが分かったとすると、まず、それより三〇分増やして勉強するという目標を立てる。自分の現実からかけ離れた非現実的な計画は続けられないからである。一日一時間勉強する人が、突然八時間を勉強することは無理だろうし、たとえ最初は守れても長くは続けられない。

 このように自己観察と分析、実験で自分の行動に対する十分な理解が蓄積した後、計画をたてる。計画には明確な目標があるべきである。勿論、この計画は目標だけではなく、その目標に到達するまでの過程も明確であるべきである。そしてこの過程は自己観察、分析、実験を通じて蓄積した経験にその土台を置くべきである。計画に誤謬と誇張が入るのは当然である。だが、その点は自己観察を通じて修正することができる。

 また計画には障害物として作用する先行事件とそのような先行事件に対処する指針も用意する必要がある。たとえば、試験の前日に部屋の掃除や本棚の整理がしたくなるとか、試験に関係ない小説を読みたくなる人は、このような問題について対処する方針を予め決めておくべきである。西洋の諺に「悪魔は細部事項の中にある」という言葉がある。計画通りに上手く進められないのは、結局このような些細なことのためである。

 また、行動は条件の産物である。意志力は限りがある資源であるから、無駄使いはできない。自分が望む行動をするには、意志を発揮するより、そのような行動をしなければならない条件をつくる方が良い。

 行動が条件の産物であることを肝に銘じる理由は、もう一つある。それは自責の念にかられないためである。アルコール中毒者がいったん中毒を克服した後、またアルコール中毒に陥る場合がある。たまたま酒を口にしたことで失敗したと思いこみ、「やはり私は駄目だ」という自責の念から、以前の生活に戻ってしまうのである。自分の思い通りに上手くいかないことに失望し、諦めることは避けるべきである。そのような時は、自分自身を責めるより、全ては条件の産物であり、物事は簡単に変えられないということを想起する必要がある。そして、それが何故できないのか、その理由を把握して解決策を模索するべきである。上手くいかない時は、自分自身を非難、処罰する罪責感を抱くより、小さな目標を立てて、それに到達する度に自分にご褒美を与えることが、緩やかではあるが確かな自己統制、自己実現の王道であるだろう。