文章表現Ⅱクラス  自由テーマの小論文

市場経済化された中国の医療問題

―NHK制作「病人大行列~13億人の医療~」を素材に―

 

地域文化研究  宋 思嬈(中国)

 

キーワード 「看病難」、「看病貴」、医療制度の市場化、医療格差

 

はじめに

 近年、医療問題が中国の大きな社会問題の一つとなっている。個人的には、この問題は直接関わりがない限りあまり向き合いたくない話題でもある。ここで取り上げたNHK制作「激流中国スペシャルシリーズの「病人大行列~13億人の医療~」は、最近見た番組であるが、筆者が知らなかった、むしろ知ろうとしなかった中国の医療事情を描いていた。医療体制の改革によって市場化された医療現場における、患者の「看病難(診察を受けるのが難しい)」、「看病貴(治療費が高い)」という現状、公立病院の民営化、都市部と農村部の医療格差など、さまざまな課題を、患者、医療者、政府の立場から提示していた。経済成長が加速する裏側で、中国が抱える医療問題を浮き彫りにしていた。本稿では、このドキュメンタリー番組で提示された内容を素材にして、撮影の仕方や番組の作り方に注目しつつ、現代中国における医療問題を検討したい。

 

二つのストーリー

 番組の中で印象的だったシーンがいくつかある。最初のシーンで、真冬に病院の外で冷たい風に吹かれながら診察を受けようと待っている患者たちとその家族の姿である。人口が多い中国で、列に並ぶのは珍しい光景ではないのではじめはあまり意識しなかったが、撮影された人々の言葉を通じて患者たちの辛さが実感でき、衝撃を受けた。そして、ダフ屋の登場、さらに救急車で運ばれた意識不明の患者の家族が即金払いで診察料が催促された場面では、自分がその場に身を置いているように感じた。

 続いて、このドキュメンタリー番組では大まかに二つのストーリーが展開される。一つは地方からやってきた患者の物語である。安徽省の農村から北京に尋ねてきた張さん一家の物語は非常に繊細な撮り方で、中国農村の普通の家庭が医療負担に苦しむ姿を描いていた。そこから、現在中国の社会問題となった「看病難(診察を受けるのが難しい)」、「看病貴(治療費が高い)」といった農村の医療制度の現状が窺える。張坤氏の実家で取ったインタビューから、本来村で裕福であった家が、病気で借金に苦しむようになったことがわかり、家族の一人ひとりの希望、悩みに心が痛む。両親が子供の病気と経済困難に陥って流した涙、その辛さは自ら経験したわけではないが、不思議に同感できる。ここに、番組制作者の個人一人ひとりへの関心が示されており、庶民の声を大事にして、耳を傾けた姿勢が見られる。

 息子の治療費を借りるためにさまざまな方法を実行するが、すべて失敗し、河南省の実家までお金を借りに行った母親、紀氏はようやく自分の母親から金を受け取る。それもまた借りた金であるが、紀氏の母親はそれを全部紀氏に渡す。このシーンに表れている親子の愛情はとても感動的なものであった。紀氏が両手に折れた紙幣を握るシーンでは、家族の希望の重さが感じられた。

 番組の中で紀氏が保険による払い戻しをもらうために、医療保険の請求窓口に行くシーンがある。現行の新型農村合作医療制度の払い戻しの設定は厳しく、払い戻しは入院だけに設定されているため、結局張坤一家は払い戻しを受け取れなかった。ここで、「大衆に奉仕する」というスローガンが画面に大きく強調される。それは、理想と現実の間の大きなギャップを示しているのではないだろうか。

 地方からやってきた張さん一家の物語は都市部と農村部の医療格差も示している。これにはいくつかの原因が考えられる。まず、農村部には医療機関が十分設置されていない。例えば、各地方の村の診療所では費用は病院より安いかわりに、最低限の治療しか提供できない。それに対して、都市部には大病院が集中しており、特に北京、上海のような大都会では総合病院が集中しすぎる「過剰医療」の現状もある。また、保障内容でも差が大きい。農村地域の医療保険体制は保険でカバーできる部分の範囲が非常に狭く、自己負担の割合が高い、参加率が低いなどの難点がある。つまり「看病貴」の問題が大きい。そして、ほとんどの人が一番良い病院に行くことを考える傾向があるので、その結果大病院に患者が集中するという大病院志向も医療の地域差から生まれた現象である。

