読解Ⅱクラス  情報化時代

メディア・リテラシー

―その定義と現状―

 

現代文芸論  マフニョワ ダリア(ロシア)

 

現代が情報化社会であるというのは否定できない事実である。情報化社会においては自由や自己を失わないように「メディア・リテラシー」が必要とされるという。しかし、そもそも「リテラシー」という言葉自体が非常に曖昧で、訳しにくい。ロシア語の辞書を引いても、「メディア教育の基礎知識」という言い回しのような説明しか載っていない。まあ、簡単に言えば、「リテラシー」とは「読み解く能力」であり、それに「メディア」を加えると、「メディアを自分自身で読み解く力」と解釈できるであろう。

 では、メディアについて独立的で正しい判断をするためには、何が必要なのか。言い換えれば、すなわち「メディア・リテラシー」とは、どのような前提に立つものなのであろうか。まず、情報は人から人へ伝えるものである。つまり、常に他人の視点でとらえられて、構成されたものであるということを覚えておく必要がある。それだけでなく、作り手にも守らなければならない規制やルール(時間の枠組みや上司の意見など)があるということも忘れてはいけない。

 ところで、たとえ自分以外に読者がまったくいなくても、作家と呼べるであろうか。一人で書いて自分で読むだけの作家というのは聞いたことがない。同じようにメッセージを受け取る者がいない限り、それはメディアではない。情報発信者であるメディアは、見せる、あるいは伝える相手を意識した撮影や作成で、自分のメッセージを他者に伝える。その難しさや面白さを知っているのが真のジャーナリストであると言えよう。受信者すなわち視聴者は、その情報を載せるまでのプロセス、たとえばなぜこれこそが選ばれたのか、なぜこの場所を写し出しているのか、などを自問しながら、深読みを目指す。このような関係が理想的な関係であろう。

 しかし、最近の日本のメディアを見ていると、あまりにも内容が薄いように見える。送り手が本当に伝えたいのは何か、もともと伝えたいと思っていたものを伝えているのか、疑問に思う。受験生はテレビをつけていてもよく見ていないようだ。また、ラジオの聞き手も聞きたいことしか聞かないような気がする。いくら「メディア・リテラシー」がしっかりしていても、こうした現実のもとでは、役に立たないのではないか。