文章表現Ⅲクラス  原発再稼働

問題の中心は原発再稼働?

 

宗教学宗教史学  金 大榮(韓国)

 

3.11東日本大震災は、日本だけでなく全世界に大きな衝撃を与えた。マグニチュード9.0の地震という歴史上もっとも大きな地震、それによる巨大な津波によって、短期間のうちに数多くの人々の命が消されてしまったのである。自然の巨大な力の前で、人は実際に無力であった。人類が蓄積してきたすべてが、大自然に戻ってしまった。

それに加えて、人工の災難といえる原子力発電所の事故が起こり、そこから放出された大量の放射性物質に日本全体が汚染されることが懸念される。そのため、今、日本では、原発再稼働を巡る議論が相次いでいる。その議論の中心になっているのは、宮城県女川町長須田善明の言葉を借りると

本質は、エネルギー対策、安全面の両方で、国は責任と信頼ある対応をできるか否かです。(朝日新聞201254日朝刊『耕論』「判断の前提そろってない」より)

ということである。つまり、人にやさしく安全でありながら、今の生活を続けられる経済的な面を保障してくれる資源を、国は早く探し出してほしいということである。しかし、そういうものは見当たらないし、まだ存在しないのが実状である。だから、人々は不安を解消するために原発再稼働に反対し、一方では経済面を考え、原発再稼働を続けることに賛成しているのである。

安全の重要性は何度強調してもしきれないほどだ。しかし、放射性物質の汚染が人にどれくらいの影響を与えるかについては、専門家の中でも議論が分かれ、正確な情報を伝えるのが難しい状況である。それは16年前の事故に例えられる。人類の歴史上、最悪の事故と呼ばれるチェルノブイリ原発事故から分かったのは、ある程度の数値を超えると確実に人体に害を与えることであるが、そのある程度以前の数値は曖昧で正確な判断を下すには無理があるようだ。

しかも、正確な数値が把握できたとしても、それを公表するかどうかはまた大きなジレンマになる。公表することによって、多くの人々がどう振る舞うべきかを迷い、混乱を起こす可能性があるからだ。

一見、この両方は、両立できないもののように思われがちだが、過程を考えることで、なるべくみんなが満足する方向へ向かえるのではなかろうか。コラムニスト小田嶋隆は、

再稼働を巡る議論は、既に、平行線をたどっている。原発の再稼働を支持する人たちは、再稼働反対派が訴える不安を「放射能」という言葉を使って嘲笑している。一方、再稼働に反対する人々は推進派を目先の利益しか考えない拝金主義と見なして非難する。歩み寄る余地が一歩もない。(201252日朝日新聞「原発の『脱ぎ方』考えよう」より)

べ、再稼働を巡る議論が極端に分かれ、双方とも一方的に主張していると指摘した。

確かに、今の議論は両極に分かれている気がしなくもない。そこで、彼は「原発の脱ぎ方を考えよう」と言い、原発の数を少しずつ減らしていく方法を支持する。より国民の声にも耳を傾け、経済成長にも悪影響がないように、みんなが急がずちゃんとした脱ぎ方を考えていく方法であろう。しかし、本当にそうであるかは、また疑問である。小田嶋隆は原発中止に手をあげることになり、結局原発再稼働反対側だといえるだろう。

しかし、現実に起きている問題はそれだけではない。今までの議論はひたすら原発再稼働についてだけであったが、震災が起きて解決しなければならない問題は山ほど残っているのだ。今後さらに人口が福島から流出すること、福島人に対する差別、結婚問題、子供たちへの教育、巨大なシステムの中での経済発展のための投資、それによる地域社会の衰退の危機などが懸念されるであろう。実際に問題は、原発再稼働だけではないことを知るべきであろう。

2011311日は、日本の歴史に大きな意味を与えることは間違いない。私は、その日に日本にはいなかったが、どれだけ大きな衝撃であったかはよく覚えている。しかし、その絶望的な状況から、日本人の中でという言葉が広がり、全世界に日本人の助け合いの心は高く評価されることになった。

原発再稼働を巡る議論は、これから日本がどうなるかにもかかわっている重要な問題であることは事実である。しかし、少し視点を変えると、実際大きな問題がたくさんあることに気づくだろう。私たちは、一つしか見られない狭い視野を持っているのではなかろうか。