読解Ⅲクラス  読解感想文

『痴人の愛』

 

美学芸術学  ザベレジナヤ オリガ(ロシア)

 

『痴人の愛』は一言で言ってみると、平凡な男性と非凡な女性の物語であり、女性が男性を支配するという点では確かに大正期の小説の中で目立つ。読めば読むほど、河合さんがかわいそうになると同時に、「もういい、男性らしくないからあきらめて頂戴」と、彼の盲人のような愛に驚きながらも言いたくなる。ちなみに、谷崎さんがその主人公に「かわい」の読みの名字を選んだのは偶然だったのだろうか。偶然であっても、その主人公にぴったり当てはまると思う。たとえば、ロシアの小説でよくあるのは(特にチェーホフとゴーゴリがよく使った)、いわゆる「ヒントをあたえる名字」というのがあり、名字で人物の性格の特徴がわかる。

河合さんが「男性らしくない」と言ったが、考えてみると、同じ時代の小説の男性が私達欧米人からみて男らしいかどうかというと、そうでもない。女性にほとんど優しい顔を見せないで、命令だけで厳しく扱うという男尊女卑時代の男性の態度も男らしくないと言える。が、大体の小説の主人公はそうであるから、当時の日本では男らしかったのかもしれない。とにかく、河合さんはどこの基準から見ても男らしくないと思う。そういうふうに作家に創造されたのかもしれない。

小説を読んでいると、河合さんは性格が弱く、ナオミは強いから、彼女が彼を使って欲しいものを全部もらったということであるが、ナオミには本当に最初からそんな性格があったのかは疑問に思う。この物語ではナオミの意志だけではなく、河合さんの影響も大きいと思う。もちろん、ナオミは単なる女性ではなく、女の賢さと普通以上の欲望が彼女の中に潜んでいたかもしれない。しかし、それを自由にしたのは河合さんではないだろうか。もし、彼女が西洋のファッションを紹介されなかったら、夫にアイドルにされなかったら、普通の女の扱いをされたならば、男を支配する方法は考え出せなかったかもしれない。他の男だったら自分の妻が男性と遊ぶのは許さないし、美しいといっても、もう自分のものだからその美しさにそんなに興味はないかもしれない。河合さんこそが彼女に潜んでいた性質を成長させたと思う。女は花のようで、男の愛という水がないと散ってしまう。フェミニストには怒られるかもしれないが、女性の何が発見され、何がこの世に現れるか、つまり花がどういうふうに咲くかは男によると思う。ナオミも河合さんの教育を受けて、自分の男が対抗できない魅力を発見して他の男に対してもその力を使ったと思うから、この物語で河合さんは単なる犠牲ではなく、彼自身の責任も大きい。

おもしろいことに、ロシアの小説のなかでこの小説と似ているあらすじの例はなかなか思い出せない。現代文学にはあるかもしれないが、自信がない。ひとつ比べられるのはドストエフスキーの『カラマーゾフ兄弟』のアグラフェーナという女性の話であり、彼女も自分の魅力をうまく使って、三人の兄弟とお父さんからお金をたくさんもらっている。カラマーゾフのお父さんが気が狂うほど彼女を求めているという点では少し河合さんと似ている。しかし、結局彼女はカラマーゾフの長男と結婚して一緒に懲役に行くから、ナオミとはぜんぜん違う。

ほかに思い出せるのは昔話の魔女と人魚で、ともに男を誘惑して破滅させるが、人魚の場合は男が海の中に誘われて沈んでしまう。ナオミにもそのような魔女的な性質はあったかもしれない。

『痴人の愛』を読み終わると、おもしろく読んだ感じは確かにあったが、驚いたことに人物の誰に対してもいい気持ちはなかった。河合さんにも、ナオミさんにも、熊谷さんにも誰にもなかった。普通は小説を読むとだれか好きな人を選ぶが、この小説の場合はなかったし、結局二人はまた夫婦になったが、それもハッピーエンドとはいえない。痴人の愛で生きていく男性と、道徳なしにそれを使っている女性がいっしょになっただけである。そこは非常に現実感をもつ終わり方だと思う。そしてこれからも、彼女が年を取っても、彼と年齢の差が大きいから同じような関係が長い間続くと想像される。