 さて、医療問題におけるもう一つ重要なファクターは病院側の立場である。第二のストーリーとして、この番組は公立病院の市場化が進んでいる北京の同仁病院に取材を行い、当時の同仁病院院長の韓徳民氏と彼の医療チームが市場経済体制の下で、公立病院の民営化を模索する姿も描いている。

 同仁病院を訪れる外来の患者数は一日5000人を超える。本来北京市民のために建てられた病院だが、地方からやってくる患者が増える中で、医療費は前払いとなった。韓徳民氏は前払いの問題について、「経済に恵まれていない人も大病院に来てしまい、費用を払わず帰ってしまう人も多くいます。未払いの患者が増えると、病院は耐えられません。それを避けるために、前払いにしているのです。これは病院の損失を減らすためです。損失は誰も補ってくれません。自衛策を講じるしかないです。」と語っている。この話はまさに病院経営者の眼差しであり、もう一つの現実を表している。

 そして、場面は同仁病院の職員が国歌を歌っているシーンに移る。かつてはすべて国の財政で運営されていた病院は、改革開放後、国による病院への財政補助が減った。補助の金額は今では運営費全体のわずか5パーセントに過ぎない。病院はほとんど患者の治療費に頼る独立採算になっている。当然、安定した収入がないと高い医療レベルを維持できない。病院側も当市場経済に従うしかない厳しい現実に直面している。市場化された公立病院は、既に政府に依存する福祉機関の性質を完全に捨てて、市場競争の中で戦っている企業に近い存在に変身したのである。国歌を歌っているシーンは皮肉なものを感じさせる。

ここで、公立病院は一体誰のために建てられたのかを問う必要があるだろう。国の社会保障体系など福祉政策の健全は当然重要であるが、中でも病院という国民の命と関わる部門は、政府の福祉機構の中に含まれるべきだと考える。同仁病院のような公立病院が完全に市場原理に従うようになれば、一般民衆向けの医療保障はより困難になる。

 同仁病院の市場化に対応する具体的な動きとして、病院は近隣のホテルを買収し、VIP病棟に改造した。中にはVIP診察室が設置されており、診察料は一般外来の20倍の4500円である。専属の看護師がいて、四五人の医師が診察してくれるなど富裕層のためにさまざまなサービスを提供している。ここで診察を受けている会社の経営者は「診察料は高くありません。普通の外来より高めですが、待ち時間はありません。」と語っている。続いて、有名ブランドのバッグが目に入る。先の張氏一家が暖房もないホテルに住んでいる状況との対照が鮮明である。病院長はVIP病棟に大きな期待を寄せている。「レストランにはファーストフードもあるし、五つ星レストランもある。好みに合わせて選べます。高い医療を求める富裕層に応えないのも不公平です。市場経済ルールに基づき、さまざまなランク設定が必要なんです。」確かに異なる需要に応える治療の必要性はあるだろうが、富裕層向けの医療設備は増加する一方で、一般住民の医療整備が停滞している現状には注目しないわけにはいかない。市場化が加速する中で、普通の患者たちの権益は犠牲にされてしまうしかないのだろうか。市場経済による利益追求と公的利益はアンバランス状態に陥ってしまっている。

 また、同仁病院は国の支援に頼らない、新しい私立病院の形も模索している。株式会社南京同仁病院の于振坤院長は同仁不動産の全体模型から、「不動産業で得た収入で、老人ホームを支援します」と語っているが、病院の広大な敷地で、莫大な利益を獲得できることは言うまでもない事実である。民営病院は最新の医療機器の導入や医師の数の制限が少ないため、病院が質のよい治療を行う面で有利である。「最小のコストで最大の効果を上げることが大事です。」という韓院長は、国の公立病院の院長ではなく、「企業経営者」としか思えない。中国の医療の差別化は既に始まっている。市場化の結果として、韓国院長は「国が13億人の医療をすべて賄うのはそもそも不可能です。市場経済化の中で医療現場はそれに適応しなければなりません」、「政府の目配りはまだ行き渡らず、患者の利益は損なわれるだけです」と語っている。

