文章表現Ⅲクラス  別れの言葉

世界の別れのことば

-宗教の影響-

 

言語学  ボロタクーノワ ヌルザット(キルギス)

 

世界の別れの言葉は多種多様であるが、だいたい三つのタイプに分類されている。一つ目のタイプは、「神の御許に」という意味を持つ言葉である。英語のGood-bye、スペイン語のAdiósなどがこれに当てはまる。二つ目のタイプは、英語のSeeyouagain、ロシア語のДосвидания-「再会まで」、トルコ語の Görüşörüz-「また会おう」のような、相手との再会を望むことを表す表現である。そして、最後のタイプは、「お元気で」という意味が含まれた別れの言葉である。このタイプは、去る側に対して用いられるか、その場に残る側に対して用いられるのかによって表現が異なる。例えば、キルギス語では、別れの表現としてSalamattakaliniz(去る側), Salamattabariniz(残る側)がある。Salamattaは「元気で」、kalinizbarinizはそれぞれ「残って下さい」・「行って下さい」という意味を持っている。要するに、このタイプの言葉は、見送る人・見送られる人、どちらの立場から用いられるのかによって違ってくるのだ。

さて、ここでは、最初のタイプの別れの言葉について詳しく検討する。また、なぜ日本語にはこのタイプの言葉がないのかについての考察も試みる。

前述したように、このタイプの言葉は、神様に言及し、「神様が相手のもとにいてくれることを祈る」という意味を示している。例えば、前に述べた英語のGood-byeは本来、“God be with you”-「神様があなたと共にいますように」という表現だったとされる。また、トルコ語においても、去っていく側がその場に残る側に対して用いる“Allahaismarladik”という別れの表現がある。いずれも、話者の相手に対する「神様があなたのそばにいて、あなたを守ってくれますように」という願いが込められた言葉である。

一方、日本語における別れの表現には、神様に言及する言葉がないと言っても過言ではないだろう。日本人は普通、お互い「さようなら」「それでは」「では」と言い合って別れる。そのうち、「さようなら」は、本来「然あらば」「さようであれば」であったとされている。これは、「あなたが決めたわけでもなく、私が決めたわけでもなく、自然にこうなってしまったのであれば、別れるしかないな」という意味を持っているのではないかと考えられる。

日本人の宗教―神道-においては、「天照」=「太陽の神様」のように、自然現象が神格化されている場合が多い。また、国土の地勢からみても、自然が日本人の生活に多大な影響を与えてきたと考えられる。例えば、挨拶の言葉「こんにちは」について観察してみよう。「こんにちは」は本来「今日は良いお天気ですね」という表現の縮まった形である。この場合もやはり、「お天気」、言い換えれば「自然」に言及されていることが分かる。

以上検討してきたように、世界の別れの言葉の中で、神様に言及する表現は、ヨーロッパ諸言語やアラブ語トルコ語などに多く見られるが、日本語の表現にはない。それは、ヨーロッパやイスラム圏の国などの人々の意識には「神様」の存在が、日本人の場合は「自然」の存在が非常に大きく、挨拶・別れの言葉にまで影響を及ぼしているからだと考えられる。