文章表現Ⅱクラス  自由テーマによる小論文  

現代韓国文化の流れ

 

社会学  金 璨秀(韓国)

 

キーワード

韓国近現代史 生活文化 伝統文化と西洋文化 封建文化と資本主義文化 生産文化と消費文化

 

序論

そもそも「文化」という言葉は、さまざまな分野で多様な意味で用いられてきた。たとえば、学問の領域においては「人類が歴史を通じ、築いてきたすべての生活様式」という意味を持ち、日常生活の領域では通常、伝統文化•新文化、封建文化•資本主義文化、生産文化•消費文化などのように特定の下位文化を示すことが多い。つまり、我々の日常生活においては、「文化」というものは、常に何らかの「区分」を示す言葉がつけられ、現象と現象また象徴と象徴を区別する「基準」もしくは「単位」を含むものとして用いられている。

本稿では文化のそうした特徴に注目し、それを踏まえて20世紀以降の韓国における文化現象について述べたい。文化の収容と変容さらに文化の融合とそれによる新しい文化の誕生について、1900年以降の植民地時代、1950年に勃発した韓国戦争前後、20世紀の終わりから21世紀の現在までの三時代に分けて見ていくことにする。

 本論

11900年以降の植民地時代の文化 ― 伝統文化から西洋文化へ

それ以前の朝鮮時代の末期には、いわゆる「鎖国政策」のために、外国からの文物は受け入れられていなかった。しかし、遠からず日本によって強制的に門戸を開放させられると、韓国には即時に外国からの新しい文化が国内に流入した。鉄道・舗装道路のような土木工事や西洋式の建物の建築などはこの時期に始まった。また、人々は新しい食べ物を食べ、西洋服を着始め、それまでの生活文化とは全く違う新しい生活文化様式に接するようになった。つまり、「伝統生活文化」ではない「西洋生活文化」による「衣食住」全般にわたる変化を経験したのである。 

人々は新しい音楽を聞いたり、西洋の文学作品を読んだりした。さらに伝統的教育制度から西洋式教育制度への変化が生活様式としての文化に根本的な変化をもたらしたと考えられる。すなわち、この時期は伝統的生活の文化様式を過去のものとみなして、全く新しい文化様式を迎えた時期だと見ることができるだろう。 

 21950年前後の文化 ― 封建社会の文化から資本主義の文化へ

1945年の植民地時代の終わりから1950年の韓国戦争、1953年の休戦協定までの約10年は韓半島の歴史上最も激変の時期だったと言えるだろう。むろん、文化の側面においても「開放→米軍政→韓国戦争→休戦と後の再建」という過程にあって、様々な文化の流入と衰退が反復された。この時期に成立した最も重要な文化としては、本格的な「資本主義」経済文化が挙げられるだろう。この時期以前の韓国の経済体制と経済文化は事実上「封建主義」であったと言える。しかし植民地時代に入ってきた資本主義は戦争と米軍政を経て、この時期に至って封建制に代替する経済体制として確固たるものになった。そもそも生活の根幹を成している経済的基盤が変化すれば、すべての生活文化の領域がその影響力を受けざるを得ない。キムチャンナンはこのことについて、「戦後、韓国に定着した資本主義の形態は、今もその影響力を持っており、韓国人の生活のすべての文化を決定する基底のパラダイムになっている[1]」と述べている。 

 320世紀の終わりから21世紀の現在までの文化 ― 生産文化から消費文化へ

韓国戦争以降1990年代までの間、韓国は驚くほどの経済成長と軍事独裁による民主主義の衰退を同時に経験した。政府主導による高度の経済発展は主に2•3次産業に集中し、「生産」がまさに「成長」とみなされ、人々の生活文化もまた経済的な生産と成長に焦点をあわせていた。人々の心には常に稼がなければならないという意識があって、文化的な「享受」は人生の「贅沢」とみなされる、まさに「生産文化」の時代であったのである。

しかしながら、80年代以降、次第に人間の基本的な欲求が充足されてくるとともに、世界の思想的な雰囲気も「ポストモダニズム」の時代を迎えた。この二つの現象は韓国の若い世代に深く関わり、韓国でも西洋や日本のように「消費文化が経済文化を決定する」時代が始まった。このころから人々の考え方は「どうすれば、生産効率をより高められるのか」であった以前とは違って「どのように消費すれば、快適な生活ができるのか」となったのである。さらに、97年に発生した、いわゆる「IMF外国為替の危機」が、2000年以降の「現代の資本主義経済体制」のなかでの「生産文化」と「消費文化」との相関関係を一層複雑にし、消費文化をめぐる様々な社会現象が、人々の生活文化を決定する最も重要な要因の一つになっている。

 結論

1900年から現在に至るまで、わずか100年という歴史上から見れば短い期間に、韓国では近現代史の全てが成立したと言える。特に人々の生活文化の側面に関しては、本論で述べた植民地時代、戦争中、また軍事政権下での経済発展の過程という変遷の中で「混乱の時代」とも言えるような激しい変化を経験してきた。

しかしながら、それによって主体性のない一方的で他性的な文化ができあがったというより、むしろ韓国の民族がもともと持っていた適応力と創造力が呼び起こされたと言えるであろう。つまり韓国人は「ウチの文化」と「ヨソの文化」または「今の文化」と「新しい文化」が入り混じった混同状態においても、独自の秩序を創造してきたのである。それがまさに、ともすれば「事大主義」の方向に流れてしまいそうであった民族性を、今日世界が認める「韓国文化」に育て上げた核心的な要因であろう。

 

参考文献

キムチャンナン(2003)『大衆文化の理解』ハンウル出版社

佐藤健二•吉見俊哉(2007)『文化の社会学』有斐閣アルマ 



[1] キムチャンナン『大衆文化の理解』ハンウル出版社2003 p.56