 番組最後のシーンは再び病院の前の長い列に移る。「今日も徹夜の長い列が続きます」。まさに病人大行列の中国の医療現場の実写である。

 この二つのストーリーは患者と病院側の違う立場から生じた矛盾を間接的に反映している。張氏一家は中国多数の普通の農村家庭を代表しており、市場経済化の医療は彼らにとって重い負担となっている。一方、同仁病院は市場化された公立病院の立場を代表し、病院の生存、発展するために、病院も利益を求めなければならないという現実問題は避けられないとする。

 

医療制度の市場化による影響

 『中国衛生統計年鑑』のデータによると、ここ十年で、患者が負担する医療費はおよそ四倍に上がった。このような背景はディスカウント薬局の誕生に繋がった。病状が悪化しても安い薬に頼る人が増えている。病院での治療が必要な患者の半数が病院に行っていないという衛生部の報告がある。番組の中で、男性の患者の「ここなら薬代数十元で済みます。病院の診察料は高すぎますよ」という言葉は患者たちの普遍的な心理を表していると思われる。病状が悪化して、はじめて病院に行く人が多い。これもまた、患者の大病院志向に繋がるだろう。

 同仁病院が豪華な高級病棟の建設、さらに「同仁ワールド」を作るという南京同仁病院経営者の言葉はとても印象的だった。市場経済体制のもとで、病院の市場化傾向は避けられないとは思うが、しかし、現在の中国の厳しい格差社会において、医療費を完全に自己負担できない患者も大勢いる。公立病院の経営者として、国民に対する責任感や道徳心はどうなのか。しかしながら、さまざまな人為的要素に左右されやすいそうしたことよりも、国家の政策が患者と病院側のバランスをどう取るかが肝心である。つまり、そもそも国家の医療体制に問題がある。誰もが基本的な医療を共有できるような医療改革を推し進めなくてはならない。顧(2006)は、「看病貴」の根本的な原因は医療サービス市場化のプロセスにおける政府職能の欠落にあると述べている。つまり、市場化された病院が利益を追求するのは当然であるが、医療サービスの提供側は需要側より有利な立場に立っているので、第三者の政府による調節が必要とされる。しかし、現在政府は医療機構と患者の間の仲介機能を果たしていない。番組の中では「どこまで国が負担するのか。どれぐらい市場経済に任せるべきか」という課題が出されたが、それはまだ明確になっていない。医療問題はあくまでも国、病院、患者の三者間の問題である。

 最後にこの番組に対する私見を述べておきたい。番組の中に、人民代表大会のシーンがあり、総理は「民衆に安全で利便性の高い安価な医療サービスを提供する」と発言している。もし政府関係者など政府の立場を代表するインタビューの内容を加えれば、もっと具体的な政策の動向が分かり、より詳細で充実した内容になりえたのではないか。そうはいっても、現実ではなかなか困難な取材にはなるだろう。また、忠実に現状を再現するのみで、分析はほとんど見られないのが残念であった。 

 

終わりに

 近年、北京では強制的に基本医療保険に加入させる企業や事業単位が増えている。基本医療保険は現行の社会保険制度の一部となっている。その財源は企業側と個人の負担によるものである。また、全国における都市部の社会保険制度と農村部の農村合作医療制度が、普及するにつれて、「看病難」、「看病貴」の問題がある程度緩和できたが、都市と農村の医療格差や、医療制度の払い戻しの制限など、さまざまの難題が残っている。民衆に比較的公平かつ有効な医療を提供するには、病院、中央政府、地方政府の協力が必要である。また、全国の各大病院では、インターネットで診察券を予約する制度がある程度整っているが、専門家の診察券は予約できない、インターネット予約の仕方が普及していないなどの理由で、「看病難」の現状は今なお存在している。

 本稿では、NHKの番組を通じて市場化された公立病院の動きと国民に与えた影響を中心に述べたが、中国の医療保険制度に関する解説は足りない部分がある。今後はこの制度についてより深く検討したい。

 

参考文献

「走向有管理的市場化:中国医療体制改革的戦略性選択」『経済社会体制比較』2005年第6

舒瑾「中国医療保険制度の特質と限界-市場経済化後、日中比較-」『現代社会文化研究』第41期、20083