読解Ⅲクラス  読解感想文

芥川龍之介の「お菊さん」

 

日本語日本文学  フェレ アントナン(フランス)

 

明治19年晩秋のある夜――鹿鳴館において華やかな西洋風の舞踏会が催された。そこで、17歳の令嬢明子が魅力的なフランスの海軍将校に出逢い、ワルツを踊り、しんみりとした睦言を交わし、名残を残したまま、再び会うことなく別れてしまう。大正七年の秋、老夫人となった当時の明子が、事情により「一面識のある青年の小説家」に対して、鹿鳴館のこの舞踏会の思い出を懐旧の情を込めて語り聞かせる。そのフランスの海軍将校の名前を聞かれ、初出の本文(大正9年1月1日発行の「新潮」に掲載)に従えば、明子が次の返事をしたところで、筆が擱かれている。

存じておりますとも。Julien Viaudと仰有る方でございました。あなたも御承知でいらつしやいませう。これはあの「御菊夫人」を御書きになった、ピエル・

ロテイと仰有る方の御本名でございますから。

ところが、興味深いことに、「舞踏会」が短編集『夜来の花』に再録された際に、芥川自身が本文に多少の添削を加え、この場面を以下の如く書き直している。

「奥様はその仏蘭西の海軍将校の名を御存知ではございませんか。」/すると老夫人は思ひがけない返事をした。/「存じておりますとも。Julien Viaudと仰有る方でございました。」/「ではLotiだつたのでございますね。あの「御菊夫人」を書いたピエル・ロティだつたのでございますね。」/青年は愉快な興奮を感じた。が、老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであつた。/「いえ、ロティと仰有る方ではございませんよ。ジユリアン・ヴィオと仰有る方でございますよ。」

   * *

三島由紀夫に指摘されたように、芥川龍之介の「舞踏会」はピエール・ロティの「江戸の舞踏会」に着想を得て書かれたものである。ロティは明治18年の天長節(明治天皇の誕生日)祝賀会に出席したことがある。その際、内外人の交歓を促すべく洋装舞踏会が鹿鳴館において開かれ、そこへ皇族、大臣および各国の公使が招待されたのである。ロティは、明治期の日本における欧化政策を象徴するともいえる、このヨーロッパ風の舞踏会を「まったくの猿真似」とみなし、一緒に踊ったルイ15世式の装いを凝らした少女について、冷笑を込めたわずかな言葉で始末をつける。

一方、「舞踏会」の明子は、彼女に対する「フランスの海軍将校」の嘲笑を含んだ眼差しに対して、決して無自覚だったとはいえない。以下に引用したところからみると、却って相手の内心を鋭く察知するだけの、ロティのいわゆる「ムスメ観」にそぐわない聡明さと冷静さとが、彼女に具わっていることがわかる。

こんな美しい令嬢も、やはり紙と竹との家の中に、人形の如く住んでゐるのであらうか。さうして細い金属ので、青い花のいてある手のひら程の茶碗から、米粒を挟んで食べてゐるのであらうか。――彼の眼の中にはかう云ふ疑問が、何度も人懐かしい微笑と共に往来するやうであつた。明子にはそれが可笑しくもあれば、同時に又誇らしくもあつた。

しかし、明子の最後の言葉には、彼女の心内描写に切実な色彩を帯びた皮肉――すなわち悲劇的な皮肉の影を落とす要素がある。フランスの海軍将校が『お菊さん』の著者ピエール・ロティであり、彼が「ムスメ」という虚構を通して彼女に向き合うことを、明子は意識しながらも、なお否認していたのである。否認するばかりでなく、彼女に対する相手のこの心的距離――皮肉と虚構を支えるこの距離を、もうひとつの虚構をもって埋めていった。これは、「初参加の舞踏会」「一目惚れの恋愛」「一期一会」といったような、いかにも類型的なパターンにおいて、フランスの海軍将校を心内に再登場させて、回顧的に彼との出逢いをちゃんとした浪漫風の物語に仕上げたのである。明子は、このはかない夢であるかのような物語を心に大切に刻み付けておいたまま、老後を迎えたのである。