寄稿 

「しょうがない」日本人、「しょうがある」イタリア人

 

  エドアルド・ジェルリーニ (イタリア)

 

初めてのヨーロッパ旅行から帰ってきた友人が土産話に、豪奢な建物のインパクト

性、繊細な美術品のうるわしさ、穏やかな景色に包まれた街、地元料理の特有の味、

そしてその長い歴史の跡と伝統などについて語るのはよくあることです。しかし、もしそ

の感動的な印象の次に、「電車がいつも遅れていた」、「店でぼったくられた」、「道を聞

いたら、間違って教えられた」、「カメラを盗まれた」という話が続くとすれば、彼が訪ね

た国は間違いなくイタリアです。そう、その輝かしい歴史を誇るイタリアは、その歴史

とはうらはらに、現在はどちらかというとみっともない政治家の行動、詐欺と金融ス

キャンダル、そして信用のなさで知られており、私はイタリア人として恥ずかしく思うしか

ありません。とりわけそれが、戦争や震災のような外的な原因に由来する問題ではな

く、イタリア人の国民性が生み出した現象だと認めなければならないと思われるとなお

さらです。

しかし、このような現在のイタリアでも、イタリア人として自慢できることがあるので

す。それはちょうど昨年のことでした。1987年の画期的な国民投票で原発を放棄して

二十年あまり経ったイタリアで、当時の国民の意思を無視するかのように、多くの政

治家が、電力の大手会社の支援のために原発産業を復活させようとしました。そのと

き、イタリア人という国民が動き出したのです。

政界からもメディアからも原発推進派へのエールが強く、「安全性神話」や「必要性

神話」が連日テレビや新聞を独占しました。それにもめげず、小さな協会や一般人の

協力でほとんど自発的に始まった運動は、原発反対の国民投票のためのサインを

あっという間に集め、61213日の国民投票が実現しました。イタリア国民はもう

一度原発力について自分の意見と意思を投票で表せることになったわけですが、

投票日前の数ヶ月間、政界もメディアも必死にその投票を妨げようとしました。テレ

ビでは反原発派の意見などはほとんど取り上げず、投票日をわざと間違って教えた

りするほど、不平等で不当な論争が繰り広げられました。投票日前夜、当時の首相

は「イタリア人よ、いい天気だから、投票をさぼって、みんなで海へ行こう!」と阻止し

ようとしました。しかし、その日イタリア人は海へ行かなかったのです。投票率57.1%、

そのうち94.75%が原発反対となり、原発推進派は再びイタリアという戦場で敗北し

たのです。

この想定外な結果に大きな役割を果たしたのは、間違いなくネット上の情報交換、

特にソーシャルネットワークです。Facebookのようなデジタル技術製品はただの道具で

あり、ソーシャルネットワークとして働きかける特別な志もありませんが、イタリアの例で

決定的であったのはやはり人と人のつながり、日常の交流、そして根っからの討論好

きの性格であったと思います。

仕事を怠ける、時間を守らない、信用できないというような評判で知られているイタ

リア人も、いざとなると政治家を担ぎ出したり、人任せにせずに、自分たちで立ち上が

り、自分たちで信用できる情報を集めて共有し、話し合った結果、はっきりと自分の声

を上げたのです。

この話をすると「やるね、イタリア人。偉い!」と冒頭のイタリア帰りの友人が羨まし

そうに言いました。「じゃ、なぜ日本人は同じことしないの?」と聞くと、「だって、どう

せ日本人は動かないんだよ。しょうがない」と言います。出た!「しょうがない」、この

六文字の言葉は筆者も気軽に使いますが、よく考えると日本人の考えはこの言葉に

要約できると思います。何かがうまくいかなければ、自分の責任ではないとばかりに、

かならず「しょうがない」と、マントラのように口に出すのです。イタリア人のように怠け

者でもなく、礼儀を欠くわけでもなく、きちんとルールを守る、まじめな日本人は、なぜ

「しょうがない」という一言でどんな深刻な問題でもすませようとするのでしょうか。

私なりの解釈ですが、おそらく日本人は個人、特に自分の力で周りの世界を変えら

れるものではないと、深く思い込んでいるのではないでしょうか。確かに、勇者でもな

い人間が一人だけで変化をおこせるものかという考えには、うなずけます。しかし、

世界で大きな変化、改革などを実現したのは、ロベスピエールや坂本龍馬などの勇者

だけではありません。むしろ、そんな偉い人たちでも、周りに賛同する一般の人がいな

かったら、画期的な変化、改革をおこせなかったのではないでしょうか。勇者ではない

我々一般人でも、我々の周りの人と正直に触れ合って話をすれば、そのうち大きな

思潮を引き起こすことも不可能ではありません。

「原発のない日本」が実現するかどうかはわかりませんが、本稿の目的は原発では

ありません。深刻な問題があっても、一向に変わらない現況に不安と不満を抱えたま

ま、この「しょうがない」という口癖を唱えるばかりでは、確実に何も変わらないというこ

とを言いたいのです。大きく変える必要はありません。ちょっとだけ変えればいいので

す。とりあえず、「しょうがない」を「しょうがある」